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今回の話は過去記事の続きとなります。前回、自治会を抜けたと思っていたのですが、実はまだ任期のままでした。そして、私が自治会を抜けていいと許可を出したのは自治会長と私の地区の組長です。

経緯

今回私のせいにされたことは、この自治会の地区組長にやられました。本当にこの町の老人達は性根が腐っていると実感しました。

4月に入り、4月の回覧板が回る頃の午前、地区の組長から電話がかかってきました。

地区の組長
ねぇ私さん?回覧入れたけど次の方に引継ぎしちゃった?

はい、引き継ぎました。

地区の組長
回覧をポストに入れたんだけど。

は?

実はねぇ5月まで任期なのよ。もう次に道具全部回しちゃったの?

はい。回しました。

地区の組長
困ったわねぇ・・・じゃぁ私の古いものを貸してあげるから。

あんたが自治会長に確認したから引継ぎしていいって言ったんでしょうが・・・

地区の組長
あなたも家を離れてマンションで暮らすのも良いかなーって言ってたし。引っ越すのも考えた方がいいと思うの。

何言ってんだこいつ。自分のミスを認めたくないから、引っ越してきた俺が悪いんだから町から出て行けと?頭おかしいな・・・

私のせいにした地区の組長は私への近所いじめの相談に乗ってくれた

この方は、周りのいじめをしている近所の方々と同様に、私の家とは私が生まれる前から付き合いのある方です。私へのご近所いじめの相談に乗ってくれた方で、恩義を感じていましたが、今回の1件で、結局はご近所いじめの主犯と同じ思考の人間だと分かりました。

私に起きたご近所いじめは過去記事参照。

おそらくたまたま敵が一致していたから、協力してくれただけなのでしょう。しかし、自分がそれ以外のところでミスをしたので、私のせいにすればいいと逃げたのです。組織によくあるトカゲのしっぽ切りみたいですね。

そして、それがバレると近所間での陰口の対象にされると考えたのか、私に町を出ていくように示唆したのです。(たかが連絡ミス一つで誰かに言いふらす気なんてないですよ。呆れた人です。)


ハッキリ言って、とんでもない話です。ずっと同じ閉鎖環境で長い事過ごしていると、人間はここまで腐るんだなと、村社会の日本の腐敗を実感しました。

そして生まれた頃からの知り合い達をまだ人として信用してしまう心が残っている自分の愚かさを反省し、今度何が起きてもいいように、対策を考えました。

人のせいにする人たちの心理を分析

人のせいにする人たちは、いくつかの理由があります。

  • 責任を取るのが怖い。
  • 頭がボケて本当に忘れている。
  • 自分を守るため。
  • 他人を陥れるのが好きだから。


いずれにせよ、度を通り越した自分勝手な人間なので、小さな災害が起きたと思って対処しましょう。

今回のケース

今回は相手が高齢ですが、ボケているわけではありません。なぜなら普段の回覧をポストに入れるときは、毎回電話はしてきません。

早めの引継ぎを私にさせた「今回に限って」電話をしてきました。つまり、自分が引継ぎをさせたのを知っているからです。
引継ぎをさせなければ任期の途中なので電話をしてきません。

つまり「自分のミスを自覚しているのに自分は悪くない!」と私のせいにしたのです。


腹の立つ話ですね。さらにこの後、私がいずれ今の一軒家を売却して引っ越すのもいいかもと、世間話で言っていたことを突然引っ張り出してきます。

「引っ越しなさい」と言わんばかりに。


いずれ一軒家を売却して引っ越すというのは、私の選択肢であって、他人にそのタイミングを強制される筋合いはありません。


以上の事から、責任を取るのが怖いため、私のせいにしたのだと分かります。

そしてそれが周り近所に発覚するのを恐れたため、私を町から追い出して「なかったこと」にしようとしたのです。

本当に腐りきっていますね。

人のせいにする人たちへの対処法

記録に残すこと

何といってもこれに尽きます。その人と会話をする前に、録音や記録をしておくのです。

そうでなければ今回のように、私のせいにして、近所周りに「私が勝手にやった」と言いふらすでしょう。正義も公平も報われることはないのです。

手帳に日付と時間、大雑把な見出しの内容など、軽くメモをするのもありです。露骨に相手の前で手帳を取り出してもいいと思います。

それ以外では小さな録音機を常にポケットに入れておき、録音ボタンを押しましょう。

録音した内容を時間のある時に整理して手帳に書いておくのもよいです。

手帳に書く場合は一言一句の会話内容を書いているとさすがにおかしいので、メモ書きのように要点だけ書きましょう。

勝手に録音していたとなれば、逆に訴えられかねません。相手に知らせる前に周囲に相談しましょう。孤立しているならばインターネットで調べるのもいいと思います。

録音は最大の切り札であり、相手の承諾なしの盗聴として訴えられる諸刃の剣にもなります。録音がしっかり撮れているのか確認して、Googleドライブなどにアップロードしてバックアップを残しましょう。

