私の近所間では、以前からずっといじめが繰り返されてきたと言われています。私が相続後にいじめを始めた主犯も、いじめを受けたと言っていました。(初めて苦情を言いに行った時の話。まぁ彼女の場合は自己愛性人格障害もしくはサイコパス傾向なので、本当はいじめではなく注意なのかもしれませんが。)

 

大人の間でも、ママ友問題に地方の村八分など、様々ないじめが発生しています。

 

なぜいじめが無くならないのか、私のご近所さん達という実例から考察します。

私の近所の一軒家からいじめが無くならない理由

私へのいじめに加担したご近所さん達は、今も私が悪いという考えを持っている人も多く、逆恨みを続けているし、近所12~3軒全てからほぼ村八分を受けています。まぁこれは私がいじめ主犯達の顔すら見たくないから無視していたので報復なのでしょう。(これに関しては自業自得ですが、彼らのやったことは私は生涯許す気はありません。)

 

これの何が問題かというと、私一人に対して常に複数人が相手になっているという事です。私は自分の考えを持って、自分の意見と行動を一人でしています。しかし、この近所の人たちは誰か一人が何かを言い出したら、それに倫理も道徳も関係なく従うのです。

 

いわゆる集団心理に流されている状態です。人は集団になると頭の悪い行動を取ることが増えます。この近所は何十年も同じメンバーが多いので、もはや集団になって、自分達が年配の近所で一番の年長者になり気が大きくなり、いじめや嫌がらせをしてる自分達のイエスマンばかりだから手が付けられないのです。

 

通常、大人が一人の人間相手に常に複数人で毎日のように陰口や悪口、難癖付けをするのは、恥ずべきことで、非常識なのですが、私の近所にはそれを咎める人が誰もいないのです。それどころか同調した上、加担して楽しんだ挙句、被害者が激高したら、無責任にいじめ主犯や被害者の私のせいにして逃げる人ばかりなのです。

 

ハッキリ言って人生でここまで心の腐った人たちは見たことがありません。なんというか、言葉にたとえようのない酷さで、「醜い」としか言いようのない感覚です。(汚染した泥の塊のような感じ。)本当にあの人たちの被害を受けて人間に対する価値観が変わりました。

 

理由1:精神年齢まで大人になっていないから

私の近所には誰も大人がいないのです。心の年齢が中学生か、高校生で止まったままの人たちなのです。そんな人たちが集まっているから「全肯定以外は敵であり、敵は排除しなければならない」という事が行われるのです。彼女たちは自分達が正しいと思い込み、改善の見込みはありません。

 

私は何度もこのブログで書いていますが、私の近所の方達はまさに全国フェミニスト議員連盟と同じなのです。ちなみに私へのいじめの主犯も取り巻きも扇動も全て女性です。

 

あなたたちはいつまで学生気分なのですか?あなたたち自身の言葉や行動の責任を取ってくれる人はもういませんよ。責任を取るのは「あなた自身」ですよ。

 

親になって子供や孫までいる人たちが、こんな当たり前の事すら分からない事が本当に信じられません。

 

「加担した私は悪くない。あいつが悪い。あいつのせいだ。」

 

いじめ主犯の取り巻きの近所の人たちは、8割はいじめ主犯のせいにし、2~3割は私も悪いという考えのようです。加担者たちがいじめ主犯に謝らせようとしています。被害者の私から見れば、加担しているあなたたちも主犯と変わらないですよ。なのに全く反省していない態度。

 

そんな醜い責任逃れと押し付け合いを繰り返してきたのでしょうねこの人達は。だからこの地域のいじめの連鎖は昔から続いていたのでしょう。加担した自分を反省しないのですから、彼女たちは延々とこんな事を繰り返してきたのだし、今後も繰り返すのでしょうね。

 

被害者の私からすれば責任の押し付け合いを加担者たちがしているのは本当に我慢のならない事でした。あまりに醜い事で見たくもないし聞きたくもない!

