なぜメンタルが不調になりやすいのか。私は子供の頃からずっと考えていました。

 

ちょっとしたことで落ち込み、いつまでも引きずる。職の相談に行ったハローワークでも指摘されたのが、「ストレス発散が下手くそ」という事でした。

 

私は我慢してしまうタイプの人間で、そのため日ごろから無意識にストレスが溜まっており、ある日突然爆発するのだと。

 

そして、周囲の評価も「日頃は優しく怒らないタイプの人間」だと思われていると、それに応えようとする真面目なタイプの人間です。だからストレスを溜めやすい。人が期待する自分を意識して、自分を出すことができないからです。

 

現在の私は、周囲の評価をあまり気にしなくなりましたし、人の期待を裏切っても気にしない人間になりつつあります。ではどうしてそうなったのか、私自身の体験をお話しします。

 

周囲から「真面目、優しい」とよく言われる人間だった

私は幼い頃から周囲の大人や先輩たちに「真面目だねぇ。」とよく言われるタイプの人間でした。

 

私自身は確かに真面目ですが、やる事やって終わらせたら、だらけたり手を抜いたりするタイプの人間なので、真面目だとは思っていませんでした。

 

自分では真面目だと思ってないのに、真面目だと言われると、そうふるまわなければならないと思っていました。期待を裏切った時の周囲の微妙な反応や距離感が辛いからです。

 

「なんで生きているんだろう」とずっと苦しかった

周囲の期待、そして応えられない自分。ギャップに苦しみ、何かミスをするとそこにいられなくなり、辞めてしまうタイプの人間です。だから私はバイトや派遣の職業を転々としていました。

 

「自分が仕事で人に迷惑をかけられるのは構わないけど、人に迷惑をかけるのだけは嫌だ!」という、自己犠牲の強い人間です。どこにいても居場所がないし、いつでも自分の代わりが社会にはすぐ出来る。その人たちの方が遥かにうまくやっていける・・・

 

「俺って、この世界にいる意味あるの?」ずっとこんな気持ちを抑えながら、抱えながら働いて生きていました。

 

だから、家と遺産相続して働かなくなりました。社会に必要がない人間だからです。「また後から働けばいいや。」と、思って、遺品整理をダラダラやっていました。

 

その結果、相続から数か月後に、近所の人達のいじめが始まります。その後の経緯は引きニート日記を見てもらえばわかります。

 

おそらくですが、いじめが始まらなくても、結局同じことの繰り返しです。「自分がここで働く意味がない」とすぐに感じ、何かミスをすればすぐ辞めてしまうでしょう。

 

今の私だから言えます。私の本当の問題は私自身にあります。

 

どうしようもなく低い自己への評価。これが生きづらい原因です。今だからこそ言えます。

子供の頃の能力差に「社会に通用しない」と思った

小学生の頃から、私は人よりも劣っていました。

 

「普通の人のように」うまくできませんでした。工作の授業、裁縫の授業、料理の授業、どれも早くできませんでした。

 

何をやっても居残りさせられ、苦痛の日々でした。

 

「自分は普通の人より劣っているんだ」そう実感して苦しくなりました。

 

「俺は大人になっても、社会じゃ通用しないんじゃないかな・・・」こんな不安を抱えて大人になりました。

 

「28歳になる頃には、この世を去るだろう。」子供ながらに勝手にそう思っていました。28歳の誕生日を過ぎて、何の病気もなく健康な自分に対して「まぁ、そりゃそうだ。」と一人苦笑していました。

 

私は見事に社会に通用しない大人になりました。私は大人になるまでにどうにかならないかとあがいていましたが、結局どうにもなりませんでした。

 

子供の頃から毎回作業を1分1秒でも早くしようと意識しても、うまくできませんでした。

 

「普通の人になりたい。個性的でなくていい。目立たない普通の人として人生を過ごしたい。」どれほどそう願ったか分かりません。結局普通以下の大人になっていました。

 

「性格が真面目なだけの無能」です。どこに行っても少しミスをしたら折れる人間です。だからふらふら長続きせず、バイトや派遣を1年以内に変わってさ迷っています。

 

幼少期から成功体験がほぼないから努力もできない、言い訳が先に出る、いつも周囲の評価に怯える人間になりました。

 

(本当にほぼ成功体験がないか?という件については当時は考えていません。この時の私は現在よりも視野が狭いからです。)

 

今まで我慢していた反動がきた

私が「今の私」に変わった原因が、家と遺産相続をしたことで始まった、幼い頃から信用していたご近所さんたちの妬みから来るいじめです。

 

いつも笑顔でやさしい人たちという風に好印象だった人達が、陰では私の難癖をずっとつけ、外で会うと笑顔で親しそうに接してくるのです。

 

特に主犯は、「何か困ったことがあったら言ってね。私はあなたの事を孫みたいに思っているから。」と笑顔で励ました人です。

 

私は人間が怖くなりました。そしてだんだんと引きこもるようになっていきました。

 

私の身内は県外の父(と再婚した義母。私とは仲が悪い)以外、いません。私を励ます人も、助けてくれる人もどこにもいませんでした。私は孤独だったので、人を全く信用しなくなりました。どれだけ良くされようと、裏で何を言っているのか分かったものではありません。私を生まれた頃から知っていたりする方々ですら皆そうなのですから。

