私が7年受けたご近所いじめの加害者たちの手口を紹介します。(書いていると嫌な事ばかり思い出して、イライラしてしまうのでこの後運動しました。)
「誰にも信じてもらえない、誰も信用できない。」私は家族が亡くなり、相続したのですが、周りは自分が生まれた頃からの近所の知り合いが多く、安心していました。しかし、私の相続後に私への集中的な陰口や難癖などが始まりました。
人生で一番辛い時に、信用していた方々からのいじめが始まる。一度心が砕け、ひどい人間不信に陥り、生き地獄にいるかのような気持ちで相続した家で暮らしていました。今は自力で立ち直り、開き直って近所からの村八分を受け入れて暮らしています。
私のように周りからの嫌がらせを誰にも信じてもらえず、被害者なのに、加害者もしくは問題人物に仕立て上げられた方々。現在そのようないじめを受けている方々の参考になれば幸いです。
私が受けたご近所いじめの記事はこちら。今は怨みを思い出さない事で、自分の人生にだいぶ集中していますが、加害者たちは誰一人謝罪もないし、未だに私を加害者扱いしている連中も多いです(特にいじめの主犯とその隣人や周りの年寄り連中は私を加害者扱いしている人が半数)
相手は老婆たちであり、本当に巧妙でした。数十年こんないじめのやり方を磨いて生きてきたのだと思うと、絶句します。この人達は結婚し、子供や孫ができて、長い人生の中で他人をけなす技術を磨いて、誰かを追い込んで楽しんできたのだと思うとあまりの性根の悪さに吐き気がしますね。
表向きの態度だけは良い加害者たち
私をいじめる近所の老人たち専業主婦は、表向きはかなり良い人です。訪問者に素直に笑顔で「ありがとうございます、助かります、」など、ものすごく態度が良い人たちなのです。
私以外の人から見れば、誰もが「あのおばあちゃんたちがそんな事をするわけがない」と思うでしょう。私も実際にそう考えていました。自分が相続してから始まったいじめがなければ、私でさえ気づかなかったです。
実際、私の相続前の最後の家族である叔父が危篤状態になった際、私が近所の人に相談として真っ先に電話をしたのが、現在のいじめ主犯のおばぁさんでした。私が子供の頃から20年以上近所で一番信用している方でした。今も子供たちにそろばん教室を開いて、そろばんを教えたり、子供を預かったりして、世間からは「とても良い人」として見られている方です。
この方が私の相続後に近所に「皆であの子を無視しよう」といじめを提案し、何年も毎日のように私の陰口や難癖を続け、私を自殺寸前まで追い込み、勇気を出して苦情を言った私を町から追い出そうと近所中に提案し、私に冤罪をかけて警察に逮捕をさせようとした方です。
県外の父以外の身内が亡くなり、生まれ故郷の街に帰ってきて、家を相続した私を待っていたのが、子供の頃から信用する近所の方々からのいじめでした。私は人間の心の、言葉でたとえられないあまりの汚さ、醜さに絶望し、人を信じなくなりました。
私が引きニート化した原因の一端とも言えます。(人のせいにするのは良くないですね。)
いじめの加害者は曖昧さの達人
録音に何を言っているか聞こえないけど、本人には聞こえるような陰口や悪口を行う。
簡単に言えば、声の強弱をつけて行うという事です。本人に聞こえるように大声で言う時と、悪口を言っているけど誰への悪口を言っているかを明らかにしない(ただし、該当する人には自分のことだと分かる悪口)を行うという事です。
言い逃れと立場のすり替えをされた実例
私は私の家の倉庫の前ではっきりと私の家に向かって聞こえるように「ああいう風に人生を楽に生きているのが許せないのよ!」と言われました。
声の方向や大きさが、明らかに井戸端会議の距離ではなく、明確に家の中にいる私に聞こえるように、私の家の方向を向いていると分かりました。
なぜなら私の家の中に今まで以上に大きな声で響いていたからです。
後日これを最初の苦情を言う時に言いましたが、一切聞き入れませんでしたし、私が話し始めても、自分の自己弁護を続け、私の話を一切聞かず、一旦間を置いたので私が喋りだしたら自分の話をまたかぶせてきて、話し始めた私の声を聴かず、そのまま自分の大声を被せて再び自己弁護。
ずっと一方的に加害者が自己弁護を続け、私が話し出しても一切聞かず止まらずひたすら自分の話をしていたのです。内容は全部「あなたの勘違いだよ」の一点張りで、結局話し合いにならず、私の勘違いとして謝罪して終わりましたが、こんなものを話し合いだと言えますか?
