前回の記事から、また彼女たちのガス抜きをする必要があると判断して、長時間出かけました。

 

私がハッキリ家に居ないとわかれば、彼女たちが私の悪口を言える機会を作れるため、ガス抜きができるからです。

 

自分でおかしな話だと思いますよ。えぇ。

なんで被害を受けている側が加害者たちのために配慮して、自分の悪口や風評被害を言う機会を加害者達のために作って、ストレスを発散させてあげないといけないのか。

 

本当にバカバカしい。ですが、いじめのボスや取り巻きが、私の悪口を言えなくてストレスを溜めて、何をしてくるか分からないのも怖いので。

 

無責任で卑怯で、何をやっても人のせいにして被害者面。

 

言葉でたとえられない人間の内面の醜さがむきだしで、もう近所の人達の事を考えると吐き気がするので一切関わりたくありません。

 

「類は友を呼ぶ」とは言うけど、せめて自分の意見を持った人が近所に一人でもいればいいのに・・・どこにでも良い顔しようと無責任な連中ばかりでホント嫌になります。

 

嫌いなら嫌いでいいんですよ。私だって近所の人達が嫌いだからもう関わらないようにしているけど、何も町から排除しようなんて思いません。

 

お互い一軒家なんだし、この不安定な時代にそんな事言う気もありません。

 

でも相手は私には一切配慮しない・・・私の人生や生活がどうなろうと知ったこっちゃない、「あたしが嫌いだから町から排除したい。でもそんな事を言うと自分たちが悪者になるから、町の子供たちの安全のためという事にして、町から追い出そう。」という、被害者という名の盾を構えて、安全なところから攻撃しているのが丸わかりで、彼女と周りの内心の醜さに吐き気がします。

 

体裁を取り繕ってるのがバレてないとでも思っているんですかね?本人以外には丸わかりだと思います。

 

いじめの加害者ってのは被害者の命なんてどうでもよくて、ただ「自分が勝つか負けるか」でしか物が考えられない連中なんだなと、改めて思いました。

 

第三者に相談してみた

全く関係ない新たな第三者に現状を話したところ、私の近所達への感想は「う~ん、何と言えばいいのか、ちょっと、連中は頭がおかしいですね。」でした。

 

「客観的に見ても相続なんて、誰にでも起こる事だし、第一他人の家の事情なんだから、全く関係ないのに。」と語ってくれました。

 

「もしかしたら私の態度が癪に障ったのかもしれません。井戸端会議に参加しなかったのも原因かも。」と、相続以外の近所トラブルの線も、客観的に自分の方にも原因があるかもと、聞いてみましたが、「いや、それでも。連中のやってる事って小学生のいじめと変わらないですよね?大人が小学生と同じような事やるって・・・まして親ですよね?自分の子供が相続して同じ目に遭ったらとか、考えないのかなぁ?」と、首を捻って、

 

「最低だな。という感想しか出ないですね。」とのこと。

 

「俺一人が文句を言っているので、おかしいのは俺の方なのかなぁ。」とあえて自分が間違っている体で聞いても「いやいやいやいや。」と苦笑いで即座に否定し、「この町の住民の方がおかしいですよ。」とキッパリ言っていました。

 

やはり今までの第三者の全員が「私の近所がおかしい。」という回答でした。とりあえず、私は第三者の方々には「こうして話をしている分には、贔屓の目を抜きにして考えても、常識的な感覚であなたに問題があるとは感じない。」という評価はいただきました。(お世辞も入っているかもしれませんがそれでも心強いです。ありがとうございました。)

 

 


 

 

「こんな話を聞かせて申し訳ないし、愚痴を聞いてくれてありがとうございます。」という感想と同時に、今の近所との現状を話していながら、内心で「今、自分も近所の人達のように陰口を言っている時の、醜い顔をしているんだろうな。」と思っていました。なんか顔の筋肉の、動く部分がいつもと違うんですよ。うまく言えないけど、なんか嫌な感じでした。改善します。

