「思考停止って何だろう?どういうものが思考停止なのか」
私は一度、この思考停止について記事を書いてみたいと考えていたのですが、具体的にどういったものが事例になるのか、思いつきませんでした。
そこで、今回自分が思考停止していた実例が出てきたので、記事にしてみました。参考になれば幸いです。
私の思考停止の実例
私の思考停止は、今年買い替えた現在使用しているパソコンデスクです。
購入したのは画像を見て最適だと考えたから。しかし、キーボードやマウスを置くスライドが途中までしか引き出せず、キーボードの上が見えないし、マウスの操作も手の甲がスライドに挟まって操作しづらく、不便でした。せっかく買ったばかりなのにむやみに動かして壊すのも面倒くさいので、とりあえずそのまま使っていたのです。(キーボードが汚れるのが嫌で、購入時の袋を被せてあります。そろそろこれも替えないと。)
数か月経ち、こうしてブログを書く時などにやはり不便だと考え、購入したサイトの画像を見直してみたのです。
見直すと、やはりスライドはもっと引き出せています。私は自分の机のスライド部分を見回してから、少し左右から揺らすように力を入れて引っ張ってみたのです。そうするとどうなったか。
なんと、スライドがさらに動いたのです!そして購入したサイトの画像で見たスライドのように引っ張り出せたのです。
これには驚きました。購入当初の組み立て時にかなり力を入れたにもかかわらず、動かないので「壊してしまったらどうしよう」と、途中まで引っ張り出せる段階であきらめていたのです。説明書も普通にスライドできるイラストしかなかったので、不良品だったのだろうかと考えたのですが、当時はバイトもしていて組み立て式で面倒だったので、さっさとバイトの休日に組み立てたからでした。
スライドが途中までしか動かないままだった原因
スライドが途中でガッと引っかかって、引っ張り出せないままだったことは、以下の要因も絡んでいたと考えられます。
- 購入時が真冬の寒さの1月中旬なのでグリスが固まっていた。(実際、当時はグリスの塊がスライドにベタベタについていた)
- 毎日使用していること、7月終わりの猛暑の影響で、グリスが解けて滑らかになった。(今回見直した際に、黄色い塊のグリスは透明になっていた)
- 休日のトラブルが嫌で、「そのまま動かないままでもいいや」と使っていた(実際スライド以外は便利で不満がほぼなかった)。
ちなみに私が試した事ですが、画像を見直して、机を見直して、ただ左右に揺らしながら引っ張っただけで解決。机を分解する必要もなく、物をどかす必要もなく、速攻で解決しました。
あまりに簡単に解決して面白かったのと、もっと早く見直せばよかったのに。といった感想です。今は何も引っ掛かりもなく、余裕をもってスライドから引っ張り出せるので、文字を打ちやすくなったし、マウスも手の甲が机の天板に干渉しないので操作しやすくなりました。
思考停止とは、思い込みの日常化である
私の経験から言えるのですが、日常で引っ掛かりがあると、何とかする人と、不便だけど特に困らないからこのまま使用し続けようという人がいます。私は後者でした。不便だけど自分が工夫すればいいというタイプの人間です。
しかし、ストレスと不便を感じていたので今回あらためて購入した机の画像を見直したことで、スライドが正式に伸びる事を理解しました。あらためて不便だからなんとかできないかと問題に向き合った事で、無事に解決しました。
このように自分の思い込みが常に正しいのだと考えていると、思考の範囲は狭まります。時には見直してみる事が大事です。
ところがその見直しすら思い込みが強いと、問題点に気づかない事があります。私も実は今回の机のスライドの不便さは常に感じていたのに、何とか解決しようと考えませんでした。机のスライドが動かない事に慣れてしまったからです。ここが難しいところですね。
思考停止にならない方法
参考までに、私が実感した思考停止に陥らない方法について、何点か私自身の日常の中から思い当たる事を挙げてみました。
- いわゆる「自分の勘」を大事にする。勘というものは言語でまだ表せない違和感であり、。
- なんとなく過ごす日常の中で、違う事を考える。(毎日何年も通る道でも、全く同じ環境という事はない。石ころ一つ転がっている場所が違う事も意識する)
- 頭の中で物事を強く決めつけない。「こうだ!!」ではなく、「こうだろう(今のところは)。」という意識を持つ。
- 「いつも同じ」が「いつも正しい」とは限らないと考える。
特に私は今までも自分の勘というものを大事にしてきました。外れる事もありますが、今も私は自分の勘を信じています。
自分の抱えるものは全て自分の自尊心に行きつく
そしてこの自分の勘を信じるという行為は、昔の私にはできませんでした。「どうせ自分の勘なんて外れる。あてにならない。」といった感じで、自虐というよりヤケになっていたから私は自分を嫌っていました。
ではどうして自分を信じられるようになったのか。それはやはり、自分の今までの人生を見直し、子供の頃の思い込みを見直し、今の自分に役立つように改善したからです。
結局は自尊心が低いから自分自身を信用せず、「誰か」や「何か」の決定に従って何も考えない事が一番の問題です。どんな物事も土台となる自分自身が不安定ならば、うまくいかないし、本心は納得できないのではないでしょうか。
自分の決定に責任を持てるようになるには、やはり良い点も悪い点もありのままの自分を受け入れ、肯定できる事。
それが結果的に他の事に手を差し伸べられる心の余裕に繋がるのではないかと考えます。
以前の私なら、簡単に解決した今回の机のスライド問題の件を「こんな簡単な事すら試さないし、気づかなかったなんて。だから俺は社会で通用しない無能なんだな・・・」と、スライド問題が解決して喜ぶよりも、自分を責めてウンザリしていたでしょう。今のように笑って解決を喜ぶことはありませんでした。これも私の自尊心が改善されたことで起きた変化と言えます。
心の余裕があるからこそ、ある日思い込んでいた思考に改善を考える余裕が生まれた。それが今回の私に起きた机のスライド問題なのかもしれません。
ありがとうございます!ただ、意識が戻っただけで会話できるほどではなく、まだ深刻な…
お父様の意識が戻られたようで良かったです! やりたいことは、どんどんやった方が良…
こんにちは。ありがとうございます。
こんにちは。自分の健康と安全を第一に、ゆっくり休んでくださいね!
コメントありがとうございます。 「悟空ならこういう時どういう考え方をす…
私もドラゴンボールが好きでしたが、 こういう良い作品のおかげで真っ直ぐな自分でい…