前回の記事からすぐの話です。メンタル改善に色々やって我慢していたのですが、主犯を久しぶりに見かけた時の態度でブチギレました。
本当に我慢の限界が来た
私をいじめる主犯ですが、私はこの近所の老人共の対応をずっと流していましたが、我慢の限界が来ました。
既に2回、大人の対応で苦情を言いに行って、挙句手紙を出して、自治会長に相談して、全く効果がなかったからです。
こちらは6年、一方的にずっとやられっぱなしということもあって、かなりのストレスでした。私が相続後にやられた事の詳細は「ご近所トラブル」をご覧ください。そして心が壊れてから現在立ち直るまでの状況は「引きニート日記」をご覧ください。
主犯はちょうど車で息子さんに送ってもらったのですが、私が外にいる間、絶対にこっちを見ないようにしていました。
私の顔が主犯へ向いていると分かるとすぐに顔を逸らし、絶対にこちらを見ないという態度でした。「自分が正論を言っている。私は悪くない。」と言っている人が、相手に対してこのような後ろめたい態度を取るとは思えないですよね。だって正論なら相手に向かってそう言えばいいのだから。今までだって私が直接苦情を言いに行ったときに「主犯の正論」とやらを主張すればいいだけの話です。その時はこちらは弱腰で対応したのだから。
つまり、この方は自分が悪いことをしていると自覚しながら、近所の方々に話すときには自分が正しいと主張し、私の評判を不当に下げ、私を孤立させ6年も攻撃し続けているということです。
私は自分の母の実家と遺産を相続しただけで、赤の他人から私の人生観や人間関係を一方的にめちゃくちゃにされた挙句、主犯のこの態度、相手も大人だと信じて今まで大人の対応をし続けて効果がなかったこともあり、周り近所の嫌がらせも含めて、かなりの腹が立ちました。
今までされたことの一覧です。かなり一方的な嫌がらせです。(私が相続するまでは一切ありませんでした。子供の頃からの知り合い達です。それが家の皆が亡くなり、私が相続してから数か月後に嫌がらせは始まりました。)
相手の家へ向かうも居留守
私は相手の家へ苦情を言いに行きました。今まで散々大人の対応をしても、効果はありませんでした。私が「怒れない人間」だと舐めていたのでしょう。こうなると怒鳴ったりしない限り終わりません。言葉の理解できない猿に人間の対応は通じないということです。こちらは今まで大人だから話し合いで解決しようと我慢していただけです。
「こいつには何をしても大事にならない。これからも隠れて続けよう。」これがいじめの加害者の心理なのでしょう。反省なんてするわけがないですよ。時間さえ経てば解決すると思っているんですから。
いじめの主犯は子供を成人まで育て、今も塾で子供に学問を教える教師の人間性とは思えません。
私はチャイムを再三押して、ドアを叩きましたが、一向に相手が出る気配はありません。こちらは我慢の限界を超えていたので大声で怒鳴りつけました。
「こっちが大人の対応してるからって、いつまでもつけ上がってんじゃねぇぞこの野郎!!」
この声は近所中に響きました。翌日、周り近所の私への態度がさらに悪化したのは言うまでもありません。しかし今さらの話です。私からすれば、「ここまで私を怒らせた奴が悪い」というだけです。
既に大人の対応で2回苦情を出して、それでもやめないどころか「町から追い出そう」なんて住民に提案し、いまだに私の悪口を広め、自分の非を一切認めていないのを聞いているからです。
私は人生で初めてここまで相手を大声で罵倒しました。おそらく私を知る人の誰も想像できないでしょう。私の親でさえ想像できないと思います。
それほど相手の今までの対応が酷いものでした。私は一人で6年間彼女らの私へのいじめや差別を耐えていました。
この人たちにはぜひウチの仏壇で祖父母や叔父の位牌を前に、私が相続後に6年間してきた自分たちの所業を語ってもらいたいくらいですね。今まで挨拶を交わす親交のある家の最後の一人を、相続後に「孫みたいに思っている」とか言っていた相手を、寄ってたかって誹謗中傷や差別など様々ないじめを行い、自殺未遂と人間不信に追い込んで談笑していられるのか。
どんな神経をしていたらそんな人でなしな所業ができるのか、本当に信じられません。
本気で怒ったことで私に起きた変化
まず第一に、スッキリしました。今まで抱えていたモヤモヤを何とか昇華しようとしていましたが、6年間一方的に人としての尊厳を踏みにじられ続けて、踏みにじってきた住民たちは誰一人詫びも謝罪の一つもなく、何もなかったかのように接してきたことがさらに私を逆撫でしました。
いくら相手が高齢者で年配だろうと、ここまで嫌がらせをし続けた人間達を敬えるわけがありません。ましてや人の事を道具か何かと思っているような人達です。何様なんでしょうね、歳を取っただけで人間として偉くなるわけがありません。敬える立派な高齢者は他にいます。そして、それは日頃の行いに出ます。
こんな性根の腐った連中を敬うわけがありません。しかも大人の対応をしても相手達は一向に反省しないどころか、つけ上がり続けるだけです。
いくらメンタルを改善でも、限界があるということを知りました。改善するには、まずは己のプライドを取り戻すことも重要なのだと。私の場合は原始的なブチギレという形で、私は自分の尊厳を確認できました。
