※私の人生を語るのが大半なので、不快になる方も多いと思われるので閲覧注意です。

 

 

私は身内を亡くし、31歳の頃に一軒家と遺産を相続した。そう、一見するとステータス上は「勝ち組」と呼べるのかもしれません。

 

しかし、信用していた近所の人たちのいじめによって、心を砕かれた。心を砕かれた私は何度も自殺をしようとしたし、生まれた頃から信用していた人たちの変貌、人間への絶望、「人は結局金が全て」という事実を身をもって体験した。人間の見方が一変した体験でした。

 

生きる気力を失って何年もほぼ引きこもり同然の生活を送っていた。ある程度立ち直っても近所の人たちへの恨みは残り続けました。

 

彼らは皆、一方的に私を誹謗中傷し、苦情を何度言おうと止めなかった。それどころか「私がすべて悪い!」と逆恨みし、自治会組長に私を町から追い出すよう直訴するくらい酷い状況だ。

 

当時もブログで書きましたが、本当に酷い状況は今も変わりません。一方的な被害に遭っている私は誰も味方はいないし、加害者達から誰も詫びの一言も謝罪の一言も一切ありません。ここの老人たちは皆、「私が悪い!」と思考停止して言い続けています。

 

私の相続した母の実家は、私が生まれた町でもあるし、両親や祖父母や叔父も私に相続して穏やかに暮らしてほしいと、私の幸せを願って残してくれたものです。

現在で築55年になる今の我が家は、私の家族の形見であり、大切なものです。

 

当然ですが、私が彼らの要求に従って家を捨て、町から出て行って何の解決になるのでしょうか?

 

他の家で相続が起こって次の世代が住み始めたら、彼らは相続したその家に対して、私にした事と同じようないじめを始めるでしょう。同じ事が繰り返されるだけです。

 

この近所の人たちは私の叔父を酷くこき使っていたようで、自分の庭の草むしり、お店のメニュー作り、塾のお知らせや子供に授業をするなど、無償でさせていました。

 

主犯はこれを「本人がやりたいから。」と言っていますが、怪しいものです。あの世で叔父に会ったら聞いてみたいですね。

 

ちなみに叔父が肺がんで末期がんになったため、私が相続しました。病院では喋ることもできないようで、筆談でした。久しぶりに家に入った時、灰皿一杯に立ててあったマイルドセブンの吸いカスにビックリしたのを覚えています。

 

言い方を替えれば、定年後たった5年で亡くなったのは、近所の方達が原因ともとれるのです。そして叔父の跡を継いだ私に対して始めたいじめ。

 

この近所の人たちは私の家の祖父母が亡くなってから、自分達の召し使いか何かと勘違いしていたとしか思えません。漫画にすらここまでの外道はなかなか出てこないのではないのでしょうか?本当にフィクションならよかったのに。

 

6年経つ現在も、誰からも一言の詫びもありません。今も「私が悪い!」と言い続け、自分達のした誹謗中傷もいじめもなにも反省せず、自分のした事は全て「私がいじめに苦情を言うから悪い!」と思っている老人が大半です。

 

現実で被害に遭うと胸糞悪いなんてもんじゃないです。「吐き気を催す邪悪」ってこういう人間の事か、と実感しました。

 

私から見れば彼らもまた同じ一軒家を持ち、子や孫がいる上、年金も満額もらえている世代なのだから羨ましいくらいです。

 

アパート暮らしの不安定な生活だった私から見れば「随分恵まれた生活をしているなぁ。」と思っていましたが、この連中は満足できないようです。自分の住む地域で若者が幸せそうに暮らすのが不愉快なのです。

 

「若いうちに相続して楽な人生を送って許さない!(いじめ主犯が私の家の倉庫前で私に言った言葉)」

 

上記の内容を言われたことはハッキリ覚えています。本人は都合の悪いことは忘れてしまうようですが。

 

問題は、彼ら自身の「他人への嫉妬」であるので、私には解決できません。彼らが自分の心と向き合わない限り何も解決はしないでしょう。

 

だからもう相手にしていません。今後も話を聞く価値もないと断言できます。

 

仮に主犯たちはもしも自分達の中で誰かが亡くなって、その家の息子や親族が相続したら、あの世で息子を恨み続けるのでしょうか?ぜひ聞いてみたいものです。

 