 

7年間近所の言葉と行動の違いのせいで誰も信用できないから、やっぱりずっと嫌がらせをされていると「本当は自分が間違っているのかな?」と不安になる事も多いのですが、やはり直接人に聞いて、意見をもらうのって大事ですね。

 

とはいえ私のやられている事を、おじいちゃんおばあちゃんが好きな人から見ると相当ショックだったらしく、「すみません。それほど酷い事態だったなんて。」と全く関係ないのに謝罪されてしまい、逆に聞かせてしまって申し訳なかったです。そういえば私も最初はかなりショックだったなぁと。

もう慣れてしまったから普通の愚痴のつもりで話したけど、絶句して言葉にほとんど詰まっているのを見ると「やっぱ人に話す内容じゃなかったな。」と内心で反省しました。私も感覚がズレてきているようなので気をつけねばなりません。

 

[閲覧注意]近所の人達に感じていた気持ち悪さの正体

私はその反応を見て、近所の人達に抱いた気持ち悪さの正体がわかった気がしました。「あの人たちは毒親よりも卑劣な人間なんだな。自分の大事な知り合いや子供たちには良い母親や孫を演じ、他人の子供には自分の子供にできないような嫌がらせをして、自分たちそれぞれの家庭のストレスを発散しているんだ。」と。

 

自分たちは家族や近所以上に大事な友人達に「今まで通りの良い人、親や祖父母」として接し、自分の環境は円満で守りたいから、普段の溜まったストレスは自分たちの悪事がバレても誰かに言いふらさないような人を選んで、みんなでいじめる事でストレスを解消していたのだなと。

 

この人達が相手に物理的にいなくなってもらった方がいいのは当たり前です。いつ自分たちの悪事がバレるのかわからないですからね。バレたら逆に自分たちが町に居辛くなる。だから私を「町から追い出そう!」「警察に通報しよう!」などと、いじめの主犯や取り巻きは自分たちのいじめた被害者を排除するために積極的だったのですね。

 

りゃみんなバレた途端に加担していた人達はいじめの主犯か、被害者である私のせいにするし、いじめ主犯や取り巻きは、「町から追い出そう!」などと息巻くでしょうよ。誰も責任を負いたくないんだから。

 

「私が苦情を言うタイプだと思わなかった」「反撃すると思わなかった」といういじめ主犯の言葉が引っ掛かっていたのですが、ようやくわかりました。そりゃ町から追い出そうとしますよね。バレたら困りますからね。

 

今の近所の情勢的に、加担していた人たちはいじめ主犯に非難的です。そう、加担者たちも加担したことを誰かに押し付けて逃げようとしているだけなのです。

 

井戸端会議に参加していた人達から聞こえていた会話は、ひたすら誰かに謝らせようとしている会話でした。主にいじめの主犯にです。

 

自分が加担した事を悔いて、自分から反省して謝ろうと提案する会話は聞いたことがありません。誰もが誰かに謝らせようと押し付けあう会話を、毎日聞かされる被害者の私の心境はボロボロでした。だから私は近所中を無視するようになったのです。あまりに醜い話し合いの内容を毎日聞かされたから。

 

そのうち、いじめの主犯の取り巻きや老人たちは「被害者が悪い!と文句を言うようになりました。いじめの主犯に何を言っても無駄だからです。どうしようもないから被害者を町から追い出すことに協力的になりましたし、加担していた人達も口を出さなくなりました。終わってくれれば自分たちは平和になるからです。

 

人を一方的に傷つけ、人生や生活をメチャクチャにしておきながら、自分は安全なところで傷つきたくない。責任を負いたくない。だから状況が落ち着くまで逃げ続ける。でも状況が変わらない事にイライラして、いじめ主犯や被害者の私が悪いと、かつて加担した人たちの集団は文句を言いだす。

 

現在の状況とこの推測に到達した時、私はあまりにもおぞましいこの「人間の姿をした化け物共」の心の醜さに、比喩表現ではなく本当に吐きそうになりました。

 

「改めて考えてもこいつらは人間じゃない。」本心からそう思いました。

 

この人達の頭の中には何一つ、自分が傷つけた被害者への罪悪感はないのでしょうか?

