いじめはどこにでも発生します。それは動物の生存本能だからです。しかし、私たちは人間であり、知性と理性を併せ持っています。

 

そんな人間がいじめをする個体は「異常だ」という理由を説明します。

 

世の中に多数の人間が存在するのに一人にだけつきまとう

いじめをする人は自分を「正常な人間」だと勘違いしている異常者です。

 

私が受けているいじめの実例を話しましょう。

 

私は相続後に幼い頃から知っているご近所さん達からいじめを受けています。相続前は一切ありませんでした。ところが私が一人になって相続した途端、周り近所から陰口や難癖などを何年も受け続けています。

 

何十軒も同じように家が立ち並ぶ地域で、複数軒がたった一軒の家を何年も執着して攻撃し続ける。

 

一人の人間に複数人が毎日、何年も行動を観察し、行動の度にいちゃもんや評価を一方的にし続け、貶す事を楽しんでいる。ネチネチしていて気持ち悪いです。

 

被害者の私の視点から見れば、「これだけ何十軒も家があってどうしてうちだけ毎日近所から執拗につきまとわれるの?なんで私だけこんな目に遭うの!?」という感想です。突然見知った人たちからこんな目に遭わされる理由すら教えてもらえません。だから「どうしてこんなことするの?」という被害者の言い分は筋が通っています。

 

しかし、加害者はなぜ攻撃し続けているのか自分で分かってすらいません。「なんとなく気に入らないから」「地位や名誉があって人生を楽に生きているから」つまり加害者本人も自分の心の怒りの明確な理由を理解もせず、「なんとなくムカつくから。」「なんとなく気に入らないから。」という自分勝手で雲をつかむような曖昧な理由で人を一方的に傷つけているのです。

 

周りの人間が人の心を読める超能力者でもない限り、他人の深層心理を理解する事なんてできません。これは家族であろうと同じ事です。

 

加害者本人ですら明確な理由も話さないのに突然、他人に攻撃を始めた人間が異常者でなくて何だと言うのでしょうか?

 

それを「巻き込まれたくないから」「自分に責任はないから。」なんて理由でいじめに便乗する人間達も、本質は加害者と同様であり、状況が変わればいずれ自分が主体となっていじめを始めるでしょう。

 

この人たちはその場の言葉や直接の暴力、安全なところから一方的に他人を傷つけ、いたぶる快感に酔って、狂っているとしか言いようがありません。自分が同じ事をされたら怒るだろうに。何でそんな事が平然と人に対してできるのか。だから異常なのです。

 

いじめをする人が異常だと分かっているから、アメリカでは加害者に厳しい罰則が設けられ、フランスではいじめた側がカウンセリングの対象になります。

 

だって、客観的に見ても異常じゃないですか?近所だけで何十軒、学校に至っては何百人も人間がいて、いじめを受けている人がいるクラスだけでも何十人も人がいます。

 

それだけの人数がいて、たった一人をターゲットに、何年も複数人で粘着し、執拗に陰湿な言葉や暴力を投げ掛け続け、いざいじめをしているのか聞かれたら、「自分はいじめをしていない。」と逃れ、またいじめを再開する。しかも加害する本人たちは娯楽でありストレス解消だと考えており、自分のしている事を異常だとは思わない。

 

いじめ加害者がいじめを始めるきっかけ

  • なんとなくムカつくから。
  • 自分より優れているから。
  • 人生を楽に生きていそうだから
  • 何の苦労もしてないから。

 

いずれも全て、いじめ加害者達が見たその人の表面的な一部分、しかもいじめ加害者一人の偏見でしかありません。

 

逆にいじめ加害者に聞きたいのですが、あなたは被害者がどこで生まれ、どんな人生を歩んで今のようになったのか、完璧に理解しているのですか?理解しているならその人の苦労や努力も知っているから安易に「いじめよう」なんて発想は出てきませんよ。

 

一方的な観点だけで相手をこうだと決めつけ、勝手に攻撃を始めた自分を正当化する。

 

