私は不安で呼吸が苦しくなり、吐き気を抑えて家の方向へ歩き始めました。

 

途中、少しでも違う事を考え、楽になれるかと、途中にあったゲオに寄ってみました。違う事を考えようとしたのです。

 

しかし、何を見ても頭に何も入ってこず、店内に流れる BGMなどの情報量が逆に多くなり、悪化したため、入ってすぐに出ました。

 

歩きながら、18時直前になりました。私は歩行路でうずくまりました。靴ヒモを結ぶフリをしていましたが、通行人に心配されるのを防ぐためです。今の状態で人に声をかけてもらうのは不安でした。かとって、一人になれる空間もありません。

 

「大丈夫。」私は何度も何度も頭の中で自分に言い聞かせました。

 

こういう経験をした方なら分かるかもしれませんが、頭では「これは大丈夫、ただの思い込みだ。」そう考えていても、体が強制的に動けなくなったり、具合が悪くなったりする経験はあると思います。頭では冷静に分かっていても、体が勝手に反応するのです。私達の意識は、本当は体の表面のほんの一部でしかないのだなと感じました。なぜなら体の大部分を制御できないからです。脈拍、呼吸、瞳孔。意識をするだけでは変化しませんし、勝手に止めたりする事もできません。睡眠を取ると自我が認識しなくとも体は勝手に生命を維持します。

 

本心は体の方がよく知っている。私達の「自我」はもしかしたら、人間という種に起こった「突然変異」なのかもしれません。

 

心の傷を乗り越えた瞬間

 

「思い出せ。お前はずっと平気だった。子供の頃も、これまでも。俺が今感じているものは、錯覚だ。俺を縛る鎖なんてどこにもないんだ。俺は俺自身を勝手に縛っている。落ち着け。俺を縛っているのは、近所の人達の誹謗中傷を受け取ってしまった俺自身だ。近所の人達がどんないちゃもんをつけていようが関係ない。あの人達はただ人に難癖をつけるだけで、何もできない人達だ。あの人達の言葉に、行動に、勝手に自分を縛っているだけだ。そんなものはどこにもない。鎖なんて無い。お前は自由だ。動ける。」

 

私は必死に言い聞かせながら、うずくまってえずいていました。そうして、気づいたら18時を過ぎていました。

 

「18時を過ぎたぞ。ほら、乗り越えた。もし彼らが仮に何か言ってきても、お前があの人達の言葉を聞き入れる必要はない。あの人達はただ、「わたしたちの考えた真人間」と違う人間に勝手に嫌がらせをしているだけの、クズだからだ。あんな奴らの言葉なんて聞くな。無職だからなんだ?生活面でも金銭面でも何にもお前は周りに迷惑をかけていないじゃないか。関係ない人間の言葉をいちいち聞く必要はない。」

 

私は私自身を説得しました。

 

当然の話です。私が無職だからと言って、家庭でも回りでも誰にも迷惑をかけていません。相続した遺産もあるので金銭面でも特にそうです。彼ら彼女らが勝手に私を無職と広めて、人の行動の全てに一方的に難癖をつけているだけです。それに私は引っ越してきて相続するまで働いていましたし、そもそも無職だからと言って、誰かに迷惑をかけたわけでも、犯罪をしたわけでもありません。労働と納税の義務は国から課せられていますが、「何の権限もない近所の赤の他人」に人を糾弾する権限は全くありません。そして、彼らの言葉を受け入れる義務もありません。彼らが自分勝手に私を誹謗中傷する自由があるように、私にも、彼らの言葉を受け入れなくていい自由があります。

 

彼らの言葉はただの誹謗中傷です。聞く必要は全くありません。納税の義務があるなら、しかるべき機関の人間が事実だけを確認して訪問します。憶測や妄想だけで赤の他人を一方的に誹謗中傷する人達の言葉など、一切受け入れる必要はないのです。

(ちなみに私は国民年金は滞納していますが、正規の申請をして納税免除しています。少しずつ支払う予定です。固定資産税、市県民税や国民健康保険など、全て支払っています。それは自分の責任ですから、自分の家庭以外には関係のない話です。憶測や妄想、金持ちはこうだという偏見で何年も一方的に誹謗中傷をする人間の言葉など、ただの害でしかありません。したがって聞く必要は全くありません。)

 

18時を過ぎた私はだんだんと大丈夫だと体も理解したのか、吐き気が収まり始め、また立ち上がって、歩き始めました。私の中に植えつけられた心の傷を、私自身の鎖を断ち切りました。私はこれ以降、この時間帯の外出も再び可能になりました。私はまた一つ、乗り越えたことで自分を取り戻したのです。

 

数駅歩いた所で、電車が復旧したというお知らせを見かけました。大体1時間ほど歩きました。私は電車に乗り、家に着きました。私は疲れよりも、自分自身で乗り越えた喜びと達成感で体が興奮し、その日は眠れませんでした。

 

翌日から私は夜も自由に出かけるようになります。開放感から来る反動でしょうか。特に近所の映画館は、金曜日は千円で映画を見れたので、私は夜に映画を見に行ったりするようになりました。

体はボロボロだったと気づいた。

そこで気づきます。それは映画館のトイレに入った時です。私は鏡を見ました。

 

私は驚きました。そこには目の下が黒くくぼみ、頬の痩せこけた、ガイコツみたいな色白な顔をした自分が映っていたからです。

 

今まで、家の鏡を見ていても、ここまで酷いと思っていませんでした。考えてみれば当たり前です。用事のない時は家にこもりっぱなしで、雨戸すら開けていなかった。食べ物もそこまで食べず、ボーっとしている日々。死のうとずっと考えていた日々。いきなり少し筋トレをしたくらいで、食べるものもそこまで変わっていません。

 

筋トレをして数週間で体が動くように感じるのは、筋肉がついたからではありません。「刺激を与えた事で使う筋肉が増えたため」です。私は食を改善していないので、体は筋トレによって使う筋肉が増えたけど、筋肉自体が強化されたわけではないということです。私は栄養について少し考える事にしました。

 

久しぶりに冷蔵庫の整理をしました。冷蔵庫側は食べ物が腐るため、あまり食べ物を入れていませんでしたが、冷凍庫は酷い状態でした。その結果、家に20年近く前からある蜂蜜が出てきました。この蜂蜜は覚えています。浜松へ祖父母が遊びに来たときに買ったものです。

 

「純粋蜂蜜?」私は蜂蜜の種類などにはあまり詳しくないのですが、調べてみました。結果、この蜂蜜を食べる事にしたのです。

 

この蜂蜜の詳細は、私のもう一つの日記ブログ、「常在日常」で語っています。記事は消えましたが、画像は残っているので、掲載します。コピーして今の日記ブログにも貼る予定です。結論だけ言うと、純粋蜂蜜は食べられました。そして高濃度の栄養が含まれており、私はこれで血色もよくなりました。

 

これが冷凍庫から出てきた蜂蜜。「純粋蜂蜜」は賞味期限が決められておるものの、基本的に腐るということはないようです。そして、疲労回復、肌の保湿、様々な栄養価、血糖値の調整と、私に必要な栄養のほぼ全てを賄う事ができました。

はちみつ

 

溶かすことで再び綺麗な色になりました。味も変わらなかったです。

はちみつ

 

私の止まっていた時間は少しずつ確実に動き始めていました。次回へ続きます。