世の中、いろいろな人がいますよね。良い人や悪い人を見分ける基準というものもありません。

 

そこで、傷ついた心の癒し方を紹介します。参考になれば幸いです。

 

いじめを受けた理由なんて考える必要はない

理由もわからず、ある日突然いじめが始まったり、連絡が取れなくなったりすることがあります。

 

「なぜ?どうして?」困惑して傷つきます。被害者には理由はわかりません。それは当然です。

 

嫌がらせや無視など、なぜ始まったのか、加害者たちが理由を言わない限りわかりませんが、そもそも加害者たち自身も明確な理由がわかっていません。わかっていたとしても、加害者自身の問題なので、加害者が心の弱い部分を誰かにさらけ出すわけがありません。

 

加害者たちの言い分は、「なんか気に入らない」「なんかムカつく」「お前が気に入らない」という極めて曖昧な理由がほとんどです。

 

被害者の行動で治せるものがあるなら治せば改善するかもしれませんが、どうしても治したくない、治せないものは無理に治す必要はありません。それはその人の自由です。

 

仮に被害者に問題があったとしても、注意して聞き入れなければ必要最低限の接触だけでいいのです(たとえば挨拶だけとか)。

 

わざわざ攻撃する理由にはなりません。攻撃をする人は、自分の中の消化できないモヤモヤした心のストレス解消のために、攻撃に理由をつけているだけです。

 

覚えておいてください。心の弱いは「自分が悪である事」に耐えられないのです。だから倫理や道徳に反していても、自分を正当化し、他人のせいにするのです。

 

自分の心を直視できないから自分自身の行いを認めることができず、その罪悪感から逃げるためにどんどん過激化していきます。自分が悪と定義され、社会から排除されることを恐れているから「自分は世の中を正そうとしている、正義を実行している」と思い込むことで、「自分」を保っているのです。

 

人間は社会的な動物であるため、生存のために生存率を低くする要素を排除して生きてきました。(村八分、間引きなど)

 

人間の歴史の中で、脳の感情を司る部分は、実はほぼ進化していません。大脳新皮質が理性を司るように、感情を司る脳の部位は「良い、悪い」といった単純な判断しかできません。その行為の区別がつかないのです。

 

なぜ自分がいじめられるのか、そんな事は考えるだけ時間の無駄です。

 

起こってしまった事は、なかった事にはなりません。「起こった事」に対処をしていきましょう。

 

本当に強いのはいじめを受けている人

いじめをするのは心が弱いからです。いじめに耐えている人こそ、本当に心の強い人なのです。

 

考えてもみてください。ある日突然始まった複数人からの攻撃に、たった一人で耐え続けるなんて、強い人だからできるんですよ。

 

しかし、どんなに強い人でも、そんな毎日が続けば弱ってしまいます。

 

だから、周囲が気づいた時に皆で助けてください。

 

もしも助けがこないなら、自分が強い事を自覚しましょう。イメージしてください。

 

いじめを受けているあなたは、本当は一匹の大型の虎です。いじめっ子たちは、複数匹で獲物を狙う小柄なハイエナ集団です。

 

客観的に見て、強いのは大型の虎の方だと分かります。

 

人間の戦う場所が肉体ではなく、精神に移っていることに気づいてください。物事を表面の物理的な事しか考えないから「目に見えない領域の浸食」に気づかないのです。気づけば対処法はあるのです。

 

いじめを受ける人は強い人。自分自身の強さをまずは自覚してください。あなたの周りにはたまたま「本物の強さに気づく人」がいなかっただけです。憔悴して手遅れになる前なら、正しい戦い方を見つけることができます。視野を狭めて、早まった真似をしないことを祈ります。

 

視野を広げる方法

  • 考えたことは実行に移す(ただし、法律に違反しない範囲で)。
  • ドラマや小説、ゲーム、アニメ、漫画などをいろいろ見たり、読んだりして、ストーリーについて自分がどう思ったか、「自分の感想」を必ず意識して考える。
  • 物語の登場人物のどちらの視点からも、心情を想像する。
  • ひらめいた感想や心情をメモする。

 

視野を広げる方法は「自分で考えて、実行すること」が一番最適だと考えています。大いに遊ぶこと。人間が一番いいアイデアを出す瞬間は、リラックスをしている時です。よく遊んで、よく食べて、よく寝ましょう。その時思いついた自分の中の「答え」はメモに取るなりしましょう。後々見失った「自分」を取り戻すきっかけになります。

