世の中は自己責任論に対する賛否両論がありますが、皆さんはどこまでが自分の責任だと考えていますか?
私は人生の選択の責任は全て自分自身にあると考えています。しかし、自己責任を悲観的には捉えません。それは自分の選択の責任と他人の選択の責任を細かく分けているからです。
今回は自己責任の範囲について私の考え方を説明します。参考になれば幸いです。
自分の責任を切り分ける
自分の選択した事にはすべて自分の責任であると意識する事です。ここでいう自分の責任とは、その通りの自分の責任だけという事です。
たとえば飲食店などのアルバイトでレジを打ち間違えて、客におつりを多く渡してしまい、レジの締めの作業の際の差額で店長に怒られたとします。
この場合の自分の責任は、「①レジを打ち間違えて、おつりを多く渡した事」です。だから、今度からは間違えないようにすればいいのです。
しかし、自分の責任を必要以上に大きくしてしまう人は、「①レジを打ち間違えて、おつりを多く渡してしまい、②店長を怒らせ、③店に損害を出してしまった」と、全てを自分の責任に含めてしまうのです。
本来アルバイトの自分が背負えばいいのは、①の責任だけです。②は店長自身の責任だし、③は店長やマネージャーが負う責任です。
②で店長を怒らせたことを自分が原因だと考えるかもしれませんが、店長の選択は怒る以外にも、次は気をつけてほしいと注意をするだけの選択もあるのです。しかし、怒る選択をした。それは店長自身の問題であり、アルバイトのミスが原因ではありません。
店長は「アルバイトのせいで怒る事になった」のではなく、店長自身が「アルバイトを怒る」という選択をしたのです。だからアルバイトが、店長が怒ったことまで責任を負う必要はありません。
上記にも書いたように、店長がアルバイト「のせいにして」怒ったことまで、アルバイトが責任を感じる必要はありません。アルバイトが自己責任として反省し、改善すべきことは、次はミスをなるべくしないように気をつける事だけです。
こうやって問題を冷静に切り分けると、自分が次の日に出勤した際の目標も決まるし、メンタル面でも自身の負担は軽減されます。一見すると悪い出来事も、実は大した問題ではないし、仕事のモチベーションに変えることも可能になるのです。
1枚のステーキをそのまま口に入れて食べる事は難しいですが、フォークとナイフで切り分ければ、細かく、体への負担を小さくして食べられるのです。自分の責任の範囲を小さく切り分ける事で、問題を対処しましょう。
どうしても責任を負えないなら、一時的に人のせいにすればいい
いくら細かくしても、どうしても自分の責任を背負えず、辛いのなら、一時的に人のせいにするのもよいでしょう。
ただし、人のせいにするのは、あくまで一時的。日常の仕事に慣れ、ミスが減って余裕が出来たら、人のせいにした自分の責任とちゃんと向き合いましょう。
人のせいにするのはあくまで自分の心の中だけの話です。外面の責任は自分が負った「フリ」をしましょう。でないと人間関係が壊れます。
あくまで一時的に相手の負担にするのは、自分の心の中でだけ行うのです。「私が悪い事になったけど、私のせいじゃない、あいつが悪い」と、人のせいにするのです。
あくまで一時的な対処で、自分が冷静になるまで勝手に預けているので、預けたままにすれば当然ですが人間関係は破綻します。自分の責任を勝手に人のせいにするのですから、そのままにしておけば人間関係が破綻するのは当たり前です。「勝手にあなたのせいにしちゃってゴメン」という気持ちを忘れたら、破綻します。
私は3日ほど受け入れられない事がありました。その間は心の中では上司のせいにしましたが、表面の態度はそのままです。責任を負えないのは自分の問題だからです。
だから責任だけ一時的に勝手に上司のせいにして、心に余裕のできる休日前や、休日などに深く問題を切り分け、自分の責任を細かくして明確に背負って、今後の改善点を洗い出し、心の中で上司に「勝手にごめんなさい、ありがとうございます。」と謝っています。
全て相手のせいにしたまま逃げるのは、おススメしません。今後の人生で逃げ癖がつきますし、最終的に全て人のせい、政治のせい、社会のせい、といった具合に、被害妄想が拡大して、自分の人生が苦しい悪循環に陥ります。
メモ帳やノートに自分の失敗を書いておこう。
私がこの自己責任を背負う時にやっている事があります。それは、メモ帳やノートに自分の失敗を残しておくことです。
私は失敗したり、文句を言われてイライラしたら、家に帰ってから真っ先にメモ帳などに相手の嫌いなところや言われたこと、失敗した時ののイライラする心境などのあらゆるストレス要素を書きなぐって、紙を破り、床にたたきつけてからゴミ箱に捨てています。イライラが収まらない時は10ページくらい使っています。(家に古いメモ帳がいくらでもあるのでまだまだ新しく買う必要もありません。買うとしても100円ショップや文具店で手軽に手に入ります。)
落ち着いたらMicrosoft onenoteなどのメモアプリに、切り分けて自分の失敗した事と、どう対応すればよかったのかを考えて、書いてあります。(メモアプリならアカウントの同期をするだけで、異なる端末でも引き継げるから楽です。)
私の「失敗ノート」の作り方
- メモ帳に失敗した時の怒りや苦しみ、悲しみなどの不満やストレスなど罵詈雑言の心のままに気が済むまで書きなぐる。
- 書きなぐったメモをくしゃくしゃにするなり破るなりして捨てる。
- 失敗ノートを開いて、失敗に対して「あの時どういう対応をしたらよかったのか」「同じ失敗を繰り返さないために今後どうするのか」、この2点を書く。