 

全員が自己保身に必死で責任転嫁を続けているなんて。

 

ハッキリ言って毒親以下の人間性です。人間にすらたとえたくない。おぞましすぎてたとえようがありません。

 

今も私が周り近所の誰か一人の機嫌を損ねたら、他の近所で共有してまたみんなで叩くという構図に変わりはありません。挨拶しても挨拶しなくてもどうでもいいのでタイミングがあった時だけ挨拶しますが、基本はどうでもいいです。

 

いちいち人の行動を上から目線で待ってて、近所の皆様方の期待にこたえなければ、私以外の近所で共有して私の陰口を叩いて団結する私以外の近所連中の期待に応える気はもうありません。うちの近所は全件がクレーマー体質なのは変わらないようなので無視が一番安全です。時々今回みたいに爆発しそうな老害たちが厄介ですが。

 

もう、本当に異常ですよね。一軒家で人の流動がほとんどない地域は、閉鎖的になるんだなぁって。あの人たちを見ていて痛感しました。

 

いじめ主犯の行動原理の解明

今までのいじめ主犯の行動から、いじめ主犯の視点で犯行理由を推理して書いてみました。

 


 

自分の息子やそろばん教室の子供たちには酷い事はできないから、他人の子供を周りを誘っていじめて、近所の団結を高め、ストレスを解消する。

 

今回の新しい対象は、私たちの輪に加わろうとしない。じゃあみんなでいじめのターゲットにしよう。私たちの団結はこれで高まる。いじめる理由は私たちに加わらない反抗的な態度と、相続で家と遺産を楽に手に入れたずるい若者だから。私たちが彼を攻撃するのは正当な理由だ。

 

家族はもういない独り身の人間だから居心地が悪くなれば町を出て行くだろう。だから自分たちの悪事はバレない。出て行かなくとも今まで選んできたのは誰かに言いふらすタイプじゃない、気弱な相手だから、勝てる。

 

だからみんなで陰口や悪口を言うのを楽しめる。近所の皆も一緒にやってくれる。人数は多いし、長い付き合いだから何かトラブルが起きても、周囲の人たちは対象ではなく、私たちの言い分を信用してくれる。地域が私たちの味方だ。

 

ところが今回の対象は出て行かなかった。反論するタイプだと見抜けなかった。

 

このままじゃ近所の団結も、私の評判も悪くなってしまう。どうにかして対象を排除しないと。私の近所間の立場や自分のそろばん塾の評判が落ちる。だからいろいろと対象の悪評をばらまき、町に居られないように孤立させ、居づらくなったら自分から出て行くように仕向けよう。

 

それでも出て行かないから直接動かなければならない。なにも正当な理由がないと町から追い出したくても周りは賛同しない。私が悪者にされてしまう。

 

では自分を慕う子供たちを守るためなら、自分が悪者にされることはないだろう。周りは今まで協力してくれたのだから今回も協力してくれる。

「町の子供たちが不安がるから、あの子を町から追い出そう!」

 


 

以上、私の考察したいじめ主犯の思考の流れでした。

 

・・・あくまでこれは私が経験した7年の嫌がらせからの、いじめ主犯の行動から推察した心理にすぎません。ですが、相続前は叔父がいじめ主犯のそろばん教室の授業内容を作らされていた事を考えると、相続時にこの近所からいろいろ使いパシリにされていたと聞きましたし、私と同じような目に遭っていたことは推察できます。

 

