自然界には敵がいて当たり前

私たち人間は、知恵を持ち、道具を操るようになってから自然界を牛耳っていますが、忘れてはならないのが身体能力では動物にはかなわないという事です。

 

みなさんは自分より小さい動物だからと油断して怒らせ、小動物のタックルを受けた事はありませんか?意外と大きな力で驚く方が多いのではないでしょうか?

または犬の走る速度、猫の身体能力。様々な動物たちは私たち人間よりもはるかに優れた身体能力を持っています。個の力では人間が対抗できる動物は少ない方です。

 

知恵がなければ、私たちは彼らにとって格好の餌になるほどノロマで隙だらけの動物です。私たち人間が増えることができたのは、道具を使って他の生き物を集団で捕らえるようになったからです。

火を起こしたり、罠を張って動物を避けられるように学習し、工夫をしてそのノウハウを次の世代へ蓄積していったからです。

 

たとえば熊が人里に降りてきて、人を襲ったら殺処分されますよね。理由は「人間を餌として見るようになるから」です。

 

人間は忘れがちですが、人間も地球という星の、自然の中に生きる哺乳類という動物です。から見ればたくさんいて、身体能力の低い、狩猟を忘れた人間など、いつでも定期的に捕らえられる餌になりうるのです。

 

大昔の人は、自分たち人間の手では負えない出来事を神にたとえ、森の深部を神域として封鎖し、大型の動物や雷や大雨を神の怒りにたとえ、代わりの食料や生贄などを用意し、種の絶滅を免れてきました。

 

草食動物が肉食動物の餌になるように、この自然界で天敵がいない生き物なんてものは、深海や大型のクジラなどの海の中以外にはいません。動物だけでなく、昆虫も植物も同様に天敵は存在します。

 

人間が作った生態系

人間は数が膨れすぎて、人間独自の生態系を作り上げました。それが人間社会の現在です。

 

では現在、人間社会で何が起きているかというと、資本主義という名の自然界の生態系の再現です。つまり私たち人間は、まだ動物とやっている事が何も変わらないのです。

 

当然、自然界の生態系の再現だから、人間社会に天敵が生まれるのは自然な事であり、世界中で私たち人間同士が争っているのが何よりの証拠です。

 

世界中は食料や財政といった物資の奪い合い。つまり餌の取り合い、縄張り争いという動物と変わらない事をいまだに続けています。

 

まとめ

人間も敵がいるのが自然な事です。なぜなら未だに人間は動物とやっている事が変わらないからです。

 

だから敵がいる事の方が自然なのです。ことわざに「敷居を跨げば七人の敵あり」というものがありますが、社会に出れば敵は出てくるものだということです。

 

人間社会は自然の生態系の模倣だと考えると、人間同士で敵になる人間が現れる事の方が自然なのです。

 

では、知恵を持ち、自我を持った人間たちは、異なる意見や価値観を持った「敵」に対してどのような対応をするのか。私たちは今一度考える必要があるように思います。