※没にしようかと思った記事です。古いおもちゃを見つけて子供に戻った気持ちで人生振り返って書いたら出来た記事です。結構長いので勿体ないのでそのまま載せました。

 

 

 

 

相続した母の実家。捨てられなかったものがある。おもちゃの刀だ。いつ買ってもらったのだろうか。少なくとも30年以上は前だったのは覚えている。

 

7歳の頃の出来事は結構覚えている。学校で始めていじめを受けた。祖母が倒れて入院した。

病院へ行く前、近所の丸広でおもちゃを買ってもらったのを覚えている。おもちゃの刀はそれ以前からあった。おばぁちゃんが嬉しそうに俺が障子をおもちゃの刀で破ったと言っていたのは覚えている。

 

おもちゃの刀は本当は印籠もあったが、失くした。このおもちゃの刀で本当によく遊んだ。チャンバラが好きだった。

 

おばあちゃん子だった私は、暴れん坊将軍や三匹が斬るなどが今でも好きだ。これを持つと当時の事を思い出せる。

 

おじいちゃんや母にチャンバラの相手をしてもらったこと、覚えてる。

 

あの時は幼稚園くらいで、まだ浜松に引っ越す前だった。それでも覚えている。おもちゃの刀は重くて、長い方は振り回すのも大変だった。

 

小学生になった。夏休みや冬休み、母と毎回おばぁちゃんの家へ遊びに行った。おもちゃの刀の脇差は失くしてしまった。捨ててはいないと思う。三匹が斬る!の再放送を朝、やっていたから毎日見ていた。そのたびにおもちゃの刀を2階の部屋に取りに行ったりした。

 

おばぁちゃんは脳梗塞で倒れてからおじいちゃんへ八つ当たりをするようになった。いつも怒鳴っていたのを覚えている。喧嘩は止めて!と何度も何度も止めたけど、止まらなかった。いつも悲しかった。そのうち慣れた。

 

ルパン三世の再放送も夕方にやっていて、五右衛門が大好きなので、長い刀の鍔を外して遊んだりした。

おもちゃの刀

 

中学生になった。おもちゃの刀はもう使わない。振り回しても全く重くない。

 

そりゃそうだ。プラスチックのおもちゃの刀だから。

 

鍔はどこかに行った。また失くしたんだ。でもいいや。今はテレビゲームに夢中。

 

高校生になった。小学校、中学校、高校。どこへ行っても弄られた。嫌だと言い出せなかった。11年耐えた限界。高校3年生の途中で不登校を起こした。それでも卒業はした。

 

昔のおもちゃは興味がない。もう捨ててしまおう。でもおもちゃの刀はなぜか捨てなかった。なんでだろう?

 

大学受験に落ちて専門学校生になった。母の実家から通う。大学へ3年次編入。母が亡くなった。

 

高校時代の友人と縁を切った。俺をよくみんなの前でからかっていた。本人に悪気はないのは分かっているけど、男として弄られるのは心の中では嫌だった。言い出せない弱い自分が少し変わった。

 

大学を卒業した。社会人一年目。レールに乗っているようで生きている気がしなかった。1年半で辞めた。祖父が亡くなった。

 

一人旅に出た。そして、浜松へ戻った。

 

新しい母ができた。でも、俺は反発した。性格が全く合わない。俺は家を出てバイトをして暮らした。祖母が亡くなった。

 

父の紹介で自衛隊を受けた。合格した。でも社会人の頃に患った精神障害のパニック障害。精神病は完治の概念がないから入隊は認められず、再び無職。

 

また家に戻った。父には愚痴られた。色んなことが嫌で死にたくて派遣の仕事サボってカッター買って山中へ。結局死ねず、戻った。当たり前だが怒られた。

 

再び家を出てフリーター暮らし。叔父が癌で危篤。相続人になってたから母の実家と遺産を引き継いだ。叔父が亡くなった。

 

広い家で一人で暮らし始めた。まずは遺品整理。

色んなもの、あり過ぎて、一人じゃ手に負えない。

 

業者を雇って2階はほとんど片付けた。

 

