私は読書をし続けるうちに、色々なものに興味を持ちました。紙や仏、守護霊やスピリチュアル、風水などです。といっても、詳しいわけではありませんし、鵜呑みにする気もないので、都合よく自分に良い方法を利用しています。
※宗教の勧誘などはお断りです。私自身も宗教への入信やオカルトグッズには一切興味はありません。
私が神や仏を意識するようになった理由
私は自衛隊の試験に合格し、これから横須賀基地へ旅立つ前に、神社へ「これからは自分の力で何とかしたいと思います。今までありがとうございました。」と、28歳の頃に神様と別れを告げました。
その後、横須賀基地の入隊直前の軍医の診断で以前パニック障害を患っていたことが発覚し、「精神の完治は定義上存在しない」という事で、そのまま返されたことがあります。
フリーター脱出かと思われた先、再び無一文の無職になった私はその後いろいろな職種を転々としました。
先の見えない人生。誰もいないアパートの部屋で「助けて」と呟き、再び神様にちょっと助けてほしいと思っていました。
その1か月後くらいに、叔父が末期がんで連絡がきて、会いに行き、家を相続するのですが、今度は子供の頃から知っている近所の方々のいじめが待っていました。
再び絶望した私は何とかもがいて今に至りますが、その間に夢で知らない老人に雲の上で頭を撫でられたり、関西弁のおじさんに「とりあえず、働きや。」などのアドバイスをもらったりしました。
体がやせ細って何とかしたいと思っていたらスクワットチャレンジをたまたま知って筋トレを始め、「二度と折れないために根本的に心を鍛えたい」と考えたら自分の欲しい言葉、必要な言葉の乗った書籍を書店で偶然見つけ、学び直し、一人で今の状態まで立ち直りました。
さらに家の修繕を相続した遺産から行っていますが、大体ほとんど直し終えましたが、毎回タイミングが良く、千葉の台風被害で工事の人手不足になる前、解決後などの工事などを行い、全て生活に必要な工事は終えているので現在の半導体不足や素材の値上げも避けたため、「未来でも見えているのですか?」と人から聞かれるほどでした。(偶然としか言えないです)
神に頼らないと決めた途端に色々不幸な事が起き、縋ったら思いがけない幸運が入り、「ひょっとして神様って存在するのか?頼って生きたらいいのか?」と考え、頼ったら必要かつお得な情報が次から次へと自分にもたらされていきます。
現在投資しているAIやロボット関連も購入当初の倍になり、利益はかなり出ています。(まぁその利益は父親の医療費や生活費で消えていく最中ですが)
目に見えないサインに気づく方法
私は霊感がほぼないので神や守護霊の声を聴くことはできませんが、なんとなく起こる物事から推察しています。
たとえば、ふとクリックした情報。「何でクリックしたんだろう?」みたいにぼんやり考えてみるのです。そうすると他でも意識することが起こります。それが後に必要な情報と結びつくことも少なくありません。
私がスクワットチャレンジを試したのはこれがきっかけです。相続後に立ち直る最初の一歩はこの何気なく流れてきた情報のクリックから始まったのです。
「なんとなく気になった」この感覚を私は大事にするようになりました。そうすると、気づくことが増えていくのです。「毎日が全く同じではない」と気づくのです。
意識するだけで、人生は刺激のあるものに変わります。
今ではスーパーやコンビニに買い物に行くときに毎日空を見上げたり、雑草や鳥を何気なく探したりしています。それだけで楽しい気分になります。
神や仏にお金は必要ですか?