「人もやはり動物なのだな。」と、自分の行いを反省しつつ、同時に「周りの顔色を窺って流されることなく、自己を主張できる」という強さが自分の中にあるのだと自覚しました。
私は生まれた時の「本来の人間」に戻ったような気がしました。
不当な扱いや嫌がらせを我慢する必要はない。怒っていいんだと、自分で自分を肯定できました。
いじめの主犯が作る誰か一人を叩いて団結する仲間やママ友なんていらないし、自分が弾かれることを恐れる脅迫みたいな関係を作らずとも、私は生きていけるのだと分かりました。
散々難癖をつけていた年寄りたちは被害者面
向かいの私に散々難癖をつけていたお年寄りは、私の家の物音が聞こえるたびに、「私がいるから外出できない」「私がいるから。」と被害者面しています。私は相続前もそうですが、相続後も今まで通りに暮らしているだけです。最初からずっと嫌がらせをしているのは近所の方々です。
6年間も難癖付けられてノイローゼにすらなった私の方が被害者です。加害者が何を被害者面しているのか、全く反省しないどころか、自分たちが誹謗中傷し続けた被害者のせいにしているのが信じられません。誰一人詫びの一言もなく、被害者面して年寄りだからと逃げられて、本当の被害者は加害者扱い。これが私のご近所さんたちです。相続後からこの人たちに私の人生は本当に滅茶苦茶にされました。
「怒るのが時間の無駄」というのは、しっかりと自己を持っているから言える言葉
私は今までで合計で17年間いろんな人からいじめを受けてきた人間です。私はずっと人生で「自分という存在はいついなくなってもいい、消えてもいい存在」だと思ってきました。
今回、ハッキリと怒ったことで、私は「自分」という存在を傷つけられたからこそ、ここまで怒っているのだと自覚したのです。
「自分をとても大事で大切にしている。」と本当は思っていたんだと気づいたのです。「自分なんていなくなっていいというのは噓だ。生きたい。」という本心に気づいたのです。
今までいじめを受けていたことで、「自分という存在は生きていてはいけない人間だ。価値がない。」と心の底にそんな思いがずっとありました。しかし、それが本心だと勘違いをしていたのが、激怒して怒鳴った時に気づいたのです。
私は結果として本当の意味で自尊心を取り戻したのでした。それは不当に彼らに貶められた私の自尊心です。
私が今まで書いてきたメンタル改善は確かに私が実践して効果があります。しかし、無意識に心の奥底にたまり続けていた感情を無視してはいけないのだと。
だからこれから私は言います。相手が不当な嫌がらせをし続け、自分がどれだけ他の事をしてストレス解消しても、どうしても納得できないなら、怒っていいんだと。怒るというのは自己表現なのだと。
怒ったことがない方へ
そこまで怒らせた相手が悪いのだから、怒ることに罪悪感を持つ必要はありません。怒って言いたいことを言っていいのだとハッキリ言います。
怒り慣れていない人は涙目になるのがみっともないと思うかもしれません。私も初めていじめの主犯に苦情を言いに行ったときはそうでした。小声で弱弱しく、ハッキリ言えば涙目だったと思います。
一度怒れば次も怒れる。次第に怒りを表現するのが慣れてきます。
2回目ではお酒の力を借りたとはいえ、言いたいことを言いました。
3回目の今回は激怒しました。怒鳴りました。大人としては良くない行為でしょう。
いずれの時も私の体は震えていました。それでいいんです。野生動物だって最初からうまく狩りができるわけではありません。どんなことも練習です。怒りの表現も例外ではありません。震えていようと涙目でいようと、人の心は自分の理想通りに動きません。それでも「言いたいことが言えるようになる」というのは大きな財産です。
ただし、よほどのことがない限り、怒鳴るのはやめましょう。自分自身の評判が下がります。自尊心を不当に傷つけられて、我慢できないなら怒っていいです。自分自身を潰してまで相手が年寄りだろうとか弱い女性だろうと我慢する必要はないです。不当に自分の尊厳を傷つけられたら怒りましょう!
そもそも大人の対応をしてもやめない人間に問題があります。私たちは何も悪くありませんので、罪悪感なんて持つ必要はありません。怒りましょう。そして周りが本当の問題がある人間を放置するなら、離れましょう。その人たちは結局同類です。
世の中は広い。76億人も人間はいます。そんな酷い人達との絆なんて必要ありません。そんなものに頼らなくても私たちは生きていけます。さっさと捨てて自分と考え方の合う人と楽しく過ごしましょう。
りさ様、お久しぶりです!お元気そうで何よりです。 コメント…
こんばんは!お久しぶりです。 今日は、あらためてお礼を言いたくて、ブログを覗きに…
コメントありがとうございます。自分を正当化するとそれが自分の中で結論になって終わ…
こんにちは。興味深い考察ありがとうございます! 私にとってタイムリーだったのは、…
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ご返信、ありがとうございます。同じ土俵に上がらないようにして、私たちは、楽しい人…