 

だから私は嫌悪の限界を振り切ってしまい、彼らの声も聴きたくないし、見たくもない、存在すら認知したくないので無視するようになったのです。

 

私自身も、大人としては子供のような情けない行為をしているのは反省していますが、今でも彼らや彼女らの顔を見ると殴りかかりたくなるくらい腹の底では怒りや恨みが煮えたぎっているので、今後もほとんど無視する予定です。挨拶はバッタリ会ってしまったらするけど、目も合わせたくないし、声も聴きたくありません。

 

精神を大人にする方法

何と言っても現在のニュースを見る、読書をして実践する。つまり、脳を使う事、考える事です。

 

考えるのがめんどくさい、疲れる。

 

そこで止まってしまうから新しい概念や価値観を得た若者との溝ができるのです。

 

止まってその先へ進まない、「苦しいから、辛いから、怖いから」だから自分の慣れたことしかしない。

 

脳は怠け者です。できる事があればどんどん時間を短縮してくれます。エネルギーを使う量も減って効率化されます。だから私たちは意識しなくても自然とできるようになります。毎日新聞を手に取るのに「あれが新聞、あれにどちらかの手を伸ばす、」など意識して行わないでしょう?幼い頃から無意識に行ってきた結果です。

 

逆に脳の使わない部分は月日が経つとともに廃れていきます。その結果、固定観念に囚われる事も多くなっていきます。

 

心理としてできない自分にストレスを感じ、新しい事を遠ざけます。そして、ストレスに感じる事は切り捨てるようになるので、人間関係を構築する際、友人ではなく、やんわりした雰囲気の人間をターゲットに支配をしようとします。

 

支配をすれば逆らわない、自分の愚痴や陰口に付き合う「自分だけに都合のいい道具」を求めているのです。獲物の警戒心を下げるために彼女たちは、初対面からかなり親切な対応をして第一印象を良くして、後から徐々に要求が図々しくなっていくのです。

 

私がいじめを受け始めたのは、私を子供の頃のままだと思っていたご近所さんのいじめ主犯が、私が彼女の命令(あっちは相手のためだと思いこんでいる)を聞かなかった結果、私を排除しようとした結果です。

 

いつまでも同じ人はいない。

原因は、私を「子供の頃から知っている」という自分より年下という事で、下に見ていたのでしょう。相手も歳を取って自分の知らない所で様々な経験を積む人間だと思っていなかった証拠です。

 

彼女たちはいつまでも私のイメージがアップデートされなかった。互いの精神と肉体の年齢が合致していなかった結果、起きた対立です。

 

私は彼女たちに対して肉体年齢と同じ精神年齢を持っていると勝手に思っていたし、彼女たちは私がどれだけ成長しても、精神年齢が子供のままイメージが止まっているので起こった齟齬により、今回のいじめが発生したと考えられます。

 

だからいじめ主犯は、「(私が)人生をラクに生きて許せない!」など言えるのです。彼女の中では私の17年が知らないまま止まっているから。自分が知らない想像できない事は存在しない、だから自分の主観で相手をこうだと決めつけ、自分が正しいのだと人の話を一切聞かずにわめく。

 

当然こんな方とはその後も話になりません。私の周りのいじめ主犯に加担したご近所さん達は「主犯が全て悪い」「あいつ(私の事です)が悪い!」と言い、自分達が加担していた事すら逃げようとしており、責任の押し付け合いの話し合いが何度も聞こえていました。反省など誰もしていませんでした。あまりに不快で見苦しく、私は近所と縁切りしました。

 

今思い出しても本当に吐き気がします。「人間の心ってこんなに醜くなれるのか。」と本当に絶句というか、どんな言葉でもたとえようのない感情でした。

 

専業主婦が悪いとは言いませんが、見聞が自分の周りだけでずっと止まってしまうのですから。様々な地域、職種を経験してきた私は「他人にも様々な性格やこだわり、理由がある」というのを見てきましたし、自分の考えや意見を出さなければならない事も多かった。彼女達何十年もこの近所しか知らない人達と価値観が合わないのは当たり前と言えます。

 

思考を停止し、自分の知らないものは拒絶し、排除する。共存の考えすらない。何十年も同じ価値観だけで閉鎖的に逃げ続けた結果、いわゆる「幼稚な人間」になるというわけです。

 

先に言っておきますが、私は人の家庭が専業主婦だろうと自分に危害を加えなければ文句はありません。その人の家庭の自由だと考えています。

 

問題は他人に危害を加えてくる人です。自分から原因を作っているくせに責任は取らず、常に複数人で危害を加え、いざ責任を取るとなるとうやむやにして逃げる連中です。

 

視野の狭い人達を下記のイラストでたとえるなら、彼女たちの世界はテレビとせんべいだけの世界しか知らないまま、全て情報をそのまま鵜呑みにして自分で考えもせず年を取っていく。そして自分から新しい事へ目を向けない、全て受け身で何も努力もせず、成功した成果だけを欲しがる。だから周囲と価値観が合わなくなっていくのです。

 

 