もしも失敗ノートをなくしたらどうするのか
失敗ノートがもしもなくなったらどうするのか。それは「また最初から作っていけばいい」のです。私の失敗ノートも初めは愚痴と入り混じり、見辛くて仕方ありませんでした。今の型になったのはいろいろ試した結果です。
失敗ノートを作る目的は、ノートを文字で埋めたいのではなく、「同じ失敗を何度も繰り返さないようにするため」です。
自分の人生をより楽しく、より生きやすくするための補助ツール。それが失敗ノートの役割です。失敗ノート自体はそこまで重要ではありません。
タイトルも探しやすいからそう名付けただけで深い意味はありません。私のMicrosoft OneNoteの一部分を紹介します。これらのメモは時々読み返して現在の自分と比較し、人生の方針を確認しています。
失敗ノートには探しやすいように失敗を箇条書き、その下に自分の今後行う対応策など、レイアウトを統一して書いています。職種が変わろうと、報告、連絡、相談などのビジネスの基本は変わらないので、別の職種になっても役に立ちます。
onenoteの他に、プライベートの充実のアイデアなどはGoogle Keep、日々のtodoリスト、買い物メモなどはColornoteなどをスマホのウィジェットとして使用しています。
これらのアプリの問題点は、アップデートによって使いにくくなってしまう事がある事です。(google keepがアップデートでおかしくなったので、安定しているColornoteを今はメインにしています。)だから、あくまでアプリは自分の頭脳の補助であることを意識しています。
自己責任を悲観的にとらえる必要はない
最後にひとつ。自己責任だからと言って、悲観的に捉える必要はありません。もっと気楽に構えていいのです。
世の中は不思議なもので、どれだけ偉大な人がいなくなっても、それでも世の中は崩壊することがありません。なんだかんだみんな生きていけるのです。
だから、失敗しても軽いノリで生きましょう。失敗を重ねた方が、面白い雑談のネタも増えますし、人の失敗も許容できるようになり、人生に深みが出ます。
私はインスタントコーヒーみたいな、「見た目や味だけはコーヒーと名乗れる存在」よりも、本物のコーヒー豆を使った、濃厚なブラックコーヒーみたいな人生を目指して日々を生きています。
おまけ:自分の将来の夢を捨てた時の話
私は小さい頃から漠然と正義の味方に憧れていました。漠然と、というのも、私には将来の具体的な夢といったものがなかったからです。
当時もいろいろなりたい夢は漠然としていて、目指そうと思えるほどでもないくらい曖昧で、学生時代に夢中になれる「何か」を見つけられなかった人間です。
それでも漠然と、「大人になったら正義の味方になりたいなぁ」と思っていたので、漠然とした夢のために行動しました。警察官も自衛官も結果的に落ちました。
自衛官は父の知り合いの自衛官から誘われ、28歳の頃にアルバイトをしながら一人暮らしをしていた頃に受験し、合格しました。「ようやく安定した就職ができた」と当時は喜びました。
自衛官になるため、毎日走り込みをし、筋トレもして少しでも訓練についていけるよう入隊日までに鍛えていましたし、ようやく安定した職業に再びつける人生最後のチャンスを握りしめ、喜びに浸っていました。
しかし、以前の職業で患ったパニック障害という「精神病には完治の定義がない」という理由から、最後の最後、横須賀基地の健康診断で訓練開始前に落とされました。本来は「絶対」といっていいほど落とされない場面で失格となり、訓練生の中でただひとり、その日に基地から放り出され、去る事になりました。
たった2分の診断で28歳無職、無一文、住む場所なしの状態になりました。しかもこの1か月前には東日本大震災が発生し、相続前の当時の母の実家も物品不足で大変で、私からの物資の支援を必要としていました。
幸い、父に横須賀まで迎えに来てもらい、しばらく父と義母の住居にしばらくやっかいになりましたが。父からは愚痴られまくりでした。・・・一番辛いの私なんですが。当時もそうですが、なんなんだ私の人生は。「もっと良い事あってもいいだろ!」と叫びたくなる当時は人生にウンザリしていました。
警備員も経験しましたが、私はそこで、改めて自分と向き合い、「やっぱり自分のようなマイペースの人間には合わないなぁ」と感じました。そして、夢をあきらめる事にしたのです。
「将来は正義の味方になりたい」という漠然とした子供の頃の夢は、捨てました。人並みに仕事をして、結婚して家庭を作るという夢も、もう興味はありません。
相続して不安定な暮らしからオサラバし、安穏とした暮らしを送れると思ったら、近所からの執拗ないじめが始まるという・・・世の中そういうものですな。(38年の人生を振り返って学んだ結論)
なりたい職業にはなれなくても、世間一般の常識的な大人の人生は送れなくとも、私は自分の人生の楽しみ方を見つけられたので、今は良かったなぁと考えています。「なんだかんだで自分の人生って恵まれているなぁ。」と、感謝しています。
ありがとうございます!ただ、意識が戻っただけで会話できるほどではなく、まだ深刻な…
お父様の意識が戻られたようで良かったです! やりたいことは、どんどんやった方が良…
こんにちは。ありがとうございます。
こんにちは。自分の健康と安全を第一に、ゆっくり休んでくださいね!
コメントありがとうございます。 「悟空ならこういう時どういう考え方をす…
私もドラゴンボールが好きでしたが、 こういう良い作品のおかげで真っ直ぐな自分でい…