現在も被害一覧が増え続けていますが、誰一人からも一切のお詫びも謝罪もありません。これを書いた当時より遥かに関係は悪化しています。

 

 

私はこの自分の正当性を誰も認めてくれない状況に、何とか恨みに囚われたままの人生を変えるために、筋トレやメンタル改善の書籍を読み漁っていたし、とにかく他の事に目を向けて恨みを忘れようともがいていました。

 

誰も味方のいない状況、「金持ちなんだからいいだろ」と、「私」という存在自体を軽く扱う人々。世の中は本当に「金さえあればいい。」という人がほとんどなのだという事実をこの身で味わったのです。

 

地獄なんて軽い言葉じゃ足りないくらい辛いものです。言葉でたとえようとしても、表せないくらいの本当に酷い苦しみでした。正直な話、「絶望や地獄って「言葉」は軽いんだなぁ。」と思うくらいです。

 

「私の心、人間としての一個人」など誰も気にかけてくれない、昔から信用していた人たちも、知り合う人たちも誰もが私の「相続したステータス」しか見ていないというのは今までの人間の見方が変わって発狂します。人間というものの卑しさ、醜さを「本当にもうやめてくれ!!!」と、嫌というほど、狂って叫ぶほど味わいました。

 

相続前はフルタイムを働いて、手取り11~12万、家賃2万8千円のワンルーム暮らしでした。父と再婚した義母と合わず、身内に味方もいないので、家を出て一人で暮らしていました。

 

職を転々と変え、毎月の支払いの余裕がない時期は、給料の前借りをしたり、一日の食事が工場では水道の水のみで飢えをしのいで、帰ってきたらバナナ一本、もしくは白米1合。12時間フルタイムで働く日々も経験しています。倒れそうになることもあったので、給料の前借りをした事もあります。

 

それでも生きてこれたのは、多くの人の優しさのおかげです。だからこそ私は今、現在の境遇でも、全ての人間を憎んだり、全てを否定するほど極端な選択をしないのだと思います。

 

食べられる雑草や、廃棄された飲食店の残飯を漁ることも考えていたくらい飢えていましたが、何とかしのいで生きた20代後半の日々でした。

 

現在は父と和解し、義母とも軽く会釈はしますが、相続後は一度も実家に帰っていません。父から何度かお金をせびられることもありました。現在は父が病気になった時も考え、なるべく投資で回しているので自分自身に使うお金も制限しています。

 

当然ですが、世間から見ればただの金持ち扱いばかりなので、ウンザリです。しかし、確かに私は恵まれているのも事実なので、「人間なんてそんなもんだ。」と割り切っています。

 

どれだけこの先友人が出来ようと、新しく出来た友人たちから裏切られようと、もう悲しむことはないでしょう。なんせ相続した時に、生まれた頃から知っている人たちからすら裏切られたのですから。人間の本性を嫌というほど見せられてきたのですから。

 

だから、ここに書いてある事を人から全てお前の妄想だのフィクションだの言われようとなんとも思いません。

 

「誰にも信じてもらえない」なんてことはもう慣れたので。

書いてある事が事実だと信じようと、盛ったつくり話だと思おうと、それは読んだ方の自由です。好きにすればいい。

 

人が自分を見てどう思おうともはや関係ありません。私はもう自分の人生の見方すら変わってしまっているのですから。

 

 

 

まぁそんなわけで、私が上記のように「自分の言い分を誰にも信じてもらえなくて構わない。」「いつまでも恨みに囚われない」というように吹っ切れるようになれた理由が、「ショーシャンクの空に」を観たのがきっかけなのです。

 

「ショーシャンクの空に」を見たことで、復讐や恨みから解放された

 

ある日、私はたまたま「ショーシャンクの空に」をAmazon Primeで見ました。Amazon Primeのおススメに出てきました。

 

「最強のふたり」や「最高の人生の見つけ方」などを見ていたからおススメに「ショーシャンクの空に」が出てきたのだと思います。

 

当時は恨みや世の中の偏見への怒りといった、自分の力でどうにもならない理不尽さと負の感情を忘れたくて、映画にハマっていろいろなPrime videoを見ていました。

 

「ショーシャンクの空に」は、賞を一つも取っていない作品なのに、何十年も名作として語り継がれてきた作品です。

 

