私の考えた日本のいじめ改善方法の一例

 

「人の心」という形のないものに目を向けず、ないがしろにして、臭いものにふたをして逃げ続けた結果が今の日本です。「人間の心」というものの教育を怠った結果です。

 

せめて神道や武士道など、「人の心」や「日本人のあり方」についての明確な問題提起や基準を、全国民に一定の学習義務や教典などとして、子供も大人も定期的に学ぶ機会を国が主導で作るべきだと思います。同時に法律の改正も。でなければいつまでも「大人が大人にならない社会」のままです。

 

日本は国教がありません。一応神道や仏教が日本では大抵の人に当てはまると思いますが、国民全員に授業があるかと言われると、ありません。つまり、「人としてどう生きるのか」という明確な基準が視覚化もしくは言語化されていないのです。だからこそ多様性が出たのですが、現在はそれが悪い方向へ進んでいます。

 

その原因のほとんどが、世の中に情報を伝えるメディアたちの偏見に満ちた記事や作品であることは今まで新聞社などが起こした問題からも、推測できます。

 

今から日本を改善するならば、

 

 

  • 新聞社やテレビなどの権限を狭める。(偏見や思想の偏りや印象操作の工作をした記者やプロデューサーの処罰)
  • 人としての生き方の規準の明確化(新渡戸稲造の武士道のように、基準を形にすること)。
  • 基準となる本(他国で言うなら聖書みたいなもの)を国民全員に配布。
  • 「いじめ」という言葉の廃止(いじめは実際には「ハラスメント」であると明言すること。)
  • いじめやいじり加害者への明確な処罰(厳罰にすること)、加害者、被害者両方の心のケアなどの制定。
  • 企業、学校などで上記の実行。特に学校は中学から授業を大学のように単位と科目にわけ、教師の負担を分散。任意に取得選択可能にする。小学校は各クラスの担任の増加。3人が望ましい。(モンスターペアレンツなどへの対抗やクラスのケアなど)
  • 問題点、改善点を時代に合わせて適合していく。
  • 高齢化社会になるため、高齢者へ道徳の講習の義務化。(高齢者が迷惑をかける事例と若者からの視点や心境の講習。)
  • 「年齢」や「肩書」ではなく、「人間の存在そのもの」を尊重する時代が来たという認識をyoutubeなどで配信。

 

 

などの改善が必要かと思われます。おそらく、これでも狡猾な加害者たちは抜け穴を使って自身の罪から逃れようとするでしょう。だからこそ、被害者に第三者や周囲の人間が味方をしやすい環境を作るべきなのです。

 

特に加害者が正しく裁かれ、被害者が自尊心を取り戻す社会こそが健全な社会です。

 

現実的に考えて一番良いのが加害者への厳罰化といじめという言葉の廃止。正しく暴行もしくは脅迫だと言い換えて、加害者を裁くことです。

 

なぜこれが今まで行われないのか、本当に理解ができません。まるで日本人が団結して問題解決に取り組もうとしているのを阻む勢力がいる気がしてなりません。

 

尊重はしても、図に乗らない事が大事

人間は要求が一度通ると、「次も大丈夫だろう、次も・・・」というように際限なく要求するようになります。本人は気づかないうちに傲慢になっていきます。これは自己肯定ではなく、過剰な自己肥大です。

 

また、ブレーキは要求を呑む側なのですが、日本はこのブレーキも壊れています。結果、いじめやモラハラが横行し、被害者が生まれます。

 

気が弱い方へつけ込む人間達に対抗するためには、被害者側も自分の意志で断る必要があります。心を強くする必要があります。そのために、自己肯定する力や手段を育むことが重要です。

 

一番大事で重要なのは、問題が起こった後にどう対処するのか、ということです。

 

人間は皆、間違えたりミスをします。それは当たり前の話です。人生にも人間関係にも明確なマニュアルはありません。あったとしても誰もが納得できるものはありません。必ずトラブルは起きます。起きていいのです。(起きない方がいいけど起きる方が自然です。)

 

だからこそ、「トラブルが起こったら、自分がこの後どうするのか」が大事なのです。

 

加害者、被害者の両者ともに、正しい自己肯定感を身につけることで、ほとんどの問題は解決するのです。それが一番難しいのですが。

 

そもそもいじめは犯罪である

そもそもいじめという言葉がおかしいのです。いじめは子供だけじゃない、大人も当たり前のようにしています。

そしてこれは、暴行または脅迫、名誉棄損です。いじめは犯罪です。いじめという言葉で犯罪を軽くしないでいただきたい。

 

いじめは自然と起こるもの

人類が誕生してから今まで、一度もいじめは無くなっていません。つまり無くせないものなのです。

必ず発生するなら、対策を整える必要があります。発生することを前提に改善策を整えなければ、現状を変えることはできないでしょう。

 

いじめは老若男女どこにでも発生するのです。本能に近いと言えます。実際、動物の群れにもいじめは発生します。

 

自然の動物たちは群れを遅れた個体を置き去りにしたりします。

 

いじめは動物間でも発生するのです。厳しい環境で生き抜くために、弱い個体は生き残れない、もしくは弾かれる、一種の生存本能だと言えます。

動物は常に弱肉強食の世界です。たとえば草食動物の群れの大移動で、肉食動物に狙われ、狩られます。猿など、ドキュメンタリーで見かけますね。弱い個体は見捨てられたり、一部の個体に体当たりなどをされたり、避けられたりという映像を見る事があります。身近なものでは野良猫の間でも見かけます。動物間でさえいじめは発生しているのです。

 

しかし、私たちは人間です。

 

動物たちと同じように生きていながら、動物たちとは異なる人間社会のルールで生きています。それは、「理性」というものがあるからです。「理性」によって自身の本能と向き合い、本能に抗う様々な手段を持って、人間社会を生きています。

 

日本は既に終わっている。これから再構成していく必要がある。

将棋に例えるなら現在の日本は王手をかけられ、駒を置いて時間稼ぎをしている段階まで来ている。私はそう実感しています。

 

綺麗事だけを叫び続け、臭いものに蓋をして本当の問題から何度も目を逸らし続けた結果です。日本のいじめ問題は国民一人一人の心の問題でもあるのです。

 

誰かを叩いたところで、自分の問題が無かったことにはなりません。システムそのものを変えないと加害者が罪を自覚する日は来ないでしょう。

 

せめて私たちや次の若者たちの世代で、少しでも一人一人が向き合って、良くしていきたいですね。もう未来のない国でも、自分の生まれた国ですから。少しでも良くなることを祈ります。