以前から気になっていた疑問の一つとして、「貧乏な人が突然大金持ちになると性格が悪くなる」と言われていました。

 

気になっていたのですが、私がまさに家賃28000円、手取り12万円のフリーター暮らしから数千万円の遺産と一軒家の相続をした私自身で振り返ってみました。

 

「このお金は叔父のお金」と当初は意識してなるべく使わないでいた。

「相続したとはいえ、叔父が残してくれたお金と、皆が残してくれた家だ。大事にしよう。」そう意識して、自分の生活以外はあまり使いませんでした。一度使いだすと心が緩んで際限なく使いそうな気がしたからです。もう少し今の現実に慣れるまで待とうと考えていました。

 

相続してから7年ずっと、毎月墓参りにも行っています。霊園の自然な雰囲気や墓の周りにいる虫や野鳥、空を見るのが好きで楽しみだったりします。(私が天気や野鳥に興味を持ったきっかけです)

 

相続してすぐは、引っ越す前の飲み仲間の先輩たちといる時はお世話になっていたので全額支払ってもかまわない気でいました。私にとって幸運だったのは、彼らが相続後の私を特別扱いや差別的な目で見なかったことです。

 

相続後のお金を父に一部あげて、相続した投資信託を整理して再編し、その投資の報酬などの範囲でなるべく生活しています。(ちなみに今もそうです。)

 

そのため、実は自分のために使ったお金はほとんどありません。家の修繕、父の仕送りで使用した額の方が遥かに大きいです。未だに新卒の頃に買った中古車に、エンジンベルトを替えて乗っています。

1年ほど経つと遺産との付き合い方が分かってきた

1年ほどそうして生活環境や心理を変えないでいると、大金を持っている事に慣れてきました。そして、少し緩みが出てきましたが、書籍を読んでお金との付き合い方を改めて考え直したりしました。

 

そのため、自分の相続した遺産は家の修繕(キッチン、屋根、基礎、床、風呂など)に主に使い、残りは投資にほぼ回し、生活費も含め、自由に使えるお金は50万円もありません。これは相続当時からずっとです。(ちなみに相続当時は自由に使えるようにしたお金は20万。相続後の生活に慣れてから自由に使える分は都度、調整している)

 

投資の利益として増えた分も再投資や決算で収益として懐に入るようにしているし、今は父の医療費や生活費も用意する必要があるので、おそらく減っていくでしょう。今後どうなるのか分かりませんが。(そのために社会復帰する予定)

 

私の家の周りの人々の性格が変わってしまった

私の誤算は、幼い頃から知っていたご近所さん達が変わってしまった事です。相続から数か月後に彼女たちは私を集団で無視したり、陰口や悪口、家の明かりがつくたびに私の難癖や詮索をしたりと毎日続けていました。そして私はこの彼女たちの「裏切り」によって7年間、尋常ならざる苦しみと人生をメチャクチャにされました。

 

そして今後もおそらく加害者達こそが善良な市民として認められ、被害者である私は「性格の悪い人間のクズ」という不名誉な扱いのままになるでしょう。

 

私には思い出のある家をまだ捨てる気はないので、その状態でも生きていくために自分自身の心身を鍛え続けています。私一人に対して周り近所10人以上が都合の悪い事から目をそらし、私や主犯のせいにして逃げたのですから、私の名誉が回復する日が来ることはないでしょう。

 

自治会もいずれ私の訴えを忘れ、味方はいなくなるでしょう。加害者達が亡くなったとしても私が「問題人物」として取り上げられたままなので、生涯この町の嫌われ者としてひとり、生きていかねばならないので、覚悟は決めています。(ご近所いじめが始まった時、生涯独身の覚悟を決めました。妻子なんて持とうと思ったら、私とともにご近所いじめに巻き込まれて自殺に追い込まれる可能性があるからです。私は相続した家を大事にしたいので、最後の一人である私の代で終わります。)

 

まとめ

結論としては、「相続した人間と周りの人間次第である。」という何とも曖昧な結論です。

 

少なくとも私一人で生活するなら何とかなるのですが、父や義母の意識が変わらないと私の老後に残るお金は無いでしょう。まぁ「元々は自分のものではなかったお金」です。フリーターの頃と違って家はあるのでそこまで気にしていません。それより自分の人生を生き直す機会を得た事に感謝しています。

 

私は貧乏暮らしが長かったので、使いきらないように自分を抑えて、家賃28000円の頃とほぼ変わらない金銭感覚を維持し続けました。

 

そしてそれは今も変わっていません。キッチン周りのスペースがあるので自炊が増えました。しかし、金銭感覚的には7年経っても変わっていないと思います。(フリーターの頃からマックや吉野家によく行っているし、今も行きます。安くてポイントの貯まるスーパーや、割引シールを貼っている時間帯に行くのが多いのも変わらず。)

 

近所の方々の性格がかなり変わってしまった事が悲しいですね。特に私へのいじめの主犯は私が一番近所で信用していた方でした。他の周りのご近所さん達も私から見れば「近所のおバァちゃん達で知っている人達だから、これから一人で生きていくけどまだ安心できる。」そう、信用していたのですが。

 

結果的に私は相続後に人間不信(特に女性不信、女性嫌い)になりました。これは今でも治っていません。私は町の嫌われ者となっています。

 

そして近所の方々は生涯許す気もありません。(一方的に攻撃して謝りもしないどころか、悪評流して本当の被害者を「問題のある人物」にほぼ近所ぐるみで仕立て上げて何様なんだと。本物の悪党たちが被害者を装って、「普通の」住民として振舞っている現実が理不尽すぎて納得いきません。まともな人間がいないから数の多いおかしな人達が正当化されてしまう変な住宅街です。)

 

私が一軒家と遺産を相続したことで、私自身の内面は特に変わりませんでしたが、「良い人物」として表面だけ取り繕う周りの連中の本性は暴かれたといった感じです。

 

皆さまがどうか、ただの噂だけを聞いて本人すら見ないで嫌ったり、加担したりすることのないように願います。人は世間体や仕事、財産といった表面だけのもので全てが決まるわけではありません。人は仕事、お金、世間体、それらを一度除外し、等身大の「自分自身」を振り返る必要があります。

 

中身のある人生とは何か。この記事を読んだ皆さまが、中身を持った人生を送ることを願います。