私は本当に面白いのか疑問でしたが、この袋小路の感情から抜け出すためにもがいていたので、「古い作品だから気が進まないけど、とりあえず再生するか。」と、コーヒーを片手に映画を再生したのです。

 

映画が終わった後、私はボロ泣きしていました。

 

いつまでも恨みに囚われている自分の小ささと、吹っ切って自分の新しい人生のスタートを切ったアンディのたくましさ。久しく口にした事のなかった「希望」という言葉。

 

主人公のアンディは映画の中で妻とその不倫相手を殺害したとして、刑務所に収監されます。刑務所の中で刑務所内にいろいろな物資を調達する調達屋のレッドやその仲間たちと友人として絆を深めていきます。

 

ある日、元銀行の副頭取であるアンディは、その知識を買われ、署長に利用されます。アンディは刑務所の中の環境を自分の意志で改善していきます。

 

その後、刑務所に移送されてきたトミーから、アンディの妻とその不倫相手を殺害した真犯人らしき人物の事を聞き、署長にかけあいます。

 

アンディは懲罰房に入れられます。元銀行の副頭取であるアンディを利用し、私腹を肥やしていた署長は、アンディを失う事を危惧していました。

 

懲罰房にアンディを入れた後、署長はトミーを呼び出し、刑務官を使って暗殺しました。アンディの潔白を証明する可能性は無くなってしまいました。

 

懲罰房を出たアンディはその後、友人のレッドに、自分が出所したら何がしたいかを語り、レッドが出所したら、自分が木の下に埋めた場所を掘れと言い残し、脱獄します。

 

仮釈放を受けたレッドは、刑務所の外で生活をし、ある日、アンディの言っていた木の下の場所を思い出し、掘りに行きます。

そこには、アンディが残した現金と手紙がありました。手紙にはこう書いてありました。「今こそ調達屋の力が必要だ。僕の所へ来て欲しい。」

 

レッドはアンディの元へ向かい、再開して映画は終わります。

 

私はアンディと比べ、自分の境遇に恨みを抱えたままいつまでも苦しんでいる自分を恥じました。この映画はまさに、私が欲しかった「答え」を持っていた映画でした。

 

「希望はいいものだ。良いものは決してなくならない」私の胸に響いた言葉です。

 

私はこの映画がきっかけで、現在の状態まで徐々に立ち直ることが出来ました。

 

今でも恨みがぶり返すこともありますが、大分薄れて気持ちの切り替えが出来るようになりました。

 

もちろん、映画である以上、創作だという事は分かっております。しかし、私の心が映画によって救われたのは事実でもあるのです。

 

今は立ち直り、時々バイトなどをしつつ、投資の報酬以外にもやりたい仕事やバイトを見つけて、人生を謳歌しようと行動しています。あの世で自分の祖父母や叔父、母と再会した時、楽しい「この世のみやげ話」を皆に伝えたいからです。

 

私の生き方はおそらく、今の社会では理解される事はほぼないのも承知の上です。他人にどれだけ否定されようと、何を言われようと、自分の人生の責任は自分にしか取れません。生涯孤独でも構わないと考えています。

 

この世には人間だけでなく、様々な命が共存しています。人間社会しか見えていなかった頃の自分では、孤独を「寂しい、辛い」と感じていたでしょうし、今も少し寂しく感じる事もあります。

 

しかし、「この星に生きているのは自分だけではない。」と自覚してから、特に孤独を感じなくなりました。他の生き物との線引き、他の命を奪って生きる罪悪感、ただ邪魔だからと小さな虫を排除する冷酷さなど。

 

それら全てを自覚し、自分の中で折り合いをつけてこの星の一つの生命として生きています。

 

強がりなのかもしれないし、自分に都合の良い詭弁でしょうが、無理に人に理解してもらう必要もないし、自分が納得していればそれでいいと思います。

 

今も落ち込んだ時などは、「ショーシャンクの空に」を思い出したり、自分の作ったカードメモに目を通し、自分の心の方向を見失わないように心がけています。

 

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悩みながら、それでも「希望」を持って生きていきます。

 

 

 

余談ですが外部リンクのブログでメンタル改善に役立つ方法や相続した時の心構えを今後記事として増やしていきます。

 

私と同じように突然の大金を相続した方などが、周りや想像もしなかったトラブルなどに人生を翻弄されないように、実体験を踏まえて書いています。不定期ですが今後も参考になれば幸いです。