心の中は汚くていい

人間はみんな、心が汚いし醜いものです。でもそれって、悪い事ですか?私はそうは思いません。

 

たとえば表面上は笑顔で喜んで、心の中では嫌がっているとしても、それは構わないと思います。それが普通でいいのです。

 

心が汚いと自覚するからこそ綺麗になろうと、より良くなろうと改善するきっかけになるからです。

 

疑問すら浮かばない人は、何も発展もしないし、改善も改悪もしません。変化がありません。または心が汚いと認めてそれが「自分らしい」と、改善せず、ひたすら他人に危害を加えて孤立する人もいます。それもまたその人の選択の結果です。

 

たとえばいくら一緒にいて気の合う楽しい友人でも、疲れてきたり、一人になりたい時やもう解散したい時にいつまでも付き合わされることはウンザリするものです。でも、それでもいいんですよ。

 

ウンザリするからと言って、友人を止めますか?侮辱をされたりして、関係が悪化したのならまだしも、ただ疲れただけで、友人として縁を切ってしまう人は、そんなに多くはないかと思います。仮に縁を切ったとしても、それはもともとあまり親しいわけではなかったか、相性が悪いのでしょう。

 

それでいいと思います。人は心の中までは分かりません。分からないからこそ、伝えるために言葉にしたり、行動にしたりするのです。

 

しかし、これは私の経験ですが、人の言葉はあまり信用しない方がいいでしょう。世の中には平気な顔で、他人を陥れる嘘をつくことができる人間がいます。

 

もし相手の言葉に対して「ん?」と引っかかる事がある場合、その人の本心を見極めるならば、「その人の今まで起こした行動を振り返る」事です。

 

以前の私はそれが分からず、言葉通りに受け取ってしまっていたから、信用してはいけない人たちを信用してしまいました。

 

言葉と行動が違う人間の例

私が実際に体験した言葉と行動の異なる例を紹介します。私の近所の、私の相続後からいじめを始めた人の言葉と行動です。

 

私の近所のいじめ主犯の例

私に対して言った言葉:「何かあったらいつでも相談してね。私はあなたのことを孫みたいに思っているから。」

実際にいじめ主犯が取った行動:他の近所の人たちに皆で私を無視するよう提案。家の物音一つにすら難癖や陰口を近所間で続ける。

 

上記のように言葉だけを捉えたら、私の事を心配をしているように見えますが、行動を見れば一目瞭然で、私の尊厳を貶めています。相手を貶める噂を流し、貶し続ける行為を何年も続けること自体がその人の本性です。どんなに表面的に良い言葉を使い、良い笑顔で振るまっても、その人の取った行動が本性です。

 

嫌々やっている人もいるかもしれませんが、その場合は本性がバレたら一切かかわってこないか、なかった事にして振舞うか、です。私は許せなかったのでそのような人たちの態度に関しても許しません。ただ、今回の事で次に同じ状況が起きたら、その状況の人たちには少し寛容になろうと学習しました。相手のその時の態度とやったこと次第ですが。私自身がそのように意図せず加害者に加えられてしまった時に許しを請う事もありませんし、相手が嫌うならそれでいいと思っています。

 

世の中には平然と綺麗な言葉を使い、表面も良い人を保っているのに、行動はとても言葉に見合わない人がいるのです。いくら相手の笑顔が綺麗だったり、優しそうだからと自分自身に言い聞かせても、行動がその人の本性を証明しています。

 

世の中には相手が幸せそうにしていると、自分の利益を度外視して、他人に嫌がらせをして足を引っ張ったりする人がいます。そして、そのような人間は、実は日本人にはかなり多いのです。このような人への嫌がらせは「スパイト行動」と呼ばれています。

 

自分の勘を信じよう

あなたの違和感は、あなたの「本心そのもの」です。言葉にはならない何か。つまり感情です。

 

相手へのどこに違和感があるのかは、理性である「あなた」がこれから探せばいい。だから自分の勘を信じるようにしましょう。

 

仮に相手に何も問題がなかったとしても、あなたと相性が合わないだけなのかもしれないので、敵対する必要はありません。受け流しておけばいいのです。

 

たとえば私の判断基準ですが、私は相手に対して短期間に「ん?」と思う事が3回あったら、「この人とはあまり意見が合わないだろうからなるべく関わらないようにしよう。」と距離を置きます。

 

自分を知る事が相手を知る事につながります。根拠なんて必要ないのです。なぜなら感情や本心は自然と発生するもので、理性で抑えようとしても抑えられないからです。自分の感情を受け入れれば合わない相手を無理に自分の心に入れなくてすみます。

 

雨よ降るなと空に命令しても雨は降るし、太陽にもっと気温を抑えてと言っても抑えられません。それが自然というものです。

 

人間の心も同じで、私たちの理性ではどうしようもないものです。私たちの理性は「ものごころがつく」というように、感情よりもずっと後にできたものです。生まれた時からずっと人間の体にあるものは感情の方なのです。「本心」とはあなた自身の感情です。自分の本心と自分の理性が協力すれば、これ以上の味方はいません。

 

良い人悪い人の見極め方は、相手が良い人か悪い人かという決めつけではなく、自分にとって良い影響か悪い影響かという相性みたいなものです。固く考えず、生きやすくなる処世術の一つとして、参考になれば幸いです。