青い空、久しぶりの快晴。

 

とてもいい天気だ。洗濯物もよく乾きそう。

 

おお、近所の人達も出てきた。みんな楽しそうに話をしている。

 

誰かの家の邪推を共有しあっている。いつものことだ。

 

「人間の本性は誰かの人生を滅茶苦茶にしても決して変わることはないし、死ぬまでこの人達は誰かの噂話や陰口を皆で共有するのが人生の楽しみなんだろうな。」

 


 

これが私の人生で経験した世の中の決して理解できない価値との共存です。

 

世の中には根本的にわかりあえない、価値観の異なる人間がいると、知識だけではなく経験として学んだ話です。

 

この異なる宇宙人とも言える人達との共生もまた、誰かの個性を受け入れると言うことなのかもしれません。

 

この人達は、自分が犯罪者として逮捕されるようなことがあっても、おそらく心から反省して改心する日は来ないでしょう。

 

私には性根がもはや腐っているようにしか思えないのですが、誰かの家の事情を勝手に共有しあって誰かを敵に仕立て上げ、皆で叩くことが人生の楽しみや生きがいとなる人々もいるのだと言うことは、よくわかりました。

そして私の彼女たちに対する性根が腐っているという感想もまた、私個人の感想であり、世の中には彼女たちを称賛したり、受け入れる人たちもいるのです。

 

それは仕方のない事です。私が彼女たちのように、誰かと一緒になって誰かの家庭のうわさ話や陰口などを叩きあう日々を楽しいと思えないように、彼女たちもまた、私を理解できないし、存在が邪魔だからと排除しようとする事を楽しんでいる。

 

今の世の中は、多くの価値観を持った人たちがインターネットを通して世界中で誰もが声をあげられる時代になりました。自分と価値観が合わない人たちがいるなら、価値観の合う人達もまたいるのです。ならば価値観の合う人達を探して生きていけばいいし、誰もいなくとも、年月が経てば新しく気の合う人とも出会うかもしれません。自身の価値観に変化も生まれるかもしれません。

 

私は今後も今のご近所さん達との付き合いはお断りですが、存在自体が許せないからといって、彼女たちのように冤罪をかけてまで嫌いな人を町や世間から排除しようとする気はないので、「今日も元気だなぁ」と、宇宙人達を軽く受け流せるようになっていこうと自身の日々を変えていこうと改めて決意したのでした。