これは最終手段ですが、嫌な近所と関わらない方法は、無視に限ります。私は無視をしてから心理的にかなり楽になりました。

 

やられたことの怒りや怨みは残っていますが、これ以上に今後怒りや怨みが今後積もる量が減ります。

 

私の近所は私の相続後にいじめを始め、7年経過し、苦情を言っても一切聞き入れず、私を町から追い出そうと企てたり警察に通報して冤罪をかけてきたりしたので、話し合いなど不可能です。何を言っても無駄なので無視することにしました。

 

やるなら徹底的にやる事

  • 視線も顔も一切向けないこと。
  • 挨拶された時だけ挨拶する。(目線は向けない)
  • 話しかけられようとアピールしてきても一切無視。

 

この手の輩は自分から折れる事はありません。半端に返せば際限なく嫌がらせをやってくるのです。仕事ならともかく、プライベートは近所とは一切かかわらなくとも問題ありません。

 

「お前らなんか俺の視界にも頭にも存在していない。存在させない。」という態度を取るのが一番です。実際私は彼らが今後どうなろうと知った事ではありません。

 

葬式なども一切出ないし、一切お断りする予定です。どうしても必要な会議に出席したこともありますが、話しかけられても一切顔も向けず無視しました。

 

20年以上の知り合いたち相手に、それくらい冷酷になれるほど私の人権も尊厳も彼らに7年間軽視され続けているからです。

 

陰湿に録音されないように陰からコソコソ、録音だとはっきり聞こえない程度の人には何を言っているか聞こえる声の大きさや、すぐに離れてカメラのセンサーから逃れたりと、実に狡猾ないじめ加害者たち。

 

法律も警察も誰も自分を救ってくれないなら、自分で助かる道を選ぶだけです。自分の人生を鬼に潰されて犠牲にしないために。あとは覚悟の問題です。

 

嫌な近所を無視するメリット

  • 思考が影響されなくなる。(相手にしてしまうといじめ加害者たちに思考が引っ張られてしまう。)
  • 第三者の味方が現れる可能性がある。(関係ない人から見れば一方的に嫌がらせをしている人が問題だと考えるから。)
  • 自立心が芽生える。(頼る相手がいないため、あらゆる物事をまずは自分で何とかしようと主体的に考えるようになる。)

 

嫌な近所を無視するデメリット

  • 嫌がらせが過激化する。
  • 相手のやりたい放題となる。
  • 孤立する。

 

 

確かに悪評を流されるし、加害者たちは被害者面をして、自分の家族に話します。だから周りに攻撃的な人は増えます。しかし、関わらないならいずれ飽きてくるのです。今では私は自分は自由に外に出られるし、近所が勝手に私を避けてくれるので楽です。

 

いじめ加害者にムカつく理由

私の自己分析の結果なので、あくまで参考にしかなりませんが、人間として見られていない屈辱、自分の苦しみを理解してくれない悔しさです。要はプライドを傷つけられたまま引っ込めない。だからなんとか自分を認めさせたいのです。あなたと同じ人間なのだから自分の苦しみを理解して同じ人間なら罪を感じて、認めてやめてほしい。

 

私は自己分析を徹底的に行った結果、その結論に達しました。そして自分がどのように見られていたのかも分析しました。

 

結論としては20年以上の近所つきあいのある人たちは、相続後の私を「生きている一人の人間」として見ていないと気づいたのです。「遺産を相続したずるい存在」としか見ていないのだから、いくら自殺未遂をした事を伝えようと、嫌がらせを止めてくれと伝えようと、伝わらないのです。

 

だって、「一人の生きている人間」として見ていないから。ただの「○○○○(私の名前です)という名称の便利な道具」だから。近所の掃除で力仕事が必要な時は利用し、使わない時は陰口や難癖付けて日頃のストレス解消のサンドバッグ。日ごろの不満はこの道具のせいにすればいい。実に近所の人たちには便利ですね。

 

男をATM扱いする女性はいますが、この手の輩は本当に人間を道具としてしか見ていないのだと、私自身の体験で実感しました。

 

たとえば皆さんがもしも、歯ブラシ、椅子、机などを持っていて、いつものように使用していたある日、「あなたに雑に使われるのは嫌だ、もっと自分を尊重してくれ!」と言ったからといって、聞き入れますか?

 

「こんな反抗する道具いらない。新しいのに替えよう。」と思うはずです。

 

私の近所は私の事を歯ブラシ、椅子、机だと思っていた。だからあのようないじめをしても何も反省せず、被害者のせいにして逃げたのだと理解しました。

 

私は私の視点では彼女達が「人間」に見えていましたが、彼女たち近所の人間の視点では、私は「歯ブラシ、椅子、机」と変わらなかった。道具と話し合いをする人間なんていません。自分の要求を聞かない、逆らう道具なら腹いせに壊すか、気味が悪いと早く処分しようとするでしょう。

 

彼女たち近所の人々は、私に対して処分(町から追い出す)や壊そうと(冤罪をかける)実行しました。気に入らない道具がいなくなれば新しい道具が(引っ越して)来るから。

 

最初から会話なんて成り立たないのですよ。道具と人間では会話など成り立たないのです。

 

だから私も彼女たちに倣い、彼女たちを道具として見ることにしました。動物扱いするのも動物に対して失礼なので、「全部あんたのせいbotの擬人化」として、ウイルスソフトの一種として私の中で区分けしました。

 