押し入れから懐かしいものが出てきた。おもちゃの刀。

脇差、やっぱり家の中にあったんだ。そういえば鍔も捨てようか迷ったけど、結局失くしてそのままだった。一緒に見つかった。

おもちゃの刀

 

叔父さん、俺のおもちゃ捨てなかったんだ。UFOキャッチャーで撮った俺の戦果物は全部捨てたみたいだけど。

 

もういらないんだからと、なんとなく捨てたくないような気持が少しあって、結局取っておくことにした。特に場所も取らないからいつでも捨てられるんだし、押し入れに入れておこう。

 

 

 

 

生まれた頃からの近所の人たち。子供の頃からの近所の人たち。優しいから好きだった。

 

相続して俺が一人になってからいじめが始まった。今も主犯は俺が苦情を言っても謝罪もなく、逆恨みして、最近は町から追い出そうと周り近所に提案している。

 

いじめからかばってくれた人も、自分が自治会の連絡ミスをしたら、俺のせいかのように責めて俺がミスした事にして、家を出て街を離れるよう示唆した。

 

この人も今は俺のミスをなんとか指摘してやろうと時々見張るようになった。

 

他のおばあちゃんたちも「あの子のせいなんだから町から出ていけばいいのに。」と陰から言ってる。

 

たぶん、俺が相続してから主犯のおばあちゃんが、ずっと俺の悪口しか言わなくなったから私のせいだと言っているんだと思う。

 

 生まれ故郷の、ずっと前から信用していた人達から、誰からも存在を望まれなくなった。

 

辛いよ。苦しいよ。泣きたい。叫びたい。どうしてこんな目に遭わなきゃいけないの?酷いよ。どうして?

 

俺、悪い事してないよ。家を引き継いだ時も、「何かあったら言ってね。私はあなたの事、孫みたいに思ってるから」

 

って言ってくれたよね。いじめの主犯のおばあちゃん。

 

ねえ、どうして?どうしてこんな酷いことできるの?

 

こんな目に遭わされるほど酷い事してないよ。お天道様に顔向けできないほど悪い事、しないで真面目に生きてきたよ、俺。

 

辛くても生きてきたよ。

 

家の中のもの、たくさん捨てた。この家は、俺の代で終わると思う。もう引き継ぐ人はいない。

 

だからいずれ離れる事になっても、業者の人が片付けやすいように、ものは今も減らしてる。自分が引っ越す事も考えてる。

 

本当は離れたくない。みんなの形見の家。

 

こんな形で一方的に嫌がらせを受け続けて、生まれ故郷の町を追い出されるなんて嫌だ。

 

おもちゃの刀なんてもう使わないし、捨てようと思ってた。でも捨てられなかった。

 

何気なく刀を抜いて、思い出した。マジックで書かれた文字のこと。もう消えかけてる文字。

 

亡くなった母が書いてくれた俺の名前。30年以上前に、書いてくれた俺の名前。

おもちゃの刀

 

消えかけてるけど、刀に残ってる。幼かった頃の、幸せだった頃の記憶。たくさん思い出が溢れた。

 

脇差はずっと失くしていたから綺麗なままだけど、長い方はずっと使ってたからボロボロ。

 

涙が出た。いろんな思いが溢れ出た。

 

 

 

 

 

もう何も残っていないと思ってた。いじめが始まっても表向きだけ平気なフリして我慢してた。

 

ある日、ふと生きる気力も無くなった。全て捨てたい。死ねば父の治療費も残るし、困らないだろう。

 

本当に心が枯れ果てた。相続してから何度もこの感覚は経験してるけど、今回は本当にもうダメだと思った。

 

今までで一番空虚な感覚。そのままふらっと飛んでしまいそうな感覚。

 

なんでか分からない。なんで押し入れからおもちゃの刀を出したんだろう?

 

どうして、急に。

 

誰も止める人はいない。でも、いつも「見えない何か」に止められる。幽霊とか超常現象じゃない。出来事そのものみたい。

 

事象が先に起きて、後から理解できるみたいな、そんな「何か」。

 

「何か」のおかげで壊れて止まらなかった自分の心の穴が塞がったような気がした。

 

ああ、ずっと、ずっと守っててくれたんだね。

おもちゃの刀