一方で普通の方は日頃から自分で情報を取得し、主体的に仕事や遊び、家庭を育み、外へ目を向けていきます。今の50代ですら時代に合わせてインターネットを取り入れ、スマートフォンに替えていきました。本人たちは慣れないスマートフォンでも使用しています。

旅行

 

全ては日々の変化を恐れず積み重ねた結果です。

 

脳は人間が生きている限り、自分の心がけ次第でほぼ永遠にアップデートが可能です。(だから70歳や80歳になっても新しい事を覚える)そのためにも、日頃から1日1回、できない事を楽しむクセをつけましょう。

 

私は利き腕とは逆の腕でコーヒーを飲んだり、普段は左足から履く靴を右足から履いたりなど、1日1回は「いつもと違う事」をするようにしています。

 

そう、これだけの事でいいのです。日常生活にいくらでも自分の改善のチャンスは転がっています。1歩ずつでいいのです。最初からフルマラソンをプロに匹敵するスピードで走れる人なんていません。毎日の積み重ねの結果です。

 

理由2:自浄作用が無い

当然、加担した自分達が反省しないのだから、同じことが繰り返されていきます。

 

そして、一軒家なので人の流動がほとんどありません。いじめを繰り返してきた人たちが残り、その人たちから処世術を学び、次の入居者を加えてまた誰かをターゲットにいじめは始まります。

 

私は7年ぶりに相続で戻ってきたときに、知らない家が2軒増えていましたが、この2軒、ガッツリ私へのいじめに便乗しているいじめ主犯の取り巻きです。

 

ではなぜ加担するのか、その答えは簡単です。

 

  • 楽しいから。
  • 自分がターゲットにされたくないから。

 

この2つです。

 

この近所に一人は明確にいじめを楽しんでいる方がいます。いじめ主犯とは別にその方も問題行動をかなり起こしており、自治会の役員時代に自治会長から何度も忠告されたしなめられたにもかかわらず、改善しませんでした。

 

それが新しい家のいじめ主犯の取り巻きの一人です。向かいの家ともたびたびトラブルを起こしており、いじめ主犯に負けず劣らずの迷惑一家です。「類は友を呼ぶ」というのはこういう事なのでしょうね。

 

この方の子供達も蛙の子は蛙というのか、私が車内の清掃をしていると家の前で「キモい」とか笑いながら逃げていきます。

 

今後もこの近所からいじめは次の世代にも受け継がれていくのでしょう。

 

正直人の生まれ故郷をこんな腐った地域に変えた年寄り世代共のふがいなさもあって、私は近所の年寄り連中を嫌っています。なんせ若い世代を諫めて人の道を説くべき上の世代達がいじめを積極的に行って、周りも加担しているのですから。

 

理由3:常に比較しているから

私は相続前はフリーターでアパートで独り暮らしをしていましたし、高校生までは親とマンションで暮らしていましたが、現在の近所ほど腹の探り合いやいじめなどは起こりませんでした。

 

というか、私の知る限り、「あの人がいるから外に出てはいけない」だの「あの人に関わってはいけない」だの、そんな制限をされたことがありません。

 

しかし、私の近所では、私に対してそのような差別が日常的に行われています。

 

そして普通に話している時も、あの人たちは私に対して相続した金額を聞き出そうとしたりしてきましたし、自治会組長に至っては叔父が亡くなったその日に「100万円ちょうだい」なんて冗談のつもりで言ってきました。(無神経すぎる。ちなみにこの方も意見や手のひらがクルクル変わる人で信用していません。)

 

なぜこんな事が起きるのか、それはマンションやアパートと違い、土地の広さ、建物の大きさなどで勝手に競っているからです。

 

そう、彼女らは「勝手に」競っているのです。

 

フリーターで手取り12万、アパート暮らしで不安定な暮らしをしていた私からすれば、土地があって、一軒家という定住場所がある。「これだけでもかなり恵まれているのに、この人達は何をくだらない事で競っているんだ?」という疑問しか湧きませんでした。自分達が今の時代でどれだけ恵まれているのか、全く分かっていないのです。

 

他の近所より高い車、高い家、広い土地、たくさんの仲間。腹の探り合いに自慢話。心底どうでもいい。

 

延々と腹の探り合いを続ける事であなたの人生は充実するのですか?それを手に入れて他人を見下して張り合って競って、勝手に妬んだり見下したり、迷惑以外の何物でもありません。

 