もちろん最終手段です。よほど酷い事をされない限りそんな区別はしません。自分を嫌う人から無視されようと、道具なんて思いませんし、気にしません。

 

彼女たちのやったことがそれだけ長い期間、一方的で非常識で、人間の倫理、道徳からかけ離れた差別を私に対してしてきた上、その後も自分たちのしてきた事をすべて自分達が攻撃している加害者のせいにして村八分にして逃げたからこその対応です。

 

およそ人間として考えられる心のあらゆる汚い部分や醜さ、私の近所の集団自体が悪意そのものと判断したためです。話し合いが無駄な事は最初にいじめ主犯に苦情を言ったときに理解したので。そもそも他人の子供に対してそんな事ができる今の老人たちって、被害者の私から見ればもう人間のやる事じゃありません。(私をいじめる人たちは皆自分の子や孫がいる家庭の人たちです。)

 

ママ友で問題を起こす人々が多いのですが、彼女たちの多くは上記のように他の人を「自分に都合の良い道具」として見ているからだと考えられます。もちろん表面だけ取り繕うのがうまいから口八丁手八丁で体のいい言葉を並べて利用し続けるのでしょう。

 

重度の自己愛性人格障害の更生は、精神科医にもカウンセラーにも不可能だと思います。

 

治療は本人が「治したい」と願わないと改善しません。体は生きていれば入ってきた栄養を使って修復や成長を始めますが、心は自分で気づかない限り、修復や成長のきっかけすら生まれません。誰かの言葉を受け入れないからです。本人以外の誰にもどうしようもないのです。

 

まとめ

私の感想ですが、無視をするとリスクもあるけど、ストレスからかなり解放されます。周りが静かになりました。

 

それだけ酷いことを一方的にやられ続けたし、私を自殺未遂するほど追い込んだ人達ですから(もちろん私が自殺未遂をした事も伝えていますが、一切反省もしていないし陰口が止むことはありませんでした。それどころか過激化して町から追い出して自分達の犯罪をもみ消そうとした時点でイカレてる連中だと思います)。

 

未だに反省していない態度で私のせいにする人もいるので、「私を人間として扱わない相手達に対して、私も相手達を人間扱いする必要はない。」と判断しました。私は私を人間として見てくれる人たちを大事に生きていくからです。

 

20年以上の知り合いたちなので、最初は誰一人と会話することもないのを寂しくも、罪悪感も少し感じましたが、自分で考え、自分で行動する事で、世間の目を気にすることも無くなり、やりたい事をやれて毎日楽しくなりました。

 

いじめ主犯を許せない頃は、自分もかなり攻撃的で暴力的な思考だったのですが、今はかなり理性的に戻りました。今考えるといじめ主犯に対抗するために、自分もまたいじめ主犯並みに攻撃的になっていたのです。

 

この世には正義の反対はもう一つの正義という言葉があるように、人の問題は単純な善悪で解決することはありません。悪い事と分かっていても止めない人や、良い事だと分かっていてもやらない人もたくさんいます。私もその一人です。

 

常識的な人から見れば、自分の家の庭で作業をしている家主を見て、「あいつが外にいるから私たちは自由に出かけられない!全部あいつのせいだ!」などと複数人で陰口を言っている近所の人たちに対して「この人たちは頭がおかしいな・・・」と考えるはずです。

 

加害者たちが自分達の中で勝手に「私(被害者)が外にいるときは出かけない。」と勝手に一方的に決めたルールを、被害者が守る必要なんてありませんし、まして被害者のせいにされても「知らんがな。」って話です。10軒以上が誰もかれもが加担した事含め、やったことをすべて「なかった事」としてみんなでスルーしてるのヤバすぎでしょ。

 

自分がもしも7年間で同じことをされても、ヘラヘラ笑って曖昧にして近所中の人たちを許すのでしょうかねこの近所の人たち?まず無理だと思いますよ。

 

メチャクチャ駄々をこねている幼稚園児の理屈を振り回し、それを正当化している大人達なんて異常すぎて話し合いすらしたくありません。「どうか今後も私のことを嫌いなままでいてください。」とこちらから願いたいくらいです。元のお互いあいさつする関係になんか戻りたくもありません。異常者たちは異常者たち同士で被害者面して悲劇のヒロイン演じて慰めあっていればいいと思います。

 

そもそもあれだけ名誉棄損に冤罪で人の人生を潰そうとした連中とその仲間が一切誰一人として謝罪の一つもないどころか全員逃げたうえ、自分たちが陥れた被害者のせいにした時点で無理です。

 

まるで話を盛っているように感じていると読者の皆様は思っているでしょうが、私相手にやられた事実しか書いていません(私怨が多少どうしても入ってしまうのは認めますが)。

 

実際に警察が私のもとへ二度も根掘り葉掘りと私の身辺を探りに来たのは明確な事実ですから。そして加害者たちは今も一切お咎めなしで、か弱い善良なお年寄りを演じているのだから胸糞悪い話です。

 

人を貶して、陥れるような鬼と同じ舞台に上がって、自分まで同類の鬼になる必要はありません。

 

近所へ挨拶しなくてもなんとかなっています。問題があるとすればゴミ出し当番。夜に帰ってきて清掃しても私の近所は納得しません。

 

時代が変わっても専業主婦や老人に合わせなければならないので、どうしてもゴミ当番などの問題で苦痛なら引っ越してごみ関連を管理人やその雇用会社が担当するアパートやマンションで暮らす方がよいかと思います。