「自分に存在価値なんてない」
「自分はいてもいなくてもいい存在だ」
自尊心や自己肯定感が低いと、考えがちです。負の感情のループってなかなか抜け出せないんですよね。
そんな時は、家のアルバムを見ましょう。できれば自分が生まれた頃のアルバムが残っていると良いです。
大人になると「大事なこと」を忘れてしまうことが多くなる
自分が今、ここに生きていることが当たり前で、それは誰もが同じですが、私たちはみな「誰か」のおかげで今を生きています。
それが誰かから見た「自分」であったり、自分から見た「誰か」なのです。みんな特別で、みんな大人になれるのが当たり前だから、それが尊い事だと忘れてしまうのです。
歳を取って次の世代が育っていく。私たちより若い世代も大事ですが、同じくらい自分自身も大事な存在です。命の大切さに優先順位をつける必要はありません。(危機的状況の場合は除く)
※今から書くことは私自身の出生時の話です。皆さんも気になったら自分の出生や子供の頃の事を思い返してみてください。あなたが自分自身を見つけるきっかけになれば幸いです。
自分は「誰か」のおかげでこの世に生まれてきた
私は実家に帰った際、私に関するものをすべて引き取ってきました。その中には私が生まれた頃のアルバムがありました。今はもう亡くなった母の字です。久しぶりに見ました。
私は昭和59(1984)年4月4日に生まれました。しかし、どういう状態で生まれてきたのかは、今まで知りませんでした。
アルバムに書いてある通りならば、私は骨盤位(さかご)で、前置胎盤で、さらにへその緒が首に2重に巻いた状態で、帝王切開で生まれ、その時には仮死状態だったのです。
仮死状態だったという事は、私を蘇生させてくれた病院の方々がいるのです。顔も覚えていない病院の医者や看護師、両親、多くの大人たちが私をこの世に繋ぎ止めてくれたから、私は生きているのです。
私が今も元気に生きていることが、私の家族が私に残してくれた「最大の遺産」そのものです。そしてそれは、生まれた状況や環境は異なれど、皆さんも同じなのです。今、生きているということ自体が「誰か」が自分を大事にしてくれた「最大の遺産」であり、結果なのです。
「自分、よく障害の一つもないまま健康で生きてこられたなぁ」と思いました。私の親や親戚たちが皆、私に対して過保護だった理由が、生まれた頃のアルバムを見て判明しました。同時に私が一人っ子だった理由もおそらくこれが理由なのでしょう。
幼いころに自分に兄弟がいないのか聞いた時、「生まれるはずだったんだけどね・・・」と母が濁していたのは覚えています。
私自身には霊能力や霊感などはありませんので、超常現象がよくわかりませんが、人生で2度ほど、私の夢におかっぱ頭の白装束を着た子供が出てきたことがあります。もしかしたら、その子が私の兄弟だったのかもしれませんが、母が亡くなっているし、もう分かりません。
私の名前には、裕という文字があるのですが、これは「器の広い恵まれた人間に育ってほしい」と祖母がつけたようです(母の祖母なのか、私の視点から見た祖母(母の母)なのか、分かりません。)
私の中で欠けていたパズルのかけらの一つはこの記憶でした。私の名前の意味。器の広い人間になってほしいという願い。叶えられるのかどうかは分かりません。(実際私の器は小さいので今後も努力していかないといけません。)ですが、私の家族がそう願って私の名前を付けたのなら、私の人生の目標がまた一つできました。
これもまた、生きる理由の一つです。
忘れてしまった「何か」を思い出そう
私もアルバムを見るまでは、忘れていたことがたくさんあります。
- お気に入りの汽車のおもちゃにまたがっていたこと。
- 消防車のおもちゃがオートマ式で、ギアチェンジがカッコいいと思った事。
- おもちゃの刀が大きくて重かった事。
- 家族で海に言った事。
- 4月4日という不吉を連想させる誕生日に悩んでいた時、母に「4が重なれば4合わせ(幸せ)」だと教えられ、以来4という数字が一番好きになった事。
本当に、どうして今まであの時の事を忘れていたのだろうと、考えます。そして、それほど忘れていたのにふとしたきっかけで思い出せてしまう。人体って本当に不思議ですね。
そして、このような思い出も含め、今まで関わってきた人のおかげで私はこうして生きています。心から感謝が溢れました。「自分も生きていてもいいんだよ」「自分も大切な命なんだよ」と過去が現在の自分に教えてくれました。
色々なところへ出かけたのに、私はほとんど記憶にありません。とても大事なものでも、私は忘れています。それでも写真を見るたびに心の奥に温かいものがあると感じるのは、記憶としては忘れているけど、脳ではなく、体のどこかの細胞が記憶しているのでしょう。
私たちは、現在や将来ばかりに目を向けがちですが、これから困難な時代が来るかもしれない時だからこそ、「自分」をしっかりと持つ必要があります。
「自分」という土台がしっかりしていないと、崩れてしまい、バランスが取れなくなるからです。
この世には、人を人とも思わない悪魔みたいな人間がいますし、自分が母親になっても他人に犯罪行為をして何も反省しないような心のない人間も実際にいます。
そういった非道な輩に心を押しつぶされないためにも、一度は人生の棚卸をして、幸せだった記憶も悲しかった記憶も見直して、今の自分の役に立つ部分を探してみましょう。一見無駄に見える事こそ、大事なことが詰まっています。自分の根を、どっしりと構えて、人生を生きていきましょう!
ありがとうございます!ただ、意識が戻っただけで会話できるほどではなく、まだ深刻な…
お父様の意識が戻られたようで良かったです! やりたいことは、どんどんやった方が良…
こんにちは。ありがとうございます。
こんにちは。自分の健康と安全を第一に、ゆっくり休んでくださいね!
コメントありがとうございます。 「悟空ならこういう時どういう考え方をす…
私もドラゴンボールが好きでしたが、 こういう良い作品のおかげで真っ直ぐな自分でい…