私はこの時点で「この人はクロだ」と確信しました。
後日、私の勇気を出した苦情を笑い話にしていました。未だに取り巻きの「出ないとまたいじめって言われちゃうよ!アハハハハ!!」と高笑いした楽しそうな世間話をしていたいじめ加害者たちの言葉は一生忘れないでしょう。
本当にあの時は屈辱でした。木刀を持って殴り込みに行こうとしたのもこれが原因です。私は人生でこれほどひどく人間としての尊厳を傷つけられたことがありません。何年経とうと薄まらない、残り続けている心の傷です。
その後、私は自治会長に話をして自治会を抜けます。翌日大声でいじめ主犯は私の家のまで「誰かあの子を消せる業者を知らないかねぇ!?」と大声で近所の人と話していました。明らかな脅迫行為(それどころか被害者の私からしたら殺〇予告と変わりません。)です。証拠はなくとも、この人たちが陰口や悪口、嫌がらせをしている事は事実です。
もしも本当にしていないなら、自分から自治会に「そんな事はしていない」と言えばいいだけの話です。しかしいじめ主犯はこの7年で一度もそのようなことはせず、突然私を町から追い出そうと近所に提案し、挙げ句、私から再度苦情の手紙を入れられた際に「脅迫された」と警察に通報、後日に「ガスの栓が閉まっていた」として警察に再度通報し、私は二度も個人情報を警察に探られました。冤罪をふっかけて私を逮捕させようとしたのです。
これも最近の話なのですが、自宅近くでトラブルがあり、パトカーがきていたのですが、人だかりを見て「○○君?」と私の名を出したのです。まるで私が犯罪をしたかのようにその場の人たちに印象付けようとしたのでしょう。どんな手を使っても自分のいじめている被害者を排除して、自分の評判を守ろうとする異常ぶりです。
ここまでされても明確な証拠はないので、いじめ主犯は誰にも裁かれませんし、罰も受けません。本人も一切の反省すらしていません。それどころか子供たちを悪人から守る正義の味方かのように考えているのが心底気持ちが悪いです。自分の都合が悪いから、自分がいじめている被害者を町から追い出して、自分のした行いをもみ消そうとしているただの犯罪者と変わらないのに。
この「法律で裁かれない犯罪者」を裁く術がないのが今の日本です。悔しいですね。そしていじめの被害者は「悪人」に仕立て上げられます。近所やその周りから見れば私は老人をいじめ、近所の子供たちが安心して暮らせない原因である危険人物なのです。
現在も私が外にいる時は子供たちに外出させないようで、近所の家の玄関前からは「ねぇどうして外に出ちゃダメなの!?」と涙声で子供の叫ぶ声が聞こえる日もありました。(子供たちには大人のくだらない喧嘩に巻き込んでしまい、申し訳ないと思っています。)
一番泣きたいのは私なんですがね。「まぁお天道様は全部見ているだろうから、誰も信じなくともそれでいいや。」と納得しています。
それよりもキャンプ場探したり、サイクリングでどこへ行こうか、マラソンの距離と時間を延ばすためにフォームや呼吸を見直すか。今遊んでいるゲームもクリアしたいし、水族館や美術館、特に今年は東京国立博物館の150周年記念の展示イベントにも行きたい、あぁ火災保険支払うためにバイト入れなきゃなど、自分自身の事で頭が一杯です。
毎日自分の事で手一杯なので、平日も休日も顔を合わせれば誰かの詮索や陰口をいつ始めるのかわからない連中に付き合っている暇はありません。
加害者は周りに共犯者を作るのがうまい
いじめの加害者は自分一人の責任を負うのが嫌で、周りに仲間を作ります。自分と同じように陰口を楽しむ仲間を作り、言葉巧みに支配します。
「私に加担しないなら今度はあなたを標的にするわよ」という、言葉には出さないけれど、実行することができるという事を、証明するのです。私の近所のいじめ主犯は、まさに私に対して実行しました。だからこそ近所に私の味方はいません。
「次は自分が標的になるかもしれない」という恐怖で人を支配する。こんなご近所づきあいをしたいと考えるのは、同類だけでしょうし、長年続けていれば、いずれ自分自身が同類になってしまうでしょうね。
表向きの態度だけ良い人のフリをされ、聞こえないと思っている加害者たちの陰口。聞こえていると分かったらあえて聞かせるために毎日毎朝続く陰口。まさに地獄でした。
私はこの頃、突然大声で叫んだり、心の中で思っていることが気づかないうちに声に出してしまっていたりしたので、本当に壊れていました。人を壊してもなんとも思わないどころか、被害者のせいにして逃げたのが私の近所の人たちです。
加害者たちが反省する日は来ない
私はいじめ主犯に合計3回は苦情を言っています。しかし、反省する様子はありません。いじめ主犯はそのころから私を町から追い出そうと近所に提案し始め、自治会などにも報告したりしています。「子供たちが安心して暮らせないから町から追い出した方がいい」などよくも言えたものです。
あなたたちの何年にも及ぶ陰湿ないじめが原因なのだから、あなたたちがいじめを止めればいいだけの話でしょうに。