お金はいわば、人間社会のために必要な取引のものです。いわば感情や価値といった「目に見えないもの」を人間同士で認識を共通にするために物理化したもの。いわばルールです。
お金は生命が誕生した時からあったものではありません。あとから作られたものなのです。
私は神や仏は「人間の心の中にいる」ものだと考えています。キリスト教の神(全知全能、宇宙の真理)と日本人の言う神(歴史上の英雄、祟りなど)は異なります。その人の中にはその人の「神の定義」があるのです。だから私は神とは人の心、つまり「私達自身のひとりひとりの心の中にいる」と考えています。
あなたがもしも宗教に入信し、必要以上にお金を要求されておかしいと違和感を感じているなら、一度考えてみてください。「自分の中の神様ってどんなイメージだったのか」と。
私は色々な書籍を読んで「独自の神との付き合い方」を身につけました。その結果、遺品整理でご利益やお守りのストラップ、買取できない古い人形やぬいぐるみなどを全てゴミとして処分しました。(神社のお守りなどは返しに行くヘタレです)しかし、特に悪影響は受けておりません。
私は神とは自分の心の中でつながっているものだと考えているので、ものは自分の気持ちでしかないと考えています。(そもそも工場で作った量産品ですからね。)
神様に時間も距離も関係ありません。「ご神体に宿る」という考え方があるように、捉えようがないのです。ご神体が壊れたら離れるだけです。
自分の感覚を大切にするために利用する
周りが非常識な人ばかりだと、自分が異常なのかと錯覚します。だからといって彼らに迎合すると、周りと同じ非常識になりかねません。
その時、心を支えるものとして、神や仏、スピリチュアルや風水など、ありとあらゆるものの中から自分を守ります。
「辛い、でも彼らのように迎合して非常識な人間になりたくない。」そんな時に利用するのです。
神や仏を利用するなど、罰当たりに聞こえるかもしれませんが、彼らに迎合して非常識になる事こそ、先祖や亡くなった身内たちに対して本当の罰当たりだと私は考えたので、一人になろうとご近所いじめが続こうと私は彼らに染まらず、自分であり続けました。
ちなみに、「利用する」と客観的に見て便宜上書いていますが、自分の中では畏敬と感謝を持っている(はず)です。そして今でも8割信じて2割疑問くらいの感覚です。私には霊感がないので、自身の経験と勘から「目に見えない存在」とよろしくやっています。人生楽しいですよ。
自己正当化には使わない
私が意識している事として、オカルトを自己正当化や自分の行いから逃避するために使わないという事を強く意識しています。
心が過ちを、自分の非と認めるのは辛いし、苦しいものです。しかし、失った時間は返ってきませんし、起こった事は無かったことになりません。
大事なのはこれからどうするのかです。将来同じような場面で同じような過ちを、事前に防ぐことは可能です。そのために自分の過ちと向き合うために、スピリチュアルの考え方や自己肯定、神仏を利用するのです。
自分が生きやすくなるために、過ちを犯した自分を許す考え方を身につけるのです。過ちから目をそらさないで受け入れるために利用するのです。
下記2つの選択のうち、一つ目は次は同じ過ちを繰り返さない、もしくは繰り返しても少しずつ改善されると考えられますが、二つ目は反省すらしていないので、時間が経てば忘れて同じ過ちを繰り返し続けるでしょう。
- 「こんな事をしてしまった。原因はこの時の言葉だ。反省しよう。」
- 「こんな事をしてしまった。でも私のせいじゃない!あいつが全部悪いのよ!」
あなたが恋人や友達を作った時、今後も互いに良い付き合いができるのはどちらのタイプだと思いますか?
結論:人生が楽しくなればそれでいい
私はスピリチュアルや風水、オカルト系統などなんでも組み合わせて、自分が毎日楽しく幸せに生きられればいいと思います。
人に言う必要もないし、勧める気もありません。自分の人生のために利用する。
誰かに親切にすれば、自分も良い気分になるし、他の助けられた人もいつか誰かに手を差し伸べるかもしれない。その連鎖の始まりは、実はあなたかもしれません。
「お天道様は見ている」少なくとも私はそう信じて生きています。
ありがとうございます!ただ、意識が戻っただけで会話できるほどではなく、まだ深刻な…
お父様の意識が戻られたようで良かったです! やりたいことは、どんどんやった方が良…
こんにちは。ありがとうございます。
こんにちは。自分の健康と安全を第一に、ゆっくり休んでくださいね!
コメントありがとうございます。 「悟空ならこういう時どういう考え方をす…
私もドラゴンボールが好きでしたが、 こういう良い作品のおかげで真っ直ぐな自分でい…