自分の中の「人間」としての基準を決めておくこと

私の考える人間の定義の一つは、「間違えたなら素直に認め、改善案を出すか、素直に謝る」というのが基本です。

私自身が間違えることもあるので、相手のミスを文句をつける気はありません。私もさらに高齢になればミスが増えますし、素直に謝れなくなるかもしれません。そこはお互い様だと思っています。

しかし、今回の件は明らかに相手がミスをし、それどころかミスを認めたくないがために私の存在を排除しようとしました。許せる範囲を越えています。

ここまでされて相手に好意を持ったままなわけがありません。子供ならともかく、自分の遥か年上の行為です。
いくら衰えが始まっていようと赤の他人に対してやっていいことではありません。

人間は人種だけでなく、人格、仕事の地位、様々な区別があります。同じ人間は一人もいません。相手も同じ人間だという考えを捨てましょう。

私も以前は「相手も同じ人間だ」という考えはありましたが、それは誤りだったと今は実感しています。

体のつくりは確かに「同じ人間」ですが、思考、捉え方、いわゆる心(自我)は異なります。同じ人間なわけがありません。

頭で理解するのではなく、心でこれを理解すると、相手を同じ人間だと思うことは無くなりました。

そしてこれは、身内でも同じです。血のつながりは関係なく、自分の中で「人間」の基準を決め、接していきましょう。

「生んでくれたから」「親だから」と、不合理で非常識な事まで付き合う必要はありません。あなたは血の繋がりはあるけど違う人間です。

自分の基準を持ち、人生で少しずつその基準をうまく使いこなしてしたたかに生きていきましょう。

人の皮をかぶった動物だと思えばいい

私の対処法として、もう相手を「人間だと思わなければいい」という事です。なぜなら、相手が人間の定義からすでに外れているのだから、無理に「人間」の枠に収めることはしません。

それは他の「人間」に対して失礼に当たります。

私はこの人や、周り近所のいじめを私に仕掛ける老婆達をすでに「人間の皮をかぶっているだけの動物たち」と定義しています。

彼らが外でいくら騒ごうが、「動物が人の真似をして鳴いてる」「なんか鳴き声がするなぁ」と思うようにしています。内容を翻訳して捉える必要はありません。動物の鳴き声なのですから。

会話をする時は、動物の言葉を聞いてはいますが、自分がイラっとしたらハッキリ自分の意見を言います。聞き入れない場合は、会話を流します。

「動物」と「人間」で言葉が通じないのは当たり前の話です。だからイラっとしたら意見を言えばいいのです。

もちろん相手に動物なんて言ってはいけません。自分の心の中で定義して彼らとの間に線を引いていればいいのです。

無理に相手を理解しようとしたり、理解してもらおうとすることはやめましょう。ただのストレスになります。理解する必要なんてありません。

仮に理解しても、その考察にかかった膨大な時間は、自分の人生の時間を無駄にした事と同じです。

人の皮をかぶっただけの動物にかける時間は、自分の人生を無駄にすることになります。さっさと忘れましょう。

罪悪感なんて感じなくていい

人間を動物扱いしたからといって、罪悪感に苛まれる必要はありません。

相手がすでに自分を「人間」扱いしていないのですから、初めからコミュニケーションは成り立たないのです。

違う人生観の生き物を理解しようとしたところで時間の無駄です。仮に相手に学習できるところはあるとしても、それは相手だけが持つ特徴ではありません。

同じ人間でいくらでも学習できるところのある人はいます。無理に相手の良い部分を探してみるなんて無駄な時間を作る必要はありません。

自分の人生に必要なものは自ずとやってきます。後は受け取るために心身を健全な状態に保ち、自分の人生に集中していればいいのです。

6年苦しんで人生の時間を無駄にした私が言うのですから、間違いありません。