私が相続した家へ戻ってきたのが2015年2月1日(それまでは他県で働きながら一人暮らしでした)。叔父の入院費の手続きや必要なものを持って病院と家を往復していました。2月14日に叔父が亡くなり、私が葬儀の喪主を担当しました。そして家と遺産相続の手続き(叔父の生命保険の相続人が私の名義だった)、残りの入院費の支払いなどをしながら遺品の整理をして暮らし始めました。いじめが始まったのはその数か月後です。

 

叔父のパソコンに残っていたそろばん教室のテキストデータ。2回目の苦情を言いに行った際に、「授業をさせてあげた」と言っていたことから、その時に使用したと思われる。おそらく無償で働かせたのでしょう。報酬の明細などを見た覚えがありません。(黒塗りの所はいじめ主犯の名前が入っているので伏せています。)

 

叔父のパソコンに残っていたいじめ主犯のそろばん教室で授業を行ったとされるファイルの日付は、2014年5月と6月です。

そろばん教室のテキストファイル

 

このほかにも自治会組長の経営する中華料理店のメニューをパソコンで作ったと聞いたので、おそらく私の近所は私の叔父のように、相続した私が自分たちの便利なパシリになってくれると期待していたのに、パシリにならなかったことに腹を立て、いじめの動機にもつながっているのではないかと考えています。

 

実際叔父が亡くなったのを伝えたその場で、自治会組長の奥さんが言った「100万円ちょうだい♡」は本当に忘れません。冗談でも言って良い事と悪い事があるでしょう。本当にこの人達は人を道具としか見ていないのだなと軽蔑しています。

 

叔父はタバコを吸いますが、会社を辞めてからのたばこの量が尋常じゃありませんでした。その結果、叔父は会社を退職後、わずか4年でこの世を去ります。65歳になって年金を受け取って有意義に暮らす直前でした。

 

私の考えはこれまでのいじめ主犯の行動に辻褄が合う部分も多いように感じました。

 

私が自治会を脱会する相談で、近所の人達からやられた事を自治会長と副会長が訪問して長話をした翌日、いじめ主犯は私の家の前で大声で「誰かあの子を消してくれる業者を知らないかねぇ!!」と大声で怒鳴っていた事からも、自分たちのやった事が近所以外にも発覚したため、バレてヤケになったのでしょう。

 

私が自治会を脱会した時にいじめ主犯から送られてきた手紙。正道って誰だよw自治会は毎年、会員の名前をフルネームで書いて、班長を担当した際には会員の漢字の名簿があるのです。正しい名前は少し調べればわかるのです。

 

班長をやっているんだから名簿はあると思うんですけど、叔父の名前が合っているのかの確認の手間すら惜しみますか。

 

感謝している・・・ねぇ・・・自治会脱会の相談を自治会長とした後に「誰かあの子を消してくれる業者を知らないかねぇ!」と私の家の前で私を排除する宣言をした人が感謝している?

散々何年も誹謗中傷して被害者面して私に謝らせて、翌日笑い話にした人の感謝の手紙など、ただの挑発にしか思えませんでしたよ。「お世話になって感謝している」と言っている叔父の名前をずっと間違えているし。

 

そりゃただのパシリにして道具扱いしてた人間の名前なんて、いちいち合っているのかのかなんて調べないわな。よくもまぁこんな文章を書いて被害者のポストに入れられたもんだ。その後の行動を考えれば欠片も感謝なんてしていないでしょうに。

自治会脱会後に来たいじめ主犯の手紙

 

私の自治会脱会後、いじめ主犯は「被害者を町から追い出そう!」と近所に定期的に提案し始めるようになります。

 

私がそんないじめ主犯の態度に業を煮やし、いじめが始まって7年目の今年。反省すらしない態度に業を煮やした私が苦情の手紙を入れたのがいじめ主犯の好機だったのです。

 

