遺産相続後に始まった幼い頃からの近所づきあいのある人達からの一方的ないじめ。いじめの理由を3つと対策2つをまとめました。現在似たような状況の方の参考になれば幸いです。

理由① 陰口や悪口、難癖を付けるのが当たり前の日常である

私の母の実家の近所の人達は、生まれた頃や幼い頃からの知り合いでした。そして祖父母や、叔父が存命の頃は特に悪口などをしていません。

 

ところが、皆亡くなり、私一人になって相続したら、私に対しての集中的な難癖付け、陰口などが始まりました。しかも、主犯に苦情を言い、その主犯から周りに自分達の陰口が聞こえていたのも広まったにも関わらず、主犯以外も定期的に私が家にいるような生活音、明かりが見えるたびに自分の家族や周りの人と難癖を付け合っています。

 

なぜ止めないのか?簡単です。

 

陰口や難癖を付けることが「悪い事」だと思っていないからです。相手を傷つけている自覚がない上、「相続をして金持ちになったのだから非難されて当然だ。」という理不尽な理屈がまかり通っているのですから、反省するわけがないのです。

 

彼女達は他人の陰口を悪い事だと思っていません。それは私が相続のために戻ってきた初日の話です。

 

戻ってきた私に話したのは、「気をつけなよ。お隣さんはね、駐車場のフェンスを勝手に切ったのよ。」というまずは悪口を吹き込んだのです。

 

家の皆が亡くなり、相続し、新しい生活が始まる矢先、まずかける言葉が「これから大変だろうけど、頑張ってね!」というような応援の言葉ではなく、まずそこにいない近所の家の悪口でした。彼女達は笑顔です。この時点で「あれ?こんな人達だったっけ?」と違和感がありました。

 

ちなみにこの悪口を吹き込んだ張本人で、私へのいじめの主犯は、私へのいじめを開始した後、悪口の対象だった相手と積極的に仲良くなろうとしています。彼女達はこんなやり取りが日常と化しているのです。

 

理由② 「金持ちは悪である」という先入観

日本では「お金持ちは悪である」というイメージがあります。しかし、ただの妬み僻みでしかない事が圧倒的に多いです。

 

私が引き継いだのも、叔父が高校卒業後から60歳の定年まで電気工事士として働き続けた事で、コツコツ貯めていたお金と退職金です。何も違法な事はしていません。私自身も正規の手続きで残りを引き継いだのです。何も悪い事はしていません。

 

じゃぁなぜいじめが私の代で始まったのか?彼女達の妬みです。主犯が私に聞こえるように言った悪口に、「人生を楽に生きて許せない」と言った事がありますが(私はこの主犯の悪口を一生許すことはありませんが。)、まさにそれです。

 

ただの若者が、一軒家と遺産という「幸運」を手にした妬みです。私へのいじめが始まったのはまさに相手の一方的で身勝手な理由なのです。

相手が自分の感情も制御できない幼稚な老人達であって、私の問題ではありません。

 

理由③ 根本的に価値観が違う

私は相続前は、家賃2万8千円のアパートで手取り12万くらいの賃金で働いていたフリーターです。

 

しかし、同じ所で働いていた気の合う先輩と出かけたり、飲みに行ったりして、お金があまり無くとも、幸せに暮らしていました。毎月3千円くらいしか残らない生活で、来月再来月とずっとこんな生活が続くのかと、不安になる事はありましたが、心は満たされていて楽しかったです。「お金が全てではない」という考えはここから来ています。

 

私には周りに自分の裕福ぶりをアピールする必要もないし、見せ付ける相手もいらなかったからです。ただ気楽に休みの日に出かけ、飲みに行ったり、雑談して「○○まで行ってきたよ~。」といった話が出来ていれば満足でした。

 

ですから、私は近所の方々が何の罪悪感もなく始めた私へのいじめを受け入れることは出来ませんでした。

 

彼女達にとって私は「家族を亡くして一人で暮らすことになった○○さんのお孫さん」ではなく、「一軒家と遺産を相続したずるい若造」でしかなかったのです。(もちろん私は正規の相続人であり、彼女達は何の血縁関係もない近所の人達です)子供の頃から信用していただけに、本当に人間への見方と価値観が一変した出来事でした。

 

世の中には本当に「お金」などの表面的なステータスでしか人間の価値を図れない人がいると思い知ったのは、これが初めてでした。ハッキリ言って現在も犯罪者や気狂い扱いです。(もちろん相続前と何も変わらない暮らしをしていただけです。)その後の私へのいじめはこちらの日記で書いてあります。

 

対策①:相手の正論なんか受け入れる必要はない!

