「世間、普通、常識」とは個人の頭の中にしかないもの

世間、常識、普通。これらは、その言葉を放った人にとっての「世間、常識、普通」です。万人に当てはまらないものです。

 

「世間ではこうなの。」「普通はそうでしょ。」「これくらい常識でしょ。」

これらの事は法律で範囲が定められたものでもないし、動物に生まれつき備わっているものでもありません。つまり、言葉では存在するのに、定義は個人のそれぞれの頭の中で全く違う、曖昧なものです。

 

「説明がめんどくさい、自分の意見を正しいと思いたい、自分の周りがそうだから」これらの理由で使われることが多いのではないでしょうか?私も道具に対しては、説明書に書いてある使い方を人に説明するのに対して、「普通の使い方はこんな感じ。」といったように説明します。

 

しかし、この「普通」は誰かと意見交換をして合わせたものでしょうか?違いますよね。「自分がそう思っただけ」です。たとえ、そうだとしても、自分の周囲、もしくは意見の合う人だけが「そう思っただけ」です。つまり、世間、常識、普通といった、よく使われる概念には基準なんてないのです。誰もが使う言葉なのに、誰も明確に説明など出来ないし、意見が一致しないのです。

要は「俺様がルール」の代表です。

 

世間、常識、普通は時代によって変わるもの

昔、たとえば明治時代の話をしましょう。明治時代、初めて「カメラ」と「写真」というものが日本に広まりました。

 

カメラにはこんな噂話がありました。「写真に写った人は、魂を吸われる。」当時の世間ではそう噂されていました。

 

だから昔の写真には魂を吸われないように、顔を塗りつぶしたりしたものもあります。

 

しかし、大正、昭和世代になるとどうでしょうか?顔を塗りつぶした写真はほとんど見かけたことはありません。私の家にある戦時中と思われる写真にも、顔を塗りつぶしたものが一枚もありませんでした。

 

そして、現在はどうでしょうか?全くありませんね。このように、世間や普通、常識とは時代によって変わっていくものであり、極めて曖昧なものなのです。

 

大抵使われる「世間、常識、普通」は他人が自分のために利用する攻撃手段

試しに聞いてみてください。世間とは何か?常識とは何か?普通とは何か?おそらく曖昧な答えと結論になるでしょう。

  • みんなの事じゃない?
  • 一般の人々、普通の人の意見
  • ネットとかも含めて問題起こしてない人

 

困って辞書で調べ始める方もいるでしょう。ですが、書いてあるのは世の中と言うことしかわからないと思います。定義がそもそも曖昧なのです。

 

ところが、これらの言葉を使って人を自分の意見の正しさを証明するための武器にする方は多いです。討論や口論、誰かと違う意見になると必ずこの言葉は出てきます。そこにこの言葉を使った本人はいません。この言葉を使うことで、自分は「透明人間」になりながら、他人を攻撃し、従わせようとするために使われることが多いです。

 

会話に出てくるこれらの単語は、根本的には、自信のない人が自分の意見を隠れ蓑に使う言葉です。自分の言葉に自信も責任も持てない人が使う言葉に何の縛りがあるでしょうか?何もありません。全ては、言葉にした人の頭の中の空想です。他人の妄想から生まれた言葉を真に受ける必要はありません。

 

大事なのは縛られて生きることじゃない

「世間、常識、普通」昔の日本は村社会で、繋がりを持って生きてきました。しかし、時代は変わりました。

 

ただ個人や核家族ではなくなろうと、人が人を思い、行動するという事はなくなっていないです。むしろ、言葉と繋がりで縛り付けていない分、自由に生きられる時代になったのではないでしょうか?

 

私はずっと疑問でした。子供の頃から周りの大人達は「周りとは付き合いを持っておけ。いざと言う時助けてもらえる。」そう言って、関係を保ちました。

 

ですが、別に付き合いがなくとも、怪我をしたり重いものを持っていたら助ける光景はしばしば見かけます。手は出さずとも、ハラハラしたら注目する人は見かけます。誰もが他人でも、助けようとしています。

 

だから私には当時から「なんで人に助けてもらう事が前提なんだろう?まずは自分で何とかしようとしないのか?他人を利用するために表向きの顔を作るのか?」と嫌悪感しかありませんでした。なぜなら彼らの言葉は、裏を返せば「周りに愛想を振りまかない奴は助けないよ。」という脅迫にしか聞こえないからです。こんな化かし合いを当たり前の「常識」として考える人達とは意見が合う気がしません。

 

少なくとも、私の周りのお年寄りはそういう方々ばかりでした。散々聞こえないところで毒づいて、いざその人の前ではみんな作り笑いをして笑顔で会話をする。表向きしか知らなかったらそれで十分ですが、全部裏では毒づいているのを聞こえていた身としては、正直人間という生き物に対して吐き気がしました。(そりゃ誰かのウチの前で話してりゃ聞こえるって。)この人達は何十年もこんな生き方をしてそれが当たり前になっているのか、と。根本的に違う生き物なんだなと感じたくらいです。ですが、彼らや周りから見れば、私の方が異端なのでしょうからお互い様ですが。

 

言いたい事も言えない世の中になったからこそ、自分勝手な横暴者だけが生きやすくなり、周りを思いやる方々が息苦しい世の中になったのではないかと考えます。

 

意見の合わない人と無理して付き合う必要はないし、だからといって相手を潰そうとする必要はないと考えます。みんな違う日に生まれて、見てきたものも違います。違って当たり前です。そして、それは生きている限り人生経験をして変わってくるものです。だから新しいことが生まれるのです。自分の考えを持って、互いの視点を尊重して生きる世の中にしたいですね。