彼女たちの価値観は、かなりズレている(というか更新されていない)と感じました。価値観も世間の情報もアップデートされず、何十年も前の価値観の常識を若い私に押し付け、自分達が気に入らないと集団で叩くので、決定的に性格も何もかも「合わない」のです。迷惑でストレスの元でしかない。

 

ハッキリ言ってしまえば、あの人たちは精神が中学生か高校生のままで止まっていて(実際無責任に他人の家の相続を集団で嫌がらせして責任取らずに逃げる年配って・・・中学生や高校生なら教師や大人が出て注意するけど、その大人が中学生や高校生と同じ事してるって・・・呆れてしまう)、社会人の感覚でいる私との認識のズレがありすぎて、話にならない状態です。

 

6年前の相続当初からそうだったので、今も価値観が変わっていないから、やる事が変わらないのでしょうね。とっくに思春期は終わっているし、あなたたちを注意する親は亡くなっているのだから、いい加減に精神的に自立してもらいたところです。

 

余談:大きな遺産と一軒家を相続した私が、お金よりも大切なものがあるという持論を持った経緯

私は何度もこのブログで訴えていますが、時間だけは絶対に買えません。いくらお金を積もうと絶対に替えられないのです。

 

この持論は、叔父が64歳で亡くなり、今まで払っていた年金も遺族年金すらも1回だけ2万くらいもらえただけです。(補足※叔父の年金支給が65歳からで、65歳になる前に亡くなったので、40年以上払い続けた年金が全部無駄になり国のお金となった。遺族の私が受け取ったのは2万くらいの遺族年金を1回のみ。)莫大な退職金も利用できず、叔父は近所の方達から色々タダで雑用させられ、亡くなりました。そしてこれが私が「人生で本当に金では買えないものがある」と断言する持論を持つに至った経緯です。

 

私自身、近所からのいじめで立ち直るために6年もかかりました。(近所の人たちの所業は人の道を外れていると断言できるくらい幼稚であまりに自己中心的で悪逆の極みだと思います。)あまりの心の苦しみに記憶を一時的になくしてしまうほどだった私にとっては、自分の自我と命があるだけでも儲けもので恵まれていると思えるほどです。

 

私の楽しみは、たまに行うジョギングやロードバイクによるサイクリング、読書、空の観察や自然観察、家の金の生る木の成長、ゲームなどです。

 

でもその趣味って、金持ちにならなくても今すぐできる事ですよね?

 

確かにゲーム機を買うのは大変かもしれません。手取り12万の頃、来月の支払いギリギリなのにPS3を買ったりしてました。(ハードもソフトも中古ですが。)

 

ちなみにロードバイクは楽天スーパーセールで買った2万円のなんちゃってロードバイクです。それでも広い青空の下サイクリングするのは楽しいです。

 

そしてそれは、フリーターですら買えるものです。

 

安定した土地と一軒家で固定資産税を1回払えば済む、しかも会社員で年金のもらえて子供も働いている人たちが、何を張り合っているのか、どこを見ているのかサッパリ分かりません。

 

近所の方達にとっての財産は、他人の家より自分の方が充実しているのだという顕示欲などの世間体のステータスのようですが、私にとっての財産は楽しい経験や思い出そのものです。そして私の引き継いだ一軒家は築55年の色々な思い出の詰まった生まれ故郷の母の実家です。

 

そんな私を近所の人たちが追い出そうとしたのですが、私は今後も引き継いだ家で暮らしていきます。そもそも一方的に喧嘩売ってきた挙げ句、都合が悪くなったら町から追い出そうとするなんて事に加担しても反省しない時点で、いじめ主犯とこの近所の人たちは変わりません。いくら生まれた頃や数十年の付き合いがあろうとさすがに見限りました。

 

決定的に価値観が合わないと実感しているので、今後も関わることは二度と無いでしょう。

まとめ

ひとりひとりが自分の行動を大人として自覚し、改善や反省をしなければいじめは無くなりません。

 

大人は子供にとって鏡です。子供たちは大人の行動を見て学びます。私の世代で少しでも近所からいじめが無くなるように、大人として自分も恥ずべき行動はあまりせぬよう意識して客観的に見る事をしないといけません。

 

嫌いだからとその場所から排除していたら、差別と弾圧と変わりません。閉鎖的で滅びに向かうだけです。

 

嫌いなものも存在を認め、そこにいても関わらない。嫌いだからと排除していてはワガママな子供です。私自身、本当に苦しみと我慢の中にいますが、一歩ずつ前に進み続けています。

 

皆が本当の意味で互いの意見を尊重し、共存できるように少しでも近づけたいですね。

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