私のご近所さん達の特徴は以下の通りです。
- 陰口や悪口は当たり前の日常。
- 非を認めない、反省しない。
- 平然と嘘をつく。
- 他人を陥れる事を疑問に思わない。
- 常に複数人でないと自分の意見すら言えない。
- 自分の頭で善悪や倫理、道徳を判断できない。
- 常に周りに流され、意見がコロコロ変わる。
- 自分達と異なる意見の人物を、話し合いなんてせずに集団で排除しようとする。
誰が見てもわかるように、性格が悪く、根性が腐りきっています。歳も50~60代以上の主婦がほとんどで、改善の見込みはありません。
しかし、このような人間達でも人権はあり(私の人権はこの人達から一切無視されていますが)、尊重しなければならない社会であり、現代の人間の生き方といえます。
そこで、このような連中から自分の心を守る考え方を紹介します。
そういう生き物として認識する。
世の中には信じられない事に、水を飲んだり、食べ物を食べるのと同じように、他人の陰口や悪口を常に言わないと、具合が悪くなる人が存在します。
人の悪口や難癖をつけるのが、彼らにとっては生きるための三大欲求と同じなのです。誰かを常に貶し、自分より下に貶めないと生きていけないのです。
「そういう生き物」なのです。これは私たちではどうにもなりません。カウンセラーですらお手上げでしょう。
カウンセラーも万能ではありません。いくらアドバイスをしようと、本人が改めようと考えない限り、届かないのです。
「世の中には他人を貶すのが水を飲むのと同じ行為である生き物もいる」と認識しましょう。
ちなみに私は彼らを人間の定義には入れていません。私の考える「人間の定義」から外れています。強いて言うなら外道(他人を尊重する心を失い、人の道を外れた存在)だと考えています。
自分に合った人間関係に例える
これが一番効果があると思います。
もちろん相手に言う必要はありません。自分の中での人間関係の捉え方の話です。
そして私が一番しっくり来たのは、株に例える事でした。
私は相続時に投資信託などを引き継ぎ、現在も相続から6年続けています。その中で不動産投資や株の投資も挑戦しています。
だから人間関係も株に例えました。
私に合っていた人間関係の捉え方は、株取引だった
彼ら近所の住人に対して、私は「株の損切り」をしました。
彼らは執拗に私を嫌い、誹謗中傷や町から追い出そうと提案する井戸端会議をしているようですが、これは、売った株がマイリストや閲覧履歴からなかなか消えないで残っている状態にたとえています。
ふとした事で、やられた事への怒りや恨みが湧き上がってくるくらいの執着が今でも残っていますが、「損切りした株をいつまで気にしているんだ。他にも良株はたくさんあるんだ。そちらに目を向けよう。」と自分に諭します。
たとえるなら
- 個人の人格=株
- あいさつ=株が存在する事は認知
- 人間関係による好感度=株価
- 交友機会を減らす=保有株を少しずつ手放す
- 交友機会がなくなる=株の売却(ただし、状況による)
- 縁切り=株の損切り(情報もいらない。二度と買わない。)
- 相手の嫌がらせ=株を買ってくれアピール
みたいな感じです。
少なくともご近所さん達は、私が子供の頃に買った株価より遥かに値が下がり、値上がり要素も改善の見込みも今のところ見当たりません。
こんな株を保有しているだけ無駄なので、損切りしました。しかし、彼らが風評被害や嫌がらせ工作をして私の株の価値を下げ、自分達の株を「買ってくれ買ってくれ」と他の住民にわめき続けているのが現状です。
彼らの株に関わっても、自分にとって損しかありません。
受動的になっている自分に気づく
「相手にやられた怒りや恨みといった、執着が消えない」というのは、相手を意識しているからです。
当然やられたことは腸が煮えくり返るほど悔しいし、許せない気持ちは私にもあります。
だから、自分から捨てるのです。
いつまでも相手が~と、相手がどうのこうのと考えている「受け身の自分」に気づいてください。
受け身だから相手の悪意を受け取ってしまうのです。「相手の悪意を受け取らない」という選択肢もあるのです。
そしてその選択肢は、自分で選ぶことができるのです。
ひょっとしたら皆さんは、「被害者でいたい。」という気持ちはありませんか?
