心が折れそうな時や弱っている時のために、心の拠り所を持ちましょう。

 

私は一度心が折れました。しかし、もう一度立ち直りました。それは心の拠り所を複数作っていた事で、心に溜まった毒を逃がす手段を用意したからです。このブログもその拠り所の一つです。

 

心の拠り所とは、いわば自分のセーフティハウスの事です。マフィアのボスのようにいくつも持っておきましょうw

 

心の拠り所を作る手段

まずは知る、行動する。知って、実行して、安心できるものや場所を複数作る事です。人でも構わないと思います。以下、心の拠り所の探し方の例です。

 

  • 今まで避けていたジャンルの読書を試す。
  • 新しい場所へ行ってみる。
  • 新しい事を始めてみる。
  • SNSや掲示板など、ネット上の交流できる場所を探してみる。

 

心の拠り所の問題点

心の拠り所を人やもの、場所にすると問題が起きる事があります。それは、その場所が無くなったら、その場所で嫌な思いをしたら、様々な経験をしたら、心の拠り所は変わるという事です。

 

場所やものを拠り所にすると、変化した時に対応できません。そして心の拠り所とは、依存ではありません。心の拠り所とは替えてもいいのです。

 

私自身、心の拠り所としていたお店がありましたが、店員や店長が変わって、店の方針が変わり、客層の変化など、なんとなく居心地が悪くなって行かなくなったこともあります。

 

それでいいのです。店は商売でやっているのだし、自分もたまたまその店のその時の状態が自分と合っていたタイミングだっただけです。

 

私たち人間は生きている限り変化をし続けていくものです。肉体的にも、精神的にもずっと変化し続けています。

 

同じままの人間など、この世に存在しません。

 

最終目標は自分の心の中に拠り所を持つ事

最終的な目標は、自分の心に拠り所を持つことです。理由としては、物や人を完全な拠り所にすると、依存先の都合で振り回されることになるからです。

 

しかし、自分の心を拠り所にすればこうした物事から解放されます。

 

自分の心に拠り所をもつとはどういう事かというと、「思い出」をたくさん持つという事です。

 

思い出とは、自分の人生経験です。自分の思い出の記憶は、無くなる事はありません。

 

仮に認知症で忘れてしまったとしても、記憶というものは体に刻まれています。私の祖母も認知症で私の成人後は覚えていませんでしたが、幼い頃の私の事は思い出すことがあるようでした。

 

自分にとっての幸せな記憶、楽しいと感じる記憶をたくさん作ること。それが、自分が弱っている時や、折れた時の「復活のきっかけ」となるかもしれません。