私の一番嫌いな連中たちの特徴として、他人の家庭に口を出す連中がいます。

 

私の近所にもこのような老婆がいます。この方は私の家が洗濯物を夕方に取り込んでいない時、無言電話をしてくるので家の電話をブロックしました。(番号が出るので誰か分かる)いつからか、この人は人の家に口出しするようになって、この方に会うたびにストレスを感じるようになり、なるべく顔を合わせないようにしています。

 

自分の家庭のやり方を赤の他人の家庭に押し付けて失礼な人です。人にとっては「無駄を楽しむ」事でストレスを解消している人もいるのです。

 

この方は私が子供の頃(数十年前)はそんな事をしなかったのに・・・歳を取ると人は変わってしまうものですね。

 

自分と他人は何もかもが違うのは当たり前

ちなみに今回の場合、私は吸湿速乾性の衣類を選んでいるので、乾くのが早いし、浴室の乾燥機を使えば途中からでも乾きます。だから昼だろうと夕方だろうとその日運動して、午後に洗濯して1~2時間外に干し、あとは室内で乾燥できるのです。

 

ところが何の事情も知らないくせに、一方的に他人の行動だけを見て間違っていると断定して、自分のやり方を押し付ける人間がいます。こういう方は、自分の現状の立ち位置に満足していないか、不安だから他人に干渉します。自分の不安定さを恐れているから「あなたのためを思って」という盾前で、他人を使って自分の不安を解消するのです。

 

こういう方は自尊心が低い方が多いのです。自尊心が低いから自分で自分の心を満たすことができず、他人の心に自分を植え付け、満たそうとするのです。一言で言うなら他人に依存している状態です。そして同じような方と集まって、やがてグループとなって暴走していきます。ブレーキなんていません。もしもいても排除するか、自分達に染め上げてしまうでしょう。ブレーキがないから平然と越えてはならない一線を越えるのです。

 

自分の心が満たされ、安定している人は、他人が自分にとって不快や危害にならない限り、人のやる事を気にしません。その人の自由だからです。

 

人間はみんな違っていて当たり前です。同じように学校に行こうが、生まれた病院も違えば育った環境も違う。そんな人間達が集まって一つの町や国で暮らしているのだから、みんな違っていて当たり前なのです。

たとえば工場の部品ですら製造番号が異なるので、同じ形でも違う部品なので、すべて異なる存在なのです。ましてや生き物で同じ存在など一つとして存在しません。外観は同じに見えても、すべて異なる物語が背景にはあるのです。

 

私が今この記事を書いているのは、干渉してくる近所の住人達にイライラしているからなので、現状に満足していないという事でもあります。同時に私の近所には満たされている人が少ないという事でもあります。

 

特にこのような他人への干渉は、私の近所では主婦だけなので、結局はどれだけ家族やお金に恵まれ、一軒家で暮らして表面は幸せそうに見繕って振舞っていても、自分自身は自分の心を支えるものを何も持っていないから内面は不安や不満で一杯なのでしょうね。だから他人が気になって仕方ない。「自分が間違っていない」と思いたいから他の人に同意を求めずにはいられない。探らずにいられない。

 

こういう方々は自分の現状から目をそらして新しい事へ模索も努力もせず、他人のあら捜しへ現実逃避しているだけなのだから満たされなくて当然です。他人を貶したところで自分の現状は何一つ変わらないのですから。

 

人間の価値を財産や権力、世間から見た評価といったものにしか見出せず、人間の「心」を蔑ろにしてきた人達には何を言っても無駄なので、聞き流すのが正解です。人生観も生きてきた年代も異なるから価値観が合わず、相手を理解する気もないので関わらない事です。

 

自分から相手に相談したわけでもないのに、他人の家庭へ口出しした時点で一線を越えています。相手の縄張りに文句をつけたのだから本能が「攻撃された」と感じて、口出しされた側は不快になるのです。仕事ならば一考の余地はありますが、他人の家庭の家事などその人の家の勝手です。不快感しか残りません。

 

「虎の威を借る狐」ということわざがあるように、人の実力を自分の力と勘違いして自分自身で動こうとしない人間は、満たされることはないのでしょう。

自分で気づかないもしくは、気づきたくないからこそ、最期まで他人のあら捜しで自分の人生を逃げ終えていくのでしょう。まるで、飲んでも食べても飢えから解放されない餓鬼道に堕ちた亡者のようですね。

 

他人に口出しする方たちは、まず自分の人生に目を向けてください。他人に「自分に都合の良い善意」を強要して甘えるのはいい加減にやめてください。一人の大人として自分の人生を全うしてください。

 

この記事を読んで心当たりのある方は、これからの自分の行いを少しでも見直してみてください。私自身もこの記事を書いたことで、改めて自分への戒めとしています。