相続後に始まったいじめ。私以外は皆仲が良く、一見すると皆「良い人」の集まりに見えます。だから、「まさかあの人が・・・そんな事をするわけがない!」という方が犯人だったりすることが多いのではないでしょうか?

 

実態はどうだったのか。私の受けたご近所いじめの7年の実体験から分析した、私なりの考察と、いじめを少しでも減らす考え方を書きます。参考になれば幸いです。

 

新人は近所の団結を高めるために利用された

私がいじめを受けた理由としては、やはり近所の仲を深めるために生贄にさせられたという事です。

 

私がターゲットにされた理由としては、

 

  1. 県外から戻ってきた。(近所間は一軒家なので人の流動がほぼ変わらない)
  2. 自然と集まる近所に参加しない(こっちはローカルルールなんて知らないし、無駄なおしゃべりに付き合う気もない。)
  3. 遺産相続で若者が一軒家と遺産を手に入れた妬み。(いじめ主犯の「人生を楽に生きていて許せない」発言)
  4. 暇で娯楽に飢えていた。陰口は人にバレないものだと思っている。(人の流動がないという事は価値観も固定されてしまう)
  5. 悪い意味での年功序列の濫用(「年上の言う事は聞くものだ」という価値観を捻じ曲げ、「自分は何をしても許される」と傲慢な勘違いをしている。)

 

以上の事からおそらく、いじめの主犯は私が戻ってくる前に築いた近所間の仲を維持するため、いじめ主犯によって私を「共通の敵」として仕立て、現在の近所の仲(自分と近所間の力関係の維持)を保とうとしたのだと考えられます。

 

要は自分がご意見番、近所のボスというチヤホヤされる地位(本人が勝手にそう思っているだけ)を守りたかったのでしょう。

 

都合の悪い事は全て「生贄」のせいにすればいい

当然ですが、ターゲットにした人間を責めれば、自分たちのお互いの不都合は全て気にしなくて済みます。

 

私の隣家は孫が生まれ、しょっちゅう大声で会話をしており、私の家の中のテレビの音が聞こえなかったりします。数年前に家を建て直したので、日中は何か月も工事の音でほとんど家の中の音は聞こえませんでした。

 

当然私以外も周り近所に響いていました。ですが、私の近所達は私を叩けば解決するので、自分たちの不満は全て、私の家の前を通った時の物音や、私の存在自体にみんなで不満を言って乗り越えてきたのです。

 

私以外に親や旦那さんが亡くなって相続した家も2件ほどありますが、特に私のようにいじめの対象にはなりませんでした。私だけがずっと対象にされ続けたままです。

 

隣だけでなく、周りの家の掃除機の音やテレビの音、世間話の会話、料理の匂い、雨戸やシャッターを閉める際の大きな音などは周り中から入ってきます。それは私の家以外も同じはずなのに、誰も文句は出ませんし、不満もありません。

 

「私」という近所間で共通の「敵」がいるからです。だから毎日のように私の家だけ陰口や悪口、難癖をつけられ続けたのです。

 

近くで人間が暮らす以上、生活音はよほど大きな事情でなければそれこそお互い様で仕方がないと考えますが、私の近所は自分たちが他の家にかける迷惑は全部無視して、私の陰口を言う事で団結していました。

 

だからお互い小さな不満があったとしても、私の陰口を皆で言いあえば、「私」以外の近所同士は和が乱れる事はないのです。なぜなら彼女たちには、「私」という共通の敵がいるから。

 

当然彼女たちは私以外からは仲が良い近所として、知れ渡ります。逆に私は孤立させられ、周り近所に迷惑をかける「迷惑者」として周りに広まっていきます。

 

近所以外の周りは誰もが深い事情なんて知らないし、考えないのでそのまま周り近所の言葉を鵜吞みにし、加害者たちの家族も、自分の奥さんが本当は加害者という事実を疑いもせず、本物の被害者は「加害者」として噂は広がっていくのです。

 

私の周りの主婦たちは平日も休日も近所のスーパー以外はほとんど出かけません。近所10軒以上が毎日私の家だけ気にして難癖付けられる個所を探しているのだから、いくらでも難癖を付ける箇所は作れます。悪者に仕立て上げるのは簡単です。

 

いじめの主犯以上に危険な存在

いじめの主犯はもちろん許せませんが、同じくらい気を付けなければならないのは、その取り巻きと加担者です。

 

なぜなら、取り巻きや加担者は「いじめを始めた人のせい」にすれば逃げられるからです。なにも自分たちは一切反省することもなく、いじめを一過性のエンターテインメントとして、すでに「終わった事」に変えてしまうでしょう。被害者の中では一切終わってなどいませんよ?これからもずっと傷ついた心の苦しみと向き合う日々が続くのです。

