本気でころしたいと思うほど憎んでいたいじめ主犯とその周りの連中が、私の出したこの6年のいじめられた苦しみを書いた手紙で罪悪感を感じ、自殺したらどう思うのか、考えてみました。

 

そもそも我慢の限界を越えた発端は、いじめ主犯が毎回私の外出や帰宅時に毎回家の窓を開けてジロジロ見てくる嫌がらせを何度もしていたうえ、反省している様子が一切ないからです。つまり私は今でもいじめ主犯達への怨みがまだ強く残っている状態だったのです。ストレスの限界だと気づきました。

 

手紙を出した夜、もしも彼女たちが罪悪感から死を選んだらどうするのか、考えてみました。

 

「いくら憎い相手達でも、死なれると自分が胸糞悪くなるから嫌だな。」と思いました。(実際誰も死んでません。罪悪感どころか自分達が被害者だと発狂したようでしたが。ちなみに警官の前では淑女な態度でした。・・・苦情の手紙出した俺も悪いけど、原因作ってた奴らが何もお咎めなしは本当にやりきれない・・・)

 

本当に死なれたらその家族がこちらを恨むかもしれません。いじめ主犯達の命など、どうなろうと知ったこっちゃないですが、こちらに迷惑がかかるのはこの先生きる上で嫌だなと思いました。

 

自分の心を分析してみると、

 

  • いじめ主犯達が死んでもいい。
  • ただ、自分に迷惑がかかる所で死なれると嫌。

 

という気持ちがあることが分かりました。だから彼女たちの自然死を待つか、私が町を出ていくほかありません。(私は出ていく気はありません)

 

自分自身を分析して思いました。「人間の心ってすごく汚い」ですね。結局自分の事しか考えていない。

 

「目くそ鼻くそを笑う」という奴です。完全に脱却したと思っていましたが、まだ私もいじめ主犯達と同類なんだなと反省しました。

 

怒りや恨みは彼女たちの嫌がらせが続くとまた怒りや怨みが湧いてきそうですが、囚われないようにこれから変わっていきます。彼女たちを見かけても動じない事が本当に克服するという事だからです。

 

今のまま引っ越したとしても、同じことがあれば嫌になって引っ越すことの繰り返しですから。乗り越えようと思います。

 

彼女たちをまた見かけて、なにも反省もしていないどころか逆ギレしている態度を見ても動じないように、今年はさらに自分の心を強くするのが目標です。本当の意味で乗り越えていきます。