「誰かに心配してもらえるから、誰かに構ってもらえるから、被害者は楽だ。」なんて考えていませんか?
その選択肢は、加害者のしている事と本質的には変わりません。「争いは同レベルのもの同士でしか起こらない」という事の意味が、今の私にはよく分かります。
「誰かを攻撃しているのか」「誰かに攻撃されているのか」
自分で考えて行動しないで、周りに流されている間は、加害者も被害者も立場が違うだけで変わりません。
子供から大人になって、親になろうと老後になろうと、いつまでも加害者か被害者のどちらかの立場に振り回され続け、私のご近所さん達のようになるでしょう。
もちろん、自分で考えて、やり返すと決めたなら、それはあなたの選択肢です。自分の納得のいく道を選ぶのは自由です。起こした行動の責任は自分にしか取れません。
だからこそ、自分が受け身になって思考を放棄しないでください。
たとえば、「やり返したらどうなるのか」を想定して考えるのです。
「やり返したらどうなるのか」を考えてみよう
彼らは自己を反省することがないので、苦情を言われたらより大きな報復を返そうとします。当然こちらは怒りが収まらないのでやり返すことばかり考えます。
では、その繰り返しの結果、どうなると思いますか?
どちらかを排除するまで続きます。
その先に何がありますか?
何もありません。陰口やいじめの先には何もないのです。あるのは人生の時間をムダな事に使い続けた喪失感だけです。
少し考えてみれば分かります。
陰口や悪口は、仕事や趣味で活かせますか?
他人を貶め、恨みを買い、危険に晒され、敵を作って、それが仕事で役に立つのですか?趣味で役に立つのですか?
6年被害に遭ってきた私の実体験だから言えます。陰口や悪口の先には何もありません。
近所いじめの加害者達は、何一つスキルを身につけていませんし、新しい趣味も身につけていません。6年前からやっている事が一切成長していません。
強いて言うならいじめが過激化しているくらいです。
皆さんはいじめの陰湿さや過激さといった、自己を省みることなく人のせいにする卑劣な生き方を、胸を張って誰かに話せますか?
そんな人生、自分の大切な人達に誇れますか?
私のブログにいくらでも記事があります。どれだけの時間を無駄にしたか、後悔が強いです。
しかし、やり返すことで自分の自尊心を取り返すことができました。まぁ今となっては自分の精神の未熟さに気づきましたが。今の境地に至るまでになかなか気づけないものですね。
「愚者は経験に学ぶ」というように、愚者である私は未だ人間としての人格を学んでいる最中です。
くだらない連中に付き合って、6年も苦しんで時間を無駄にしました。
彼らは自分が亡くなるその時ですら気づかないと思います。自分がいかに自分の人生の時間をムダに過ごしていたのかという事に。
いや、むしろ気づいているからこそ、止めないのかもしれませんね。自分の行いを認められないから、自分が加害している被害者へ八つ当たりし続けるのでしょう。
私のご近所さん達が私を町から追い出そうと提案し続けていたり、私を見るたび一斉に窓を閉める嫌がらせや家にはいる嫌がらせを今も続けているように。
何十年も生きて、何も学ばず、向き合わず、反省もせず、成長もしない、他人を傷つける事しかできない一生って、人間がそんな人生を送る必要がありますか?
それは動物が代わりに送っても問題ない一生と何の違いがあるのでしょうか?
私たちは人間です。「人間として」生きましょう。
彼らという「株」は、自らの価値をこれからも下げ続けるのでしょう。
私も彼らに執着しているうちは、自分の株価を下げ続けている事に気づきました。少しずつでも改善しています。
理不尽で一方的な加害者達に人生を台無しにされる必要はありません。視野を広げ、思考を広げ、違う道を探していきましょう!
ありがとうございます!ただ、意識が戻っただけで会話できるほどではなく、まだ深刻な…
お父様の意識が戻られたようで良かったです! やりたいことは、どんどんやった方が良…
こんにちは。ありがとうございます。
こんにちは。自分の健康と安全を第一に、ゆっくり休んでくださいね!
コメントありがとうございます。 「悟空ならこういう時どういう考え方をす…
私もドラゴンボールが好きでしたが、 こういう良い作品のおかげで真っ直ぐな自分でい…