 

いじめの提案に同意する人がいなければ被害者は発生しなかった。いじめを始めようとした人にヘラヘラ同意しなければいじめは発生していないのです。

 

あなたたち一人一人の態度が「いじめを成立させた」のです。そのことを決して忘れず、反省してください。でなければあなたはいじめの主犯と何も変わりません。

 

「類は友を呼ぶ」というのはこういう事なのです。「自分は違う、巻き込まれた」と考えているのかもしれませんが、被害者から見れば主犯と同じ、「逃げた加害者」であることに変わりはありません。

 

もしも被害者と友人や身近な隣人に戻りたいなら、自分から一言謝罪をすべきです。「助けられず、ゴメン」などの一言もなく、「何もなかった事」にして一切触れず、自分の頭を下げられないというのは、「内心で自分より下の人間、もしくは気に入らない。」と思っているからです。つまりいじめ加害者と同類です。相手への誠意すら見せないのなら人間関係はいずれ破綻するでしょう。

 

いくら謝っても被害者としては納得がいかないし、許すのは本当に難しいと思います。そして許すか許さないかは被害者の選択肢であって、加害者の選択肢ではありません。だからこそいじめが始まる前にはっきりと「NO!」と意思表示をしなければならないのです。

 

私の近所は身近な隣人に戻りたくないからなのか、誰一人として私に一言も「ゴメンね」の言葉すらありませんでした。現在も加害者の主犯のせいにしたり被害者である私のせいにしたり、責任を押し付けあって逃げ回っています。そのくせこちらを見かければ平然とニッコリして挨拶してきて本当に気持ちが悪かったです。誰一人として加担した自分を反省などしていないようでした。

 

数年平然と加害者に同意して盛り上がっていた人間たちとは思えない態度でした。決して許せないし、人間の醜さを思い知りました。

相手に見えない、聞こえない(と、向こうだけが思っている。数年も加害者の井戸端会議に加わって、人の家の前で大声で笑いあって盛り上がってたのがずっと聞こえていましたし、苦情を言った際に連中にも伝わりました。それでも誰一人として謝罪なしです。)なら何をしてもいいと思っているこの大人たちは、私よりも一回り二回り長く生きてきた人生で一体何を学んできたのでしょうか?

 

被害者の私から見ればいじめ主犯と同類です。こちらからそんな連中は願い下げです。こうして私は近所一帯と縁を切りました。今はお互い姿を見かけたらどちらかが家に入るか、仕方なく挨拶をして視線すら向けません。仕事なら我慢しますが、プライベートなら遠慮しません。近所とは2年以上、最低限の会話すらしていないし、挨拶もロクにしていませんが、日常生活に全く問題はありません。快適です。

 

ママ友なら「子供が巻き込まれてしまう」などの断れない事情があるにせよ、一人の大人として自分のしたことに対しては逃げないで自覚し、責任を持ってください。被害者にあなたの事情なんて本当に関係ありません。それでも許容するのは被害者の優しさです。甘えて自分のしたことを「これで解決だ」と思わないでください。

次、同じことが発生した時に加担しないよう勇気と決断の覚悟を持たないと、ママ友洗脳事件の犯人もしくは加担者に、あなた自身がなる日が来るかもしれません。

 

あなたたちのいじめは、自分の意志を持たず、周りの空気に流されたことを人のせいにしているだけの「ただの甘え」であることを自覚してください。

 

「自己保身」しか頭にない連中の集まり

当然ですが、表に真相が出る事はほとんどありません。私のブログに寄せられたコメントは全て見て、返信していますが、「加害者たちが反省した、罰を受けた」という報告は一件もありません。

 

誰にも咎められない、安全なところから人を傷つける優越感、集団による責任の曖昧さ。

 

そして「もしもこのグループから抜ければ次は自分がターゲットにされるかもしれない」という恐怖。

 

そこに一切の被害者への配慮はありません。全てが自己保身だけです。

 

私は自殺未遂をしたことも伝えましたが、何一つ効果はありませんでした。それどころか主犯は「あの子(私の事です)のせいで皆が安心して暮らせない」と、私を町から追い出そうと提案しました。

 

とても醜悪ですね。しかし、いじめの主犯にとっては自分こそが「正義の味方だ」と思い込んでいるのでしょう。その後、未だに風評被害や度重なる嫌がらせに我慢の限界が再び来た私は苦情の手紙を入れましたが、いじめ加害者によって警察に通報されました。いじめの加害者は「脅迫された。」と警察に供述したのです。

 

そしてまた後日、「自分の家のガスボンベが閉まっていた」という理由で私を犯人だと警察に通報しました。ちなみに私の家でも数年前にありましたが、おそらく業者の栓の開け忘れです。(一軒家は毎月ガス会社が各家のボンベを交換に来る。)