 

一歩だけ踏み出すことが自分を変える

「たった一歩踏み出すだけでいい」と考えることです。一歩踏み出すのと、一歩も踏み出さないのでは、結果が異なります。

 

客観的な結果ではなく、自分が一歩踏み出せたかどうか。それが一番大事なことです。自分を変えるきっかけはやはり自分で踏み出す一歩なのです。

 

一歩踏み出して、もう一歩踏み出して・・・その一歩を続けてきたから私は今、生きているし、このブログもあるのです。

 

この記事が、皆さんが良い方向へ一歩踏み出す勇気になるのなら幸いです。

 

勇気は誰の中にもある

自分で覚えていなくとも、あなたは勇気を持っています。勇気を持っているからあなたは泳げるようになるし、自転車にも乗れるようになるし、学校にも行けるのです。

 

自分がただ忘れているだけで、いつも勇気は自分の中にあるのだと気づいてください。

 

勇気は生涯あなたと共にあるし、決して無くなることはありません。誰かに奪われることもありません。あなたの勇気は常にあなたの味方であり、あなただけのものです。最大の味方はあなたの中で力を発揮したがっているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ:私の一歩踏み出した実体験

私自身、相続後のいじめ以外にも、小学生の頃から「いじり」という名のいじめを受けてきました。私も笑っていました。でも、表面だけです。

 

人生の半分はいじめを受けてきた人生です。自分が意見を言うことで、人から嫌われることがとても恐ろしかった。

 

私が最初の一歩を踏み出したのは、高校3年生の頃。初めて不登校をしました。小学校や中学校はエスカレート式で同じだったので我慢し、高校は別の高校に入りました。しかし、変わりませんでした。いじりが始まりました。

当然何日も続けば親も不審に思い、問いてきます。私はそこでいじめを受けていると言いました。

 

彼らにとってはいじりであり、私自身も楽しい時もありましたが、自分の「男としてのプライドや自尊心」がずっと傷ついていました。我慢し続けたのです。ヘラヘラして自分の意見も言わず、我慢している自分が嫌いでした。

 

体感ですが、人生には「自分自身」を試される場面が何度も来ます。まるで「何かの存在」がテストを仕掛けているかのように。

 

その後、大学生になって、電話で泣きながらいじめをしていた人に縁切りの電話をしました。私が「私」になる一歩目です。

 

その後社会人として色々あって、また似たような人間が寄ってきました。金を貸してくれと何度もせびる同僚です。私は争いも辞さない覚悟でメールで断りましたし、電話でもはっきり断り、罵倒されましたが、言い返しました。結果は次の日、職場で会った際、相手が「仲直りしよう」と言ってきました。その後も金をせびってきたので縁を切りました。また一歩です。

 

その後、相続して母の実家であり、生まれ故郷の街に戻ってきたのですが、ここで私は子供の頃からの近所の人たちからのいじめを受けます。そこで一度折れ、ほぼ引きこもりも同然の状態に数年陥ります。

 

いじめの主犯に苦情を言いに行きます。私はその時は声も弱々しく、震えていました。相手は太った声の大きな大柄なおばぁさんです。1回目の苦情では一切認めず、あなたの勘違いといい。私に謝らせたのです。私はしばらく立ち直れませんでした。結果は散々でしたが、これもまた一歩踏み出した結果です。

 

その後、数か月後に2回目の苦情を言いに行きました。この頃には私は周り近所から避けられて、孤立していました。酒の力を借りて声を出すようにして言いに行きました。また一歩踏み出したのです。

 

さらに数か月後、3回目の苦情は、苦情というより怒鳴りましたが。私を見た途端、居留守を使って逃げたので。一歩踏み出しました。結果的に私は「私」を取り戻しました。

 

これは私自身の感覚なので、人から見ればわからないのかもしれません。しかし、私は子供の頃に考えていた「自分」を持った大人に、私自身がなりました。

※ちなみによほどの危害を加えてこない限り、理性的な対応を心がけています。今回の状況は私の近所があまりにも非常識すぎるからです。

 

我慢をしていた頃の私に言っても信用しないでしょう。「人は変われる」のだと。

 

