遺産相続で貧乏から一転、勝ち組になった経験から、私が実感した事を書きます。

 

一人暮らしの叔父が独身で末期癌。家を引き継ぐ人間も、叔父の妹で、私の母の一人息子の自分以外おらず。

 

私は家賃2万8千円の安いアパート暮らしで、将来も見えない暮らしの中、手取りは11~12万円だった頃から、いきなり3千万以上の遺産と、母の実家である一軒家を相続することになりました。

昔の写真が出てきたので貼りました。私が3年以上暮らしたワンルーム。狭いのは仕方ないですね。前に住んでいた所もワンルームでその時は家賃2万6千円だったかな?近くに店があって駅にも自転車で20分くらいだったので結構気に入っていました。

ワンルーム

 

その時の心境を一言で申し上げると、とても俗物的で醜いものです。しかし、あえて書きます。

 

「入院し続けてお金が減るから早く亡くなってほしい」という気持ちと、「元気になって退院してほしい」という気持ちの矛盾した葛藤が、叔父が亡くなるまで続きました。

 

金への執着と人への思いやり。私はここで、私自身も自分の事しか考えていない醜い人間だと嫌というほど自覚しました。しかし、出口の見えない来月や再来月への不安から解放される喜びで、笑顔を抑え切れませんでした。そんな自分を醜いなと感じていました。

 

人間は内心で矛盾した感情を抱えたり、一つ二つ程度の思惑と利益も考えるものです。その中の一つを言葉として喋り、コミュニケーションで他人の性格を知ります。

 

言葉にしなくとも様々な感情を抱えている方は多いと考えています。

 

私の経験から言えるのは、「自分自身が醜い感情を持つこと自体を否定しないでほしい」という事です。(人に言いふらしたり、露骨な態度に出す必要はありません。)人間は複雑で自分でもよく分からないものです。優しくなれる部分となれない部分もあります。

 

自分の理想の性格や人格になることに憧れ、そうあろうとするのは立派ですが、自分の心から目を逸らしては遠ざかるだけです。人は清濁併せ持つ生き物です。それを忘れないでほしい。

 

その感情があるからこそ人に優しくもなれるし、残酷にもなれるのだと。

 

誰だって犯罪者になりたくてなるわけじゃありません。「魔が差した」という言葉があるように、バランスを崩して人生を台無しにすることがあります。

 

だからこそ自覚してほしいのです。バランスを知っておけば、転び続けたままではありません。自転車と同じです。

 

おそらく皆様はこう思うでしょう。「金があるからそんな事が言えるんだ!」「金持ち様はさすがだねぇ。」と。

 

その通りです。心に余裕がある時は優しくなれるし、減っていけば、余裕が無くなるので喚きます。私は小物なのですよ(ドヤァ)。

 

相続から6年経ち、自分の環境が色々激変してなんか色々通り越したような感覚が来ることがあって、自分でもわけが分かりません(笑)

 

私は無理に理想の人格者になる必要はないし、仮にそうであろうとすると、必ず心に無茶が来て極端ないじめや差別を始めたり、非を認める事の出来ない人間になり、自分自身をさらに苦しめる事になるのではないかと思います。だってそうあろうとしたら、理想と違う自分を受け入れられず、引っ込みが付かなくなって暴走するでしょう。本当はそれこそ理想から離れていくだけです。

 

次回は人から見れば一軒家のお金持ちになって、いわゆる「勝ち組」になった私がなぜ自殺未遂と人間不信でほぼ引きこもり同然になっていったのか、それを記事にしたいと思います。