いじめ主犯は警察に通報します。「苦情の手紙」という脅迫の証拠を手に入れたから。事情を知らない警察は「か弱い老婆が無職の男性に脅迫されている。」と考える。いじめ主犯は警察を味方につけました。だから何か理由をつけて「対象にやられた」と警察に通報するようになった。なぜなら自分が被害者だという正当な理由を身につけたから。

 

町から追い出そうと提案してもいつもの近所で賛同してくれる人は同じ老人以外いない。周辺住民にも提案するようになり、近くで工事をしている人にも提案するようになり、いじめ主犯は共にいじめに加担していた人達からもやがて非難をされるようになった。

 

じゃあどうするか。自分の手で物理的に排除するか、話し合いをするか。それが今回の話し合いをしようと私の家の周囲を窺っている状況という事です。

 

 

 

 

 

おそらくいじめの主犯は本物のサイコパスなのだと思います。私といじめの主犯はそもそも20年以上の近所の知り合いで、子供の頃から挨拶は時々する人です。周りもそうです。

 

そしていじめの主犯は私の叔父の危篤時に、私が一番最初に電話で相談した方です。叔父が亡くなって若いのに一人になって大変だと考えるのが普通だと思うのですが・・・よく信頼されている相手を平然とターゲットにしようとできるなぁと。

 

これがサイコパスなんだなと。情は一切通じない、自己保身に長け、倫理や道徳が意味がない事は7年間でよくわかりました。

 

「私があなたに自殺未遂をするほど追い詰められた」と伝えても、何の反省すらしていないのだから当たり前ですが。

 

改めて思います。私の推測が正しければあの老婆は、人を何人死に追いやっても一切反省しないし、逮捕もされない野放しの、本物のモンスターです。

 

かなりの高齢のはずですが、ピンピンしているので恐ろしい話ですね。

 

これから自分はどうするのか

自分が嫌うものばかり意識していると、自分もやがてその嫌うものになってしまう。これはミラーニューロンの法則からも当てはまります。改めてかかわりを断つために近所の事は忘れるようにしようと思います。

 

話を聞いてくれた相手の方に「絶句してなんとも言えない顔をさせてしまって申し訳ございません。」と内心反省しています。「本当に、なんとも言えないというか・・・言葉が出ないですね~。」と苦笑させてしまい、困らせてしまいました。

 

これ以上は私も、メンヘラなかまってちゃんになってしまうので、この件は終わります。

 

悲劇のヒロイン気取りは私も一緒ですね。ご近所さん方に言えません。

自己責任の下に生きる以上、愚痴も行き過ぎれば陰口となりますし。ここらで気を引き締め、自身の在り方を仕切り直しする所存です。

 

皆様にも記事のタイトルから、ご心配をおかけして申し訳ございませんでした。

 

ま~何かあったらその時はその時ですし、その時が来ないと分かりませんね。

 

今回で自分に足りないものに気づいた

精神状態のあり方について、やはり体験だけでは不足を感じているので、「禅」について読書で考え方を身につけようと思って、現在読んでいます。

 

内容の中には私が悟り?状態みたいな感覚に達した時と似た感覚の話もあったので、禅の話で理解や納得できるものもありました。その状態の詳しい解説も載っており、理解のできる部分も多く、自分の体験から禅に通じる心当たりのある事も多いので、理解や気づきがより深まって楽しいです。

 

彼女たちの「いかく」にいちいち惑わされないように心の器をもう少し広げないと、ブログ訪問者の皆様にもご迷惑をかけてしまうので。修行が足りませんね。

 

一生でどれだけ精神的に成長できるのか。謙虚な姿勢は忘れないように心がけます。

 

再びバイトも決まったので。今を生きる事に集中します。

 

私が現在読んでいる本です。禅に関するものは何種類か少し立ち読みしてから買うものを選んだのですが、この一冊が「禅」の内容の辞書的な使い方ができるように感じました。私の考えている事と似たようなものも、より分かりやすく文章化され、より深く追求しているものも多く、読んでいて楽しいし、勉強になります。

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