客観的に見て、いじめの加害者は「認知」が正常な人間とは思えません。自分が「病気だ」と自覚していない人間です。そんな人間が社会に野放しにされている事自体が異常なのです。

 

突然何年も個人に執着し、危害を加えて喜ぶ加害者を野放しにし、正常な人間に負担と対策を強いる日本は「異常」です。いじめ加害者こそ、精神病棟に入らなければならないくらい異常なのです。社会に出していい人材ではありません。

 

 

人を攻撃したから自分が同じように攻撃される自覚がない

いじめの加害者は、自分が攻撃している自覚がない事がほとんどです。

 

だから正常な人が多い所では、いじめをした加害者が相手にされなくなり、孤立することがあります。

 

そして孤立した加害者は、「自分がいじめを受けている!」という事があります。

 

これはまさに因果の応報とも言える事であり、自分のしてきた被害者に対する「攻撃」が、加害者の行為を不快に感じている人たちから「攻撃」を返されたのです。

 

よく、いじめの加害者はやり返さない人間を選ぶと言います。しかし、考えてみてください。親や自分の地位や財産、名誉などを除いて体の構成は同じなのです。体の構成が同じという事は、いじめの加害者は被害者と同レベルという事です。

 

やったら、やり返されてもおかしくないのですよ。だって、同じ体の作りなのだから。できないわけがない。個体差はあれど、それは出来る事の速度の差であって、同レベルの体なら本人の心がけ次第で同じ事ができるのです。

 

だからいじめの被害者は将来加害者になる事もあるのです。

 

 

いじめとは、集団によるストーカー行為である

一人の人間に執拗なまでにまとわりつき、自分の命令を聞かせ、それが楽しいと思っている。ハッキリ言って気持ちが悪い人達です。

 

集団で被害者にまとわりつき、自分に従うように強要する。

 

この行為、ストーカーと何が違うのですか?言葉や直接的な暴力がある分、ストーカーの加害行動に近いです。付きまとうだけでも警察案件です。ところが、「いじめ」という言葉が使われると、途端に軽い行為にされてしまいます。今の社会もかなり異常です。

 

複数人で常に付きまとう行為、これもある宗教の勧誘が話題になりましたね。創〇学会がこの嫌がらせを行っていると。

 

私たちは意識していないだけで、集団のストーカーは実在します。「いじめ」という言葉に隠れて表に出てこないだけです。

 

加害者にも被害者にもならない道へ進もう

私もこのブログのカテゴリ「近所トラブル」で受けた被害を書き続けていますが、私も第三者からみれば複数人に執着し続ける異常者とも言えます。

 

もちろん、加害者達に怨みを持っているからという理由があります。攻撃するだけ攻撃して、逃げ続ける加害者達を許せないという理由があります。

 

しかし、それが第三者から見ればただの私怨であるのも事実です。だからこそ証拠を集めて警察や弁護士など、公共機関に相談するのが正しい処置です。

 

根本的な問題として、攻撃する人がいるから被害者が生まれるのです。怒りや怨みが生まれるのです。加害者がいるから被害者が生まれるのです。

 

加害者が向き合うべきは自分自身です。それが出来ない、もしくは分からないから他者のせいにして逃げる。しかも他者のせいにしている事に気づきません。心の病気であり、治療する必要がある人間なのです。

 

今の日本は加害者という病人をそのまま放置し、社会に放ってしまいます。私たち、特に大人が一人一人が自覚し、自身の行動を客観的に見て、直していくようにしましょう。

 

子供は大人を見て学びます。子供の生存本能は大人ほど磨かれておらず、だからこそ身近な大人を手本として行動を吸収し、生きる術を身につけるのです。生存本能を獲得するための知恵を身につけてしまうのです。私達大人が手本としていじめをしないように生きる自覚を持たなければ、世の中は変わっていかないでしょう。

 

それは周り回って、自分に返ってきて、ますます生き辛くなっていきます。

 

今を、そして将来を生きやすくするためにも、少しでも自覚をもって、自分の行動を変えていきましょう。大事なのは「起こった後、自分はどうするのか」です。