相手の言う事が正論だからって、受け入れる必要はありません。なぜなら、「相手にとっての正論」でしかありません。

 

「あいつは無職。皆働いているのに、働いていない。だからコイツの悪口を言っていいんだ!難癖つけて悪評流してやろう!」これは彼女達の正論です。

 

「皆亡くなって、一人になって寂しいけど、周りは幼い頃から知っている近所の人達だ。遺産はあるし、遺品整理しながら自分のペースでまた職なりバイトなり探せばいい。」私にとってはこれが正論です。

 

彼女達の正論と私の正論は全く違います。周りが私をどう言おうと勝手なように、私も彼女達をどう捉えようと私の勝手なのです。

 

私は彼女達が嫌いです。正論でも聞く必要はありません。不快感の方が強いからです。

 

必要な情報や批判はそれ以外の方がしてくれます。自分で気づく事もあります。そして私自身が何をするのか考えます。最後は私自身が踏み出せばいい、それは私自身の問題であり、彼女達は私の人生に必要ありません。

 

実は主犯は相続当初に表向きで私の正論と同じような事を言って私を励ましていたのですが、周りへ向けた表向きの態度だった事が分かります。自分は良い人だと主張したかったのでしょう。

 

ニートや引きこもりが「働きたくない!」というのは大きな誤解である!

 

実際、私はしばらく無職でいた期間を何度か経験し、遊んでいます。ですが、やはり退屈で、働きたくなるのです。社会に関わりたくなるのです。

 

そこで問題が出てきます。「世間の目」という他人の偏見です。

 

職歴に穴がある、今まで働いていない。

 

日本は特に「常識」「世間」「普通」というものであろうとする人が多いです。そこから外れた人間には何をしてもいいと本気で思っている方もいます。

 

私から見れば、そういう方達のせいで、社会復帰がしづらい現状になっているとしか思えません。

 

一番の問題は、戻ってきた人達に石を投げる「普通の人々」の方にあります。

 

対策②:「いつでも倒せる」という自信を身につける

私が男性だからかもしれませんが、私は筋トレをして、動ける体になり、私をいじめる主犯に2回直接苦情を言いに行った辺りから、「おう、喧嘩なら買ってやるよ。やるのかコラ?」みたいな攻撃的な姿勢に変わりました。

 

「相手に自分の意見を言う」事に慣れ始めたのです。

 

もちろん、どうでもいい事では相手に譲る事もありますが、譲れない部分ではたとえ相手と仲違いしようと引き下がる気はありません。仲違い上等なくらいです。

 

「体に自信を持てば、心にも自信が持てる」と言う事です。実際、アドレナリンの分泌量が変わるので、強気になれます。

 

マッチョになる必要はありません。「俺はここまで出来るぞ。お前らには出来るのか?」と言う気持ちを持つことです。いわば自分だけの自信です。

 

「俺は逆立ちして腕立てを10回出来るようになった。最初は逆立ちすら辛かったのにだ。他にもママチャリで埼玉から池袋を往復した。ママチャリの部品を流用したクロスバイクで奥多摩へ往復100キロの道を自転車で走った。お前らに出来るか?」

 

別に他人がそれを出来ようが関係ありません。自分の中で自信となるものがあればいいのです。周りに自慢して話す必要もありません。

 

「いつでも倒せる」と言うのは暴力に限った話ではありません。「俺はこれだけやれる。お前らのように、誰かがいないと陰口の一つも叩けないような小物は勝負にならねぇよ。」という自負です。

 

「優しい人だね。」と言う言葉を鵜呑みにするな!

 

私自身は今まで人から「優しい」と言われ続けていましたが、私はこの「優しい」という性格がいかに役に立たないか、思い知りました。

 

私自身の経験からハッキリ言います。「優しい」だけの人間に価値はありません。いざという時にものをハッキリいえない人間は「優しい」のではなく、「弱い」人間です。

 

人は他人に大して興味を持っていません。しかし、事を荒立てたくないから「あなたは弱い。」を「あなたは優しい。」という無難な表現に変えているだけです。その気遣いこそが「本当の優しさ」です。もしもあなたが「優しい人だね。」と言われたなら、それ以外の言葉を言ってもらえるように、自分を見直して新たな一面を身につけてみましょう。

 

結論:単にウチの近所の連中の性根が特段腐っているだけでは?

根も葉もない結論ですが、ウチの近所の専業主婦たちの性根が圧倒的に腐っているだけでは?という何ともいえない結論に達してしまいました。

 

彼女達がああいう性格になった原因が

  1. この一軒家の並ぶ通りが日が当たりにく、通行人も通り抜けしにくい地域。
  2. 急行などが止まらない比較的田舎であり、年寄りが多い。
  3. 老婆達は昔の専業主婦であり、この近所周りで時間が止まっている。
  4. 老人であり、人生の先輩であるという驕り。

 

これらの閉鎖的な地域と、移動場所がこの近くくらいしかない事による「視野の狭さ」が最大の原因かと思います。

 

今さら新しいことはできないという思い込み、「周りがこうだから」という強い同調圧力。自分は年寄りで人生の先輩であるという驕りもあると思います。

 

私から見れば彼女らの行動の何にも尊敬できる所はありません。「こんな年寄りにならないようにしよう」という反面教師として強く記憶に刻まれましたが、そこは感謝ですね。

 

皆様も酷い理不尽なご近所さんで、今後も付き合っていかなければならない場合は、理由と対策を明確にして、大人の余裕を持って「おとなこども」を受け流しましょう!