自分は何者なのか。

 

一度は誰もが探し求めるのではないでしょうか?

 

そこで、「自分は何者なのか」探し続けた私の答えを書きます。かなり哲学的な話ですが、参考になれば幸いです。

 

「自分は何者なのか」は自分を含めた誰にも分からない

「自分は何者なのか」は、生きている間はわからないです。

 

なぜなら、「自分が何者なのか」は、自分自身で考える「自分」と、自分を見る「周りの人」ですべて感想が異なるからです。

 

たとえば私の場合は、幼いころの経験から「ダメなところもあるし、根性のない腹黒く、ちゃらんぽらんな人間」だと自分では考えています。

 

しかし、当時のクラスメイトからは「天然ボケ」とも言われましたし、通信簿をつけている担任の先生からは「真面目だ」と評価されました。親からは「優柔不断。気が弱い。」と思われています。バイト先の人からは「真面目」と評価されることもあるし、「無能」と評価されることもあります。現在の近所からは「危険人物、不審者」として村八分にされます。すべて「私が何者なのか」感想が異なるのです。

 

これは全て、誰もが人の一面しか見ていないからです。人間は多角形で面の数だけ異なる一面があります。自分以外はその多角形の数面しか知らないのです。

 

では自分がすべての面を知っているかというと、そうではありません。自分自身もまだ知らない一面があったりします。この世に全ての「自分」を知る人は、自分自身を含めて存在しないのです。

 

そして自分の面は年月や人生経験によって面の形も数も変わります。キリがありません。

 

たとえば万華鏡は、傾けるたびに違う形をします。人間も人生でいろいろな経験をするうちに面が増えたり、変わったりします。

 

人間は、生きている間は「見える面が変わり続ける万華鏡」のようだと考えています。

 

「自分が何者なのか」誰かが出す答え

「自分は何者なのか」それが決まるのは止まった時。つまり亡くなった時に決まります。しかし、それでも全てではありません。その一面を観測できるのは自分ではなく、生きている他人です。

 

たとえば菅原道真は怨霊としての一面と、学問の神様という一面を持っています。それは時代によって見る一面が異なるからです。そして菅原道真の生前の行動の結果です。特に歴史上の人物は地域によって伝承も異なったりするので、様々な一面を垣間見る事になります。

 

もしかしたら自分とは異なる存在、違う次元や魂といった現在はまだ完全に解明されていない概念ならわかるかもしれませんが、私はあまり詳しくないし、仮に全て理解しても、解釈や感想は異なるかもしれません。

 

つまり、考えてもわからないのです。私自身、自尊心や自己肯定の書籍はいろいろ読みました。一生ブレない心の在り方、本当の心の強さを求めました。

 

しかし、それは知識に影響されたこと。吸収する知識によって変わる事もあると考えられます。読んだ書籍の数だけ他の一面に気づいて増えるし、変わる事もあります。

 

だから私は、ある日考える事を止めました。「自分が何者なのか」は、生きている限り際限なく変わるからです。

 

もちろん、「確固たる信念」を持っている人もいます。それは私から見れば「自分は何者なのか」を知っている人にも見えるし、私が勝手にそう考えているだけかもしれません。本人は「自分が何者なのか」という疑問すら考えたことはないのかもしれません。

 

「自分は何者なのか」私自身の答え

だからあえて言うなら、私は「自分が何者なのか」というなら、「どんな選択をとっても、あるがまま自分を受け入れる存在」とも言えます。

 

自分の選択の結果、相手を傷つけても、相手を喜ばせても、相手から逃げたとしても、どれでもいい。

 

どんな選択肢もそれは自分の選んできた結果であり、そのまま受け入れる。受け入れる自分を好きになるし、嫌いにもなる。そんな自分すら受け入れる。

 

その時考えた「あるがまますべて」。それが「自分が何者なのか」に対する私の決めた答えです。

 

説明が難しいのですが、例えば学校の理科の実験の結果。そのままノートに書くじゃないですか。「どうしてこうなったのか」ではなく、「そうなったんだな」と実験結果を受け入れるのと似ています。受け入れた後、考えるならそれでもいいと思います。(たとえとして理科の実験を出しただけなので、もちろん授業や勉強なら考える必要はあります。)

 

「自分」という実験対象を自分で観察し続ける。私の人生が終わる時、その研究結果の全てはどんな存在が観測するのでしょうか?私たちの届かない次元の存在でしょうか?

 

世の中に正しい答えなどないからです。この「ない」というのも今、この記事を書く自分が決めたことであり、人によっては異なる答えを出すかもしれません。寝て起きたら違う答えを出すかもしれません。

 

問題集の答えは決まっていますが、人生に答えは決まっていません。だから私は自分で答えを決めました。悩み続けても終わらないからです。私の人生は続きます。

 

「どんな選択をとっても、あるがまま自分を受け入れる存在」というのは、私が決めた答えであって、また年月が経てば、違う答えになっているかもしれません。それも含めて、「あるがまま」です。

 

メチャクチャな話ですが、この世界の私を見かけた人や動物、ありとあらゆる存在全てと自分が融合して初めて、「自分が何者なのか」が本当にわかるのだと思います。

 

誰かが言った、「自分の中に宇宙がある」というのはそういう意味かもしれません。「宇宙」というのも置き変えられる単語がないだけで、「そういうもの」かもしれません。

 

コメント一覧
  1. Lisa より:

    いつもお役立ちの記事をありがとうございます!
    皆さんのコメントも読ませていただき、『私と同じだ!』と頷くところが多かったです!

    以前は、複数から責められると、私が悪いのかも(?)と罪悪感で不安になりがちでした。
    このブログや皆さんのコメントを読んで、『結構、よくあるパターンなんだな』と分かったら安心しました。
    Johnさんもコメントしてくださっている皆さんも、貴重な情報を本当にありがとうございます!!

    • john2021 より:

      コメントありがとうございます。一人でずっと耐えているとどうしても不安になってしまうんですよね。

       

      道理や道徳がいくら正しくても、周りと自分だけが異なると「自分だけがおかしいのか?」と疑問を持ってしまう、という状態は私だけではないと、皆様のコメントから私も実感しています。ありがとうございます。

  2. Lisa より:

    役に立つかわかりませんが、私の『ストレス解消リスト』もシェアしますね!
    片鼻呼吸法
    478呼吸法 (4秒吸って、7秒息を止めて、8秒かけて息を吐く)
    『だん中』という、胸の中央にあるツボをゆっくり押す(長年の不安が溜まっていると痛い!)
    『天突』という、鎖骨の中央にあるツボをゆっくり押す
    『百会』という、頭のてっぺんにあるツボをゆっくり押す
    あとは、やっぱりぬいぐるみですね!!ありがとうございました。

    • john2021 より:

      おぉ。ありがとうございます!

       

      呼吸とツボ押しですか。そういえば私もイライラしたら深呼吸をするのを思い出しました。意識すらしていませんでした。ツボ押しも健康にも良いし、お手軽でいいですね。情報ありがとうございます。

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