いじめの主犯も、いじめの加担者たちも誰一人謝る事はなく、それどころか老人たちに至っては被害者の私が文句を言ったからこんなトラブルになったと、私のせいにする人さえ数人いるのです。
この人達は自分の子供や孫が、私と同じように親や祖父母が亡くなって、家を相続した時に同じ目に遭ったら、そんな理屈を言えるのか、聞いてみたいものです。もちろん、私は報復などする気はありませんが。(関わると恨みや怒りが抑えきれないので、現在は老人たちを完全に無視しています。私の中ではこの「法律で裁かれない犯罪者たち」とはすでに絶縁状態です。)
いじめとは名誉棄損や脅迫にあたる犯罪行為である
この老人たちは子供のいじめで済む範疇を超えています。第一、いじめとは内容を見ればわかりますが、個人の誹謗中傷や風評被害をばらまき、個人の名誉を著しく損傷させる行為であり、個人の基本的人権を無視した差別です。
さらに警察を使って冤罪をかけさせようとしたいじめ主犯は、逮捕されてもおかしくない行動にもかかわらず、「歳だから。」という理由で見逃されているのです。もちろん今も反省すらしていません。もしも本当に「高齢で頭がはっきりしていない歳だから」という理由なら、今も自分のそろばん塾でそろばん教室を開いていられるのでしょうか?一人暮らしをしていられるのでしょうか?私には疑問で仕方がありません。
確かに被害妄想や認知症の入り口にはいるかもしれません。ですが、自分のしている事を嫌がらせで後ろめたい事だと自覚しているからこそ、被害者に気づかれにくい巧妙な嫌がらせを何年も続けているのは事実です。これが「高齢だから」で片づけられる理由にはなりません。
「女性で高齢」だと犯罪にならない理由を説明してもらいたいですね。日本はつくづくおかしな国だなと感じます。国全体に「差別」が蔓延しているのになぜそれが当然という態度の高齢者が多いのか、疑問で仕方がありません。
被害を受けた被害者が一方的に我慢をさせられる状況はあまりにも理不尽すぎます。加害者たちには何もお咎めなしで、被害者だけが心に大きな傷を抱え、加害者は反省する事もなく、責任を取る事もなく、今ものうのうと暮らしていられるのが今の日本です。
こんなことが続けば加害者たちが反省する日は来ないし、次の世代やさらに次の世代に当たり前のようにいじめを引き継がせていくのです。そんな悪しき慣習を日本に残したいと皆さんは思いますか?私は反対です。
私はたとえ近所の方々が謝ってきても許す気はありません。加害者は謝った時点で自分の贖罪は終了したと思い、反省などしません。次に誰かがいじめを始めたらまた加担し、他の人間をターゲットにいじめを始めるからです。父に近所からの嫌がらせを電話で相談した際、「あの人たちはずっとそうだよ。」と言っていたので、私が生まれる前からこの近所はそのようないじめの応酬がずっと続いているようです。
最低でも40年以上、こんなことを繰り返してきたのかと思うと吐き気がしますね。埼玉の部落差別を再び引き起こすつもりなのでしょうかね、うちの近所の人たちは。
悪しき慣習は私の代で断つために、そしてこれ以上誰も怨まないために近所と絶縁する道を選びました。私の心に幼いころから知っている方たちへの、やりきれない怒りや怨みはかなり残っていますが、今はだいぶ薄れています。「あんな奴ら」の事を頭の中で考え続けて、自分の人生の時間を「あんな奴ら」に使い続けたくありません。6年も無駄にしましたので。
だから今は毎日を自分のために謳歌しています。
いじめ被害者が前を向いて生きていくための考え方の一例
嫌な情報を完全に断つことで、嫌な相手に思考を割く時間がだいぶ減りました。心の中で占める近所の人たちへの割合は減っています。自分が住む町では無法者、危険人物として終わる事も気にしていません。
自分の人生は自分のものです。外から見た他人の評価や理解など、所詮は自分自身ではなく他人の視点なのです。自分自身が理解し納得していればいい。
何人も身内の亡くなる顔を見てきたからこそ言えるのですが、人生の最期は誰かに看取られたとしても、必ず自分の肉体から一人であの世へ旅立つものです。だからこそ最期に思い出すことが幸せな事なら、それはその人にとって「良い人生だった」と言えます。
私は怒りや怨みばかりを思い出す最期など送りたくないので、心に幸せや感動を詰めて生きていくと決めています。あの世があるなら、家族やご先祖様と再会した時に、楽しい話をしたいと考えています。
ありがとうございます!ただ、意識が戻っただけで会話できるほどではなく、まだ深刻な…
お父様の意識が戻られたようで良かったです! やりたいことは、どんどんやった方が良…
こんにちは。ありがとうございます。
こんにちは。自分の健康と安全を第一に、ゆっくり休んでくださいね!
コメントありがとうございます。 「悟空ならこういう時どういう考え方をす…
私もドラゴンボールが好きでしたが、 こういう良い作品のおかげで真っ直ぐな自分でい…