世の中は理不尽で溢れています。

 

中には私よりもはるかに辛い経験をした人もいるし、同じように泣き寝入りした方も大勢いるでしょう。

 

自分の苦しみを他人と比べる必要はありません。あなたの苦しみはあなたのものですし、私の苦しみは私のものです。経験が違うから理解してほしいとも思いません。現に私が受けたいじめは、昔からの知り合いがする事としてはあまりに逸脱していて、私の現在生きている唯一の身内である父と義母ですら、私の言う事を信じていません。むしろ私の統合失調症を疑うようです。

 

それでいいと思います。私ももう人に信じてもらう気もありません。私の中で「人間」というものに対する結論がすでに出たのでその必要もありません。

 

しかし、それは人生の一つの場面であって、その出来事は明日へ向かう人生の数多ある出来事の一つです。

 

たとえば、私に起きた相続後の近所からのいじめもその一つです。随分時間がかかりましたが、答えを得たのは、意味のある事でした。

 

老人の執着する過去と、若者の見る今日では、見ているものが根本的に異なります。視点が違うのだからいつまでもわかりあえないのが普通です。

 

陰口や悪口の先にあるものの答え

結論から言うと、なにもありません。

 

少し考えれば分かる話です。

 

たとえば私をいじめる近所の主犯たちは、6年も続けています。ですが、終わりはありません。どこにもゴールも落としどころもありません。

 

いくら苦情を言おうと、ついにはキレて怒鳴ろうと、彼らの嫌がらせは終わりません。少なくなりましたが、現在も続いています。

 

では、その先終わったとして何があるのか。

 

なにもないです。

 


 

加害者の方に聞きます。相手の誹謗中傷をし続けた果てで、あなたは何を得られるのですか?

 

なにもないのです。膨大な時間が経っているだけです。

 

その間に、旅行に行けるし、読書をしたりゲームをしたり、家事や掃除も出来ますし、仕事もできます。常に新しい何かに出会い続けることができます。達成感もあるし、実感もあります。自分の成長が楽しくなってきます。

 

では、悪口を言い続けていた時間は何になるのですか?

 

仮に被害者が相手の悪口に屈服して謝ったとしましょう。それで、謝られてあなたは何を得られたのですか?

 

なにもないんですよ。何一つ得られるものはありません。

 

中には仲間との団結や、共有が得られる、一時の楽しみだという答えが返ってくるでしょう。もちろんそういう方もいるでしょう。

しかし、他人の悪口でつながった仲間は、いずれその中から誰かがターゲットになるか、新しく違うターゲットを選ぶか、いずれにせよまったく同じことを繰り返し続けるでしょう。

 

質問します。あなたは人の尊厳を傷つけ、貶し、辱めた数々の行為を、自分の大切な人に胸を張って堂々と笑顔で報告できますか?

 

 

 

 

 

 

虚しくなりませんか?

 

私は正直この結論が出た時、相手達の陰口や嫌がらせを気にしていた自分がいかに時間を無駄にしているか、実感しました。なんてくだらないんだ、と。

 

そして同時に、これからどう生きるのか、楽しく毎日を過ごしたいと考え、行動するようになりました。

 

精神的に不安定な時期もあります。しかし、体の調子が悪いこともあるし、精神の調子が悪い時もあるだろうと考えるようにしています。

 

体は人生で何度も風邪をひいたり、腹を壊したりしているのに、精神だけは永遠に調子が変わらず、なんて日はありません。体も心も自分なのですから。

 


 

もしもあなたが誰かに陰口や悪口を言われ続けて苦しんでいる時、自分の心に聞いてみてください。

 

「陰口や悪口を続けた先に、何を得られるのですか?」と。

 

その答えはきっと毎回、「なにも得られない。」に終着しますよ。