生きているといろいろな事があります。楽しい事もあれば苦しい事もあり、何かしらストレスというものは誰もが抱えています。

 

特に物価の上昇、コロナの外出自粛、不安の大きい将来に対するストレスがかなり大きいのではないでしょうか?

 

今回はストレスについて書いてみました。参考になれば幸いです。

 

ストレスは無くせないし必ず発生するもの

ストレスというものは楽しい時でも苦しい時でも発生します。そして老若男女誰にでもあるものです。

 

楽しい時は楽しい時間が終わり、辛い時間がこの後に来ると分かっている時にストレスが発生します。子供の頃に皆さんも経験したのではないでしょうか?授業の終わり、昼休みの終わり

など、当時はストレスだと気づかなかったかもしれませんが。

 

苦しい時は自覚できる方も多いと思いますが、ストレスは必ず発生しています。そもそも意識して無くせるものではありません。

 

どんな時でもふとした時にストレスというものは発生するものです。無くそうとすればするほど余計に意識してしまい、逆にストレスが増加することもあります。

 

ストレスを自覚する

ストレスを自覚するという事は人によっては難しいかもしれません。私自身、若者向けの転職相談所で20代の頃に「自分のストレスに気づくのが苦手な傾向がある」と、言われました。

 

その時言われたことが、「日頃からストレスを自覚し、意識的にストレスを発散させること」というアドバイスです。しかし、当時の私にはストレスの自覚の仕方が分かりませんでした。

 

現在は自分のストレスについて大体わかるようになり、パンクしなくなりました。ではどうやってストレスを自覚したのかというと、「自分の本心と向き合った」事で自覚しました。

 

自分の心を綺麗事で上塗りするな

私自身、「そういうことを考えるのは良くない」「その考えを持つのは良くない」とずっと否定してきました。だから気づかなかったのです。本音では「辛い」と悲鳴を上げているのに、自分自身がその心の声を無視していたのです。

 

自分の本心を自分で否定すれば、それは誰にも届きません。自分が自覚しない行き場のない怒りや苦しみはどうなるか。他人を使って発散する(いじめや嫌がらせなど)、うまくいかない事を他人のせいにする、もしくは自虐、自傷行為をするようになります。結果、自尊心は削られていきます。

 

「心が綺麗でない自分」を認めるのは辛いかもしれません。しかし、人は隠そうとすればするほどより往生際の悪い行動をとってしまうものです。

 

気づいたら誰かに当たり散らしていたり、毎日大声で怒鳴ったり、人のせいにしたりと、思い当たる方もいるのではないでしょうか。私も思い当たる一人です。近所からやられた嫌がらせに風呂場で一人、大声で怒り狂ったりしていました。

 

その経験から私が言える事は、自分の心はどれだけドス黒いと感じてもいいという事です。それを言葉にして誰かに伝えなければ。(もちろんカウンセリングなどは別です。言葉にしないと相手も解決策や対処法を提示できませんから。)

 

「自分の本心にだけは噓をつかない。」これを自覚すると、逆に苦しまなくなります。逆に自分自身をコントロールできるようになるのです。ストレスを知るという事は自分の心を知る事と同じです。

 

本心に自分で気づくからこそ「今、ストレスを感じているんだな」と分かり、どうすれば自分はストレスを発散できるのか。発散できないのならこの先どうするのか、などを考える事ができるからです。

 

自分の本心に気づいた後の変化

「自分の心って汚れているなぁ」と私は確かに落ち込みましたが、一旦受け入れてしまい、それが当たり前になった今では「なんであんな事でいちいち心がどうのこうの気にしてたんだろう?」と考えるようになりました。

 

心の綺麗さ、汚さも所詮は自分の決めたものさしでしかありません。自分から見たら善行だと考えていることは、実は誰かにとっては迷惑な事かもしれないのです。

 

たとえば日本の千羽鶴を折って誰かを勇気づけようとする行為は、人によっては置き場所に困り、渡された側は処分に困るものです。「気持ちは嬉しいけど、それはいらない」といった感じの心境ですね。しかしこれが自分だけが基準になっていると、相手のその後にかかる負担に気づかない事もあります。

 

この千羽鶴の場合は、自分たちで千羽鶴を作って、千羽鶴について説明をして、励ましのメッセージなどを動画撮影し、動画を相手に送るのが良いと思います。これならどんな意図で千羽鶴を折ったのか、励ましのメッセージとして受け取れるし、相手が千羽鶴の処分に困る事もありません。あなたが相手に送りたいのは千羽鶴という「ただの物」ですか?それとも「物の由来に込めた自分の思い」ですか?という話です。

 

本当の意味で自分が見えるようになると、他人の事も思いやれるようになります。心に綺麗も汚いもありません。そもそも形がないのだから自分が勝手にイメージしているだけです。(強いて言うならエゴですかね?)とはいえ、他人の行動に対して心が綺麗だとか醜いだとか、感じたりするのもまた事実。

 

答えがでない事を楽しめるようになると「人生って面白い」と感じるようになります。話は逸れましたが、自分の心のエゴに気づいたら、生きやすくなったというのが私の変化です。

 

ストレスは先延ばしにするほど大きくなる

ストレスは先延ばしにするほど大きくなっていきます。細かいものでも無視していると貯まっていくからです。

 

溜まったものはある日爆発します。爆発した後は落ち着いて、後悔したりすることもあるし、自分の中で爆発してしまって、鬱になってしまう事もあります。

 

たとえばお寺の鐘を鳴らす際、軽い力ならほとんど音はなりませんが、大きく引いてから思いっきり押して鳴らすと、かなり大きな音が響きます。力をその分溜めているからです。力をためすぎて踏ん張りがきかず、足元が滑ってそのまま手を放してしまったという経験を子供の頃にした方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 

ストレスも一つ一つは小さなものですが、溜まっていくと一つの大きな力となります。ある日ふとした何気ない事で、制御できずに大きな爆発になってしまう日が来るかもしれません。

 

 

気づいたら大きく溜まっていたストレスに早い段階で気づくにはどうしたらいいのか。それはやはり、本心から目を背けない事です。自分で自分のストレスを自覚する事。

 

私もやはり、近所とは縁を切ったとはいえ、主婦たちの声が聞こえると若干ストレスが溜まっていくのを実感するし、だんだん積もって大きくなっているのが分かります。なので、筋トレをしたり、読書をします。

 

ふと走りたくなった時にはジョギングに出かけます。私が突然走り出したくなるのは相当ストレスが溜まっている時なので、その時は「特に大きくストレスが溜まっているんだな」と、私の中で目安になっています。

 

ストレスを良い方向へ使おう

ストレスというものは一般的には悪いイメージが多いのですが、良い方向へ利用するために生かすことも可能です。

 

  • 勝負に負けた→次は勝つための反骨心に変える
  • いじめられた→いじめっ子が知らない分野で負けない得意なものを作る
  • ノルマが一番に達成できなかった→どうすれば達成できるのか考える
  • 今の会社では自分のやりたいことができない→違う分野に目を向けてみる

 

相手を貶めるのではなく、自分自身を高めるために使う方が建設的だし、健全です。

 

心というものは数字で決まっているものでもないし、固定の形があるわけでもない。自分の心がけ次第でいくらでも捉え方を変えられるものです。全ては自分の感じ方次第で決められます。

 

どうせなら自分にとって良い方向へ活かすように工夫できないか、考えてみましょう。