自分自身の心境の変化をふと思い返してからではありますが、今の自分の興味が昔、親が勧めていたものだったなぁと、ふと気づきました。

 

勧められた当時はまだ子供で、外を走り回ったり友人とゲームをしたりと親が勧めた天体観測や歴史とか博物館への興味は全くなかったりしたのですが、大人になってゲームなどの「遊び」が占める割合が減ってからはそういった「子供の頃に親が勧めていたもの」に興味を持つようになりました。親の教えや与えられた体験は無意識に自分に影響を与えているもんなんだなぁと今はしみじみ思います。



子供の頃の自分と話ができるなら、おっさんになった今は博物館や資料館、プラネタリウムに何時間もいて飽きないなんて信じないだろうなぁと(笑)。ゲームソフト買うお金あるなら歴史や天体の資料館やイベントを優先するほうが多いという事を。

 

もっと早く興味を持てと今ではツッコミたいですが、それでも子供の頃にゲームを通して味わったストーリーや登場人物の生き様、不可能だと思っていた難しいゲームをクリアできた時の達成感などは大人になった今でも自分の思い出であり、憧れのヒーローの姿は社会に出て腐りかけた心に喝を入れてくれる大事な出会いだったと断言します。

 

要はふとした事でも親の影響を受けているので、無駄にはならないし、無理矢理に詰め込ませたり、頭から否定する必要はないんじゃないかなと、思います。

 

親の背中を通して子供は考える力を養うからこそ、臭い物にフタをして知らせずに「守る」事よりも、人としての在り方、親が自分自身で考え、出した回答を「見せる」事の方がいい影響になるのではないでしょうか。(良くも悪くも、大人の姿や行動から学ぶのが子供ですから。)

 

子供の頃に自分で学び、出した回答、大人になって気づいた親が見せ続けてくれた回答。それを「人間」は次の世代へ託していくのではないでしょうか。時には手を貸しながら・・・大人が何でもかんでも子供のためにと用意するだけの道からは、「人間」は生まれすらしていないと自分は考えます。

 

うん、パッと思い付きを書いちゃう深夜のテンションって怖いね

 

まぁ今でもゲームやってますし、好きですけどね!(台無し)