子供の頃のトラウマ
私は子供の頃になかなか時計の時刻の計算問題とか解けなくて苦手意識がありました。
そして算数が苦手だったところに、父親に計算問題が終わるまで、泣いても机から離れる事は許されなかったので、自分の頭が理解できなくてパンクして、頭痛の中、無理矢理勉強を続けさせられたので勉強が大嫌いになったというのがあります。
だから小学校1年生の頃から数学関係は大人になった今でも大嫌いです。勉強自体も嫌いです。
人よりもともと頭の悪い人間が、何とか「普通の人間」になろうとして頑張っていたというのが学生時代の思い出です。
私は本当に「普通の人」になりたかった。「みんなと同じ」になりたかった。でもなれなかった。人より能力の低い自分が嫌いでした。
男として立派に生きたいのに、周りからからかわれ、いじられる毎日。自分の理想と異なる自分に我慢する日々。私の学生時代は11年間で楽しい事もあるけど、思い出すのは苦痛の方が多い日々でした。(だからこそ今の私の糧になっているのですが。)
ところが大人になって社会に出ると、そんな必要が無くなるのです。むしろ「みんな違っていい」という事になります。
子供の頃、学校で成績が低かったからと言って、社会に出てもそのままできないなんてことはありません。向いている事と向いていない事があるだけです。
じゃぁ、「学校って行く意味があるの?」という事になります。
意味はあります。
学校は「考える力」を養うために行く場所
学校は考える力を養うために行く場所です。
勉強や運動をすることで脳を使う→脳を使うという事は考えるという事→社会に出て選択肢が増える→新たな発想が生まれやすい
コミュニケーションは正直どこででも学べます。しかし、考える力を養うのは、学校などで「自分が知らない経験」を知って、蓄積しないと広がりません。
学校は自分の知らない日本や世界の歴史、政治、道徳、数式、文学など、人間が積み上げてきた発展を学べる場所です。
私が学生の頃、朝に15分、読書タイムがありました。つまらないと感じていましたが、たまに面白い本があって、楽しかったこともあります。
あれから20年後に私は読書が結構好きになりました。毎年30~40冊と少ないのですが、読んでいます。
それまでは漫画ばかりでしたが、学生の頃の経験があったからこそ、読書のやり方や方法を大人になった今に模索できたとも言えます。
自分が嫌な事ばかり思い出して気づいていないだけで、学校には現在の大人になった私に役立つ考え方や情報の「土壌づくり」を教わったと実感しています。
学校はいわば、土地に作物を植えるための土壌です。中にはその時点で種を植え、育て始める人もいたのです。学生時代に立派な実のついた作物になる人もいます。
学校に通う人がいない社会はどうなるのか
私たちが今、「人間として」平和に生活していられるのは、学校で学んだからだと言えます。
学校で学ぶ人がいなかった場合、世の中は迷惑系youtuberを咎めたり、苦言を呈する事ができる人もいなくなるし、ツイフェミなどのように難癖をつける人を説得する知識を持つ人もいないから、傲慢な人が得する世の中になってしまうし、今よりもっと治安が悪く、ストレスの溜まる社会になっていたかもしれません。
学校で学んだことを現在の知識と比べ、取捨選択をしよう
学校で学ぶことはいわばテンプレートであって、現在ではありません。したがって、価値観が現在と変わっている事もあります。
たとえば私達が子供の頃は、聖徳太子は実在しているものとして、教科書に載っていましたが、現在の教科書には聖徳太子は存在しません。
世の中は日々、変わっていっていきます。私たちの生活も、インターネットの普及で変わりました。
世の中は変わった。なのに私たち自身は子供の頃、学校で学んだ価値観のままで止まってしまった人も多いです。今こそ子供の頃と向かい合って、この現在を生きるために価値観をアップデートする時が来ていると、実感しています。
ありがとうございます!ただ、意識が戻っただけで会話できるほどではなく、まだ深刻な…
お父様の意識が戻られたようで良かったです! やりたいことは、どんどんやった方が良…
こんにちは。ありがとうございます。
こんにちは。自分の健康と安全を第一に、ゆっくり休んでくださいね!
コメントありがとうございます。 「悟空ならこういう時どういう考え方をす…
私もドラゴンボールが好きでしたが、 こういう良い作品のおかげで真っ直ぐな自分でい…