 

人間が怖いのでカウンセリングなども行けません。私は何年も家と近所のスーパー、時々墓参りに行く。相続した投資の方針の相談で銀行に年に数回行く、相続前に働いていた人の飲み会への誘いが年に1回あった時に行く、それ以外はほとんど引きこもり同然の生活を数年にわたって続けていました。

 

引きこもりじゃないと言われればそうですが、元々仮にも社会人でしたので、人目は気にしていました。彼らは私の事情をよく知りません。こうなる前の私を知っている人に違う目で見られるのが怖かったのです。私はこの頃に包丁で何度も自分の頸動脈を切ろうとしていました。楽になりたかったからです(結局、切り裂くことはしませんでしたが)。家に帰れば近所の方々の難癖や陰口が始まるからです。地獄のような日々でした。膝を抱えて泣いたこともあります。

 

そうして悲しんでいると、沸々と怒りが湧いてくるのが分かりました。一方的な加害者達の攻撃を受け続ける理不尽への怒り、理由も分からず、子供の頃から信用していた人たちからいじめを受ける苦しみ、憎しみ。

 

「なんで俺がこんな目に遭わないといけないんだ!」私はこの時から、怒りと憎しみを現在まで抱えています。(その辺りの話は引きニート日記を参照)

 

ある意味「今の私」があるのは彼らのおかげではあるのですが、近所の方達は誰一人謝罪もすることなく被害者面しているので嫌いですし、仲直りしたいとも思いません。私の中では縁を切っています。今後の私の人生にこの人達は必要ありません。

 

「私」はまだ生まれてすらいなかった

 

ずっと我慢してきた、人からの評価。それが、「私のためではなく、彼らが他人をこういう人間と決めてしまえば楽だからという身勝手な理由だ」と気づきました。

 

「彼らが勝手に決めた私」を私は演じていたにすぎません。それは私の人生とは呼べません。

 

「私」は止まっていたのです。今までずっと、「私の人生」を生きていませんでした。

 

私は子供の頃からずっと、「外部の結果から出来た私」を生きていたのです。それは、「私自身」の人生ではありません。辛いし苦しいのは当たり前です。

 

それは、「子供の頃の結果を評価された私」を生きた結果です。社会に出たら子供の一人ではなく、一個人に変わります。それが「彼らが評価した私」になりました。

 

「彼らが評価した私」を社会で生きていたから、「私」は居心地が悪く、辛くて仕方ありませんでした。「私」はどこにいるんだとなるのも当然です。その結果が「自分探しの旅に出る」という事になるのです。

 

外には本当の私はいません。ひたすら心を、過去を、すべて掘り下げて、思い込みのフィルターを外して、ようやく見つかったのです。

 

「私」は、大人にすらなっていないのです。子供の頃から止まっていたのです。ようやく「私」の人生が始まりました。それが現在です。

 

そもそも何かにあてはめられないのが人間

私はこれ以降、「私自身」を当てはめることは無くなりました。

 

「真面目」「優しい」「親切」どうでもいいです。私の心が「良い」と思うことをし、「悪い」と思うことはやらない。

 

私は私の心に従って生きることにしました。もちろん犯罪はしませんが。

 

そもそも言葉に出そうが文字に起こそうが、人間の心のすべてがそこに現れるわけではありません。これだけで私の人生の全てが誰かにわかるほど安い人生ではありません。皆さんもそうです。

 

そもそも人は何かに当てはめる必要はありません。生きたい自分を生きて、他人が勝手に評価すればいいと思います。彼らは私にはなれないし、私は彼らにはなれません。

 

私は世間的には無職ですが、そもそも私自身を何物でもないと捉えているので気にしなくなりました。もう「真面目でやさしい私」を生きるつもりはありません。今までと変わりませんが、人にどう思われるのか、人にどう評価をされるのか、たとえ失望されても罪悪感が減ったのは事実です。

 

「改善できるところは改善するけどお前の心情なんて気にしないよ。」といったところです。まったく気にしないとまではいかないけど、今までよりは随分楽に生きられるようになりました。

 

しかし、働いていると生きている実感があるのは事実だし、楽しいので、短期バイトだけでなく、自分の納得できる生き方、働き方を模索している最中です。

 

そんな私を皆さんがどう思おうと、それは「皆さんが決めた私」であって、「私」ではないのです。これからも「私」を生きていこうと思います。「私」の人生を。

 

まぁ人に理解してくれというのは難しいし、トラブルになるので何とかしたい気持ちもありますがwうまく折り合いをつけて生きますか。あの世に持っていける良いみやげ話をたくさん作っておきたいですからね。

 

私はどうなったのか

「今の私」は以前の私とは異なります、とは言えません。ずっと仮面をつけていればそれが本当の顔にもなります。

 

以前の私と「今の私」が融合し、模索している人格といったところです。ただ、人の評価はあまり気にしなくなりました。

 

それでいて自分の悪いところは素直に認め、改善できるところは改善し、妥協も含めて謙虚に生きようとしています。「本当の私」を理解しているかと言われたら、よく分かりません。大事なのは、知識や思い込みのフィルターを外した心のままに生きることだと思います。

 

「本当の私」で生きるのも、悪くないです。いずれ生きていれば色々なことがあります。その時はその時考えます。今はないものを気にしても仕方がありません。

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