やりたい事があるなら、老後に回すのは止めましょう。
その理由を私の家の事例から説明します。
退職後の叔父を待っていた現実
私の叔父は当時60歳で会社を退職し、退職金は約1億円でした。これなら老後の年金の支払いまで十分だと判断したのでしょう。
叔父は退職後、のんびりと両親から相続した実家で暮らしていました。
ところが、近所の方たちから雑用を押し付けられたりするようになりました。彼女たちにはおそらく、大企業で働いていた叔父への妬みも含まれていると思います。
叔父も自分が大金をもらって投資信託の運用などをしていると喋ってしまったのでしょう。おそらくは町の人間を信用していたからです。実際私も自分の相続までは信用していました。
「人は大金を持つと変わる」私の家の場合は、周囲の私たちを見る目が変わりました。
宝くじなどが偶然当たった人ならともかく、堅実に働いてきた人間だったので金遣いは荒くないにもかかわらずです。
おそらくは「老後に金銭などの心配の必要がないから。」これが叔父が周り近所の叔父より年上の年配たちから妬みを買ったのでした。
人の絆は金の前では簡単に崩れ去る。退職後の叔父を待っていたのは、近所の老人たちの使いパシリという現実でした。
さらに叔父は投資で失敗し、持っていた退職金は半分以上損失になりました。(私が相続した時に約4000万円とちょっとでした。)
結果、叔父は退職から4年後、ストレスからかタバコを吸う量が激増し、(昔は灰皿一杯に吸う人じゃなかった。量が10倍近く増えていた。)肺がんになってこの世を去ります。
そして私が相続する事になりました。
相続後の私を待っていた現実
相続後の私を待っていたのは、20年以上の知り合いたちから現在も続く老人たちが中心のいじめや陰口、監視です。
私は叔父とは異なり、老人たちのために一切何もやりませんでした。(何も頼まれたりする事もなかったし)自治会に入会中は自治会の行事で掃除には参加していましたが、それ以外で一切かかわりを断ちました。
私がやられた事はこちらの記事などで書いてあります。
私はこの近所からのいじめによって、心が壊され、長く苦しむことになりました。
私の家に迷惑をかけた近所は、いずれも祖父母の代からの知り合いたちです。何十年もの付き合いのある人たちですら、そんな人達が、このようないじめをして他人の家をメチャクチャにする事もあるのです。
何十年も知っている人たちが、他人の家の相続などが起こったら集団になっていじめを始める。そんな事もあるのです。
私からすればこのいじめをしている人たちは、自分の子供も結婚し、孫に恵まれ、生活も何一つ困っていません。年金も十分もらえているようでパートに出る様子も一切ありません。
安定した老後を一軒家で送れているようです。にもかかわらず、身内を亡くし、新しい環境で仕事を見つけ、一人で生きていかなければならない若者の相続を妬んで集団で攻撃する意味が分かりません。この人達は血縁関係もなく、私の相続と一切関係がないからです。
私からすれば手取り11万、家賃2万8千円の生活から、安定した住処を手に入れてそれだけで十分なくらい恵まれていると思っていたのです。しかし、私以上にいろいろと今後の生活も安定して恵まれている、同じ一軒家の周囲の私より遥か年上の住民たちから集団リンチを受けるとは思ってもみませんでした。
私自身や私の近所の人達の行動から、結局人はお金や家族に恵まれても、「自分自身の心が満たされないと幸せを感じない」という事がよく分かります。
今までその兆候がなかったのではなく、彼女たちは老後に前頭葉が衰えて、猫を被るのが難しくなったのだと思われます。
この世に天罰や因果応報などは都合よく遭遇することは稀です。実際いじめに加担した人や主犯は誰一人として罰を受ける事もないし、私以外は皆、いじめなどなかったかのように近所間は元の関係に戻り、私を犯罪者や不審者として今でも「近所の共通の敵」扱いです。
誰一人として私の一家を自分たちの一方的な都合でメチャクチャに潰した事を反省すらしていませんし、罪悪感すら持っていないようです。それどころか現在は「自分たちが被害を受けた側」みたいなふるまいです。この人達は今後も近所で起こることは全て私のせいにすることで近所の仲を保ちながら生きていくのでしょう。
近所の人達は人間として信用に値しません。論外です。
いくら嘆いても現状が変わる事はないので、近所を気にしないで自分の人生を生きるようにする事が一番いいと結論が出ました。一切会話もしませんし、見向きもしていません。
私が学んだこと
- 人生は何が起こるか分からない。後回しにしても、そこまで自分が生きているとは限らないし、老後にやってみたら実際は「自分の想像と違った」という事もある。早めに様々な事を試して、老後も続けられそうな事を見つけておく方がいい。
- 俺は健康に気を遣ってるから大丈夫→叔父もそう思っていたでしょうね。「まさか自分がこうなるなんて。」と筆談で言ってました。なってからじゃ取り返しは尽きません。実際私の叔父はがんの発覚後、一度も病院から退院できず、寝たきりで亡くなりました。健康なうちにやってみたい事はやっておきましょう。
- たくさんのことに興味を持っておけば、老後に事情があって出来なくなることがあっても、出来る事に時間を集中して使う事が出来る。
- あまりお金のかからない趣味を持っておけば、老後も新鮮な気持ちを忘れず生きていける。(私の父がキャンプの趣味を新しく始めたのは60代の頃。それまではマラソンが趣味だった。)
- 老人になって若者を道具や奴隷として無償で自分の家の周りの雑用をやらせるような、酷い人間になりたくなければ、「まずは自分でやってみよう!毎回誰かが助けてくれるのはその人の善意であり、当たり前のことではないのだ。」と意識する事。(特に受け身に慣れてしまった専業主婦や老後に引退した人、要注意です!)
- 「やってくれない事が普通」なのだと常に意識をしておこう。人は他人の善意に慣れてしまうと、それが「当たり前のもの、自分が受けられて当然のもの」として要求がドンドン激しくなる。意識して人からの善意に毎回「感謝の気持ち」を忘れないようにしよう。やってくれないから怒ったり、評価を貶める噂を流すなどは論外。
- 人は心が成長しないと、いくら幸せでも満たされない。私の近所のいじめをしている人たちは子供も働いており、定期的に自分の息子や孫が遊びに来たりして年金も安定してもらえているようで、生活には何も困っていない様子でした。それでも他人の相続を「ズルい」と考え、いじめを始めました。(いじめ主犯の「人生を楽に生きて許せない」という言葉と、家の修繕工事でいくらかかったか、いくら相続したかと聞いてくる近所達。)この人達はたとえ自分たちが億万長者になっても、他人に相続が発生したらいじめを始めると思います。この人達は「自分がすでに幸福で裕福である」という事実に気づかないからです。幸福に慣れすぎて感覚が麻痺して「もっと、もっと欲しい。あの人よりももっと裕福になりたい!」と際限なく求め続ける。だから一切関係ない他人の相続ですら許せないのかもしれません。世間や他人の評価ばかり気にして「自分自身」と一切向き合わなかった結果が私の近所の人達のように思います。
ありがとうございます!ただ、意識が戻っただけで会話できるほどではなく、まだ深刻な…
お父様の意識が戻られたようで良かったです! やりたいことは、どんどんやった方が良…
こんにちは。ありがとうございます。
こんにちは。自分の健康と安全を第一に、ゆっくり休んでくださいね!
コメントありがとうございます。 「悟空ならこういう時どういう考え方をす…
私もドラゴンボールが好きでしたが、 こういう良い作品のおかげで真っ直ぐな自分でい…