私が一度病院の泊まり込みから家へ戻って整理をしている時、叔父が亡くなったと連絡が来ました。

 

急いで病院へ向かい、主治医の死亡確認と葬儀会社を呼んで遺体を仮安置してもらいました。

 

当時は市の火葬場の空きが全くなく、1か月以上先になるとの事で、その間の維持費を考えたら家族葬で済ませた方が良いと考え、家族葬で近くの葬儀場に決定しました。

 

叔父の会社の先輩が私が埼玉へ戻ってくるまでの間の代わりに叔父の身の回りの世話をしていてくれました。

 

葬儀の話し合いについてきて一緒に話を聞いてくれていました。

 

葬儀会社と葬儀の段取りと日程を決め、家へ帰り、近所に連絡しました。(この頃の近所の方たちはまだまともでした。私が子供の頃から知る近所の方達そのままでした。)

 

その後、父が到着し、引き継ぎました。

 

その後自治会地区区長の元へ連絡に行き、(地区会長は小さい料理店を経営している)そこで夕飯もついでに食べたのですが、雑談の途中で「そうか~全部引き継ぐんだねぇ。遺産ちょうだい♡」といった感じで、本人は冗談のつもりなのでしょうけど、「(亡くなったその日に遺族である私に言う事ではないでしょ。)」と、かなり不快な気分だったことは覚えています。(今思えば、やはり近所の方々には現在の異常さの片鱗が出ていたなぁと、振り返って思います。私が子供の頃のフィルターを外してこの方たちを見ていれば、現在ほど傷つかなかったのかもしれません。良い思い出は時に現在の判断を鈍らせますね・・・)

 

そんな感じで父と久しぶりに再会し、色々助力してもらいました。母の葬儀で父が喪主を務めたように、叔父の葬儀で今度は私が喪主をするからです。最後の締めのあいさつに関しては葬儀会社から台本みたいなものを渡されたのですが、覚えられませんでした。慣れないことを1日でするものではありませんね・・・

 

そして葬儀が終わり、父が帰り、母の実家での一人暮らしが始まりました。アパートでの一人暮らしの頃と異なり、幸い遺産があったので、家の整理や引継ぎの手続きに集中できました。手取り11万の家賃2万8千円のフリーターアパート暮らしから脱却しました。

 

その時はその喜びをかみしめていました。

 

先の見えないフリーター生活から脱出できるし、子供の頃の夢であるこの家で暮らして、人生を全うしたいという私の夢が叶った形です。(もちろん、私の祖父母や母、叔父も将来的には引き継いでくれると嬉しいと以前から言っていました。)しかし、若い頃に相続するとは思っていませんでした。

祖父母や母、叔父に感謝し、思い出を噛みしめて、この時はそう考えていました。