 

私は警察から目をつけられています。そしてこの7年、近所約14軒、主犯も取り巻きも加担した人も、誰一人として一言の謝罪もありませんし、まるで「なかった事」として平然としています。それどころかいじめ主犯に至っては逆恨みしていますし、向かい近所のいじめ主犯の取り巻きなどは未だに地味な嫌がらせ(私の家の明かりがついたとたん、雨戸を音を立てて占めるなど)を繰り返しています。

 

昭和の価値観をいまだに引きずる連中

いじめの主犯は80代あたりだったと思います。取り巻きも60~70代が多く、いじめ主犯の隣は私と同年代くらい(30代くらい?)。

主に昭和ド真ん中の世代ですね。この手の連中の特徴として彼女たちの言動から、彼女たちの価値観を推察しました。

 

  • 自宅のパソコンで仕事ができるという事が理解できない。(そもそもネットを知らないようだ。)
  • 平日に家にいるだけで「無職」扱い(自分たちが平日に集まって井戸端会議をすることは疑問に思わないらしい)。
  • 違う意見の人間は話し合いもせずに皆でただ排除しようとする。
  • 他力本願で自分のした事の責任は全て他者のせい(私が苦情を言ったことで、私かいじめ主犯、もしくは両者が悪い!と被害者面。加担した自分も反省しろよ・・・)

 

 

こうして特徴を上げると、サンリオのグッズ販売を中止に追いやったり、結婚式に呼ぶなと文句をつけて話題になった「ツイフェミ」という連中と共通している事柄が多いのですよね。フシギダナー

 

どうすればいじめが減るのか

人間は未熟で弱い生き物です。誰かを叩きたくなくとも、仲間外れにされないために加わる人もいるでしょう。今の私はそういう人を責める気はありません。「自分が絶対にいじめに加わらないか」という保証など、どこにもないからです。

 

誰かが聞いた感想が捻じ曲げられて伝わって、いつの間にか加害者になっていた、なんてこともあるかもしれません。だから私は「お互い様だ」と、自分も人もある程度の許容はできるようになりました。

 

「許す、許さない」「正しい、正しくない」の二択のその先へ進んで、本当の意味で他を認められるようになりたいと考えています。

 

ひとりひとり人間は弱いのは事実です。だからこそ人が集まれば、それが良い事であろうと悪い事であろうと、強力な力を発揮するのです。

 

できれば良い事のために団結したいところですね。そのためにはまずは一旦は保留する事をお勧めします。

 

具体的には誰の言葉もそのまま鵜呑みにしない事。「へーそうなんだ」と中立で静観する事です。もちろん、私のブログも例外ではありません。

 

誰かの言葉をそのまま受け止めるのではなく、自分で考えて、自分なりの結論を出す癖をつけてください。

 

何事も鵜呑みにする前にまず、一旦は保留する癖をつけてほしいのです。世間話は仕事のノルマではありません。保留をしても特に問題はありません。たとえば私のブログには、一個人の考察でしかないのです。だから「確かに同意できる、共感できる。だが、この人にも自分で気づいていない問題点もあるのではないのか?」と。

 

現在問題になっているネットでの誹謗中傷の原因は、私の近所の人たちのように、人の言葉を何も考えず鵜呑みにして、自分なりの考えも、責任も持たず、文面や言動にそのまま反応する事が原因なのではないか、と考えています。

 

信じるか信じないか、その2択ではなく、「一旦話は聞いた。実際はどうなのかは自分で確かめない限りは分からない」と、置いてみましょう。人間はスイッチでできているわけではありません。0か100ではなく、0と30と70など、こと細かに複数の理由がある事がほとんどです。

 

そして特に「この人と仲良くなりたいなぁ。」という考えを持つ方、気を付けてください。その人と仲良くなりたいがために倫理や道徳から目を逸らして、気づいたら自分が加害者として取り返しがつかない事になっていてもおかしくありません。

 

正直な話、私としては自分の解決の糸口を探してブログにたどり着いた方を突き放してしまうので、本当は書かない方がよいのですが、皆さまひとりひとりに、考えてほしいのです。

 

表面の言葉だけを聞いて流されるのではなく、その人の行動を見極めてください。

 

人と仲良くなるということは、ただの結果でしかありません。

 

生まれた時代も場所も、育った環境も感想もみんな違う人間なのだから、合わない部分が出てくるのは自然な事です。そこを話し合いでお互いに許容していくからこそ、友人にもなれるのです。

 

誰かの言葉を無条件に肯定することを止める事からまずは始めましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

文章が長いので、ダーーーーっとここまですっ飛ばした方のために結論を書きます。

自分の意見を持て!

 

以上です。