実体験の結果ですが、場慣れしていきます。最初は涙目、声もうわずり、小さくて聞こえないほどで、周りから見ればさぞ恥ずかしい事でしょう。しかし、そこで挫折しても、終わらなかった。次の一歩はどんどん軽くなるのを実感していきました。今いる場所の人から嫌われ、孤立しても、自分の心が折れなければ他の道はいくらでもある。

 

もちろん人生は続きます。この先どうなるのかはわかりません。しかし、ここまでの経験を乗り越えてきた自分ならどんな結果が待っていようと「なんとかなるだろう」といった感覚があります。

 

人生38年のうち、学生時代の11年、相続後の7年の約18年のいじめと向き合って生きてきた人間の実体験です。

 

コメント一覧
  1. こんにちは。いつもお役立ちの記事をありがとうございます。
    長くなりましたが、私の意見を書いてみました!!

    いじめられる理由って、結構ポジティブなケースも多いと思います。
    例えば、『気楽そう』『評価されている』『若い』などなど。それをこじつけて、(そもそもストレスが溜まっている)グループが被害者意識を共有し、いじめられている人を加害者認定するケースが多いと思いました。
    私も大人になってから、そのようなことがありましたが、第三者として見たケースでも、いじめられている側に非があると思ったケースは1度もありません。むしろ『自分を持っている人』『愚痴を言わない人』などがターゲットになっていました。
    又、被害者だったのにクレームなどを言うことで、クレーマー認定されることもありますね。

    いわゆるスケープゴートだと思いますが、周囲がデマを信じる構造が、私にはよく分からないです。。。自分自身の家族や親戚や友人たちは平和なタイプなので。

    いじめをしてくるグループの期待に応えてしまうと、自分自身のキラキラが減ってしまうと思いました。だから、このブログの『闇に勝つには光!』というフレーズはとても参考になりました!

    • コメントありがとうございます。
      いじめをする人は、結局は誰かへの嫉妬が強いのだと思います。

       

      「自分を持っている人」や「愚痴を言わない人」がターゲットになるのは、加害者にはできない事だからです。

       

      自分にはできない事をその人はやれるから。心の中で「負け」を感じているけど、悔しいから認めたくない。ではどうするのか。被害者の心を折ればいいという考えなのでしょう。「被害者が辛そうになっていくほど自分は負けていない」と実感できるから、どんどん過激化していくのだと考えられます。

       

      加害者が勝手に傷つけられたと感じ、自分の感情を認めたくなくて、他人を攻撃することで自分のコンプレックスを埋めています。

       

      加害者視点で見れば、「自分を持っている人」こそが加害者だから、自分は悪くないと言っているのだと考えられます。いずれにせよ、問題は加害者自身にしか分からない身勝手な理屈を振りかざしているのに、加害者自身が何もそのことに気づいていない(もしくは問題から目を逸らしている)事と、いずれいじめ自体が楽しくなって手段が目的そのものになっていることです。

       

      加害者は「お店で走り回って商品を壊したり迷惑をかけても、親から何も注意をされない子供」がそのまま大人になったようなものです。また、自分一人が悪者になるのが怖いから仲間を増やして責任逃れをしようとするのもバレてしまった時の恐れからでしょう。

       

      そしてその人の周囲は、そのような厄介な人には、逆らうとめんどくさい。でも「いざとなったらこの人を盾に自分は逃げられる」という安全なところから人を攻撃できる快楽に酔っている人や、「自分はトラブルに巻き込まれたくないから適当に同意しておこう」という人など、事情は様々でも理由は一つ。「自分がターゲットにされたくないから」だと思います。日本は特に同調圧力が強いので。

       

      デール・カーネギー氏の「道は開ける」という書籍をお勧めします。面倒なら漫画版でもいいかもしれません。(既読済みならすみません)
      人間は誰しもいろいろな感情を持っており、バランスが大事なんですよね。でもいじめを受けるとどんどん悪い方に傾いていく。だから物理的に光を補充するのもありなんじゃないか?と思ったのがきっかけです。「自分」を持っている人が生きるのは大変な世の中ですが、お役に立てれば幸いです。

  2. さっそく、お返事をありがとうございます!
    何年か前に、『道は開ける』を読みました。良い本ですよね!
    確か、アメリカの極悪人が、自分は良い人だと思っている(良いことをしてきたと思っている)というエピソードが印象的でした。
    また読み返して見たいと思います!

    このブログの記事や、このブログにコメントを書いてくださっていた方の体験などを読んだことも、安心感につながりました!ありがとうございます!

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