無職だろうと何だろうと、歳を取るまで生きてみましょう。新しい何かを見つけられるかもしれません。

 

老人になったら世間の目は変わる

若者から見れば働いていようと無職だろうと、そこにいるのはただの年寄りにすぎません。

 

今、働いていようと無職でいようと、年齢を重ねておじいさんおばぁさんの外見になったら、どっちだろうと他人や世間から見れば違いなどありません。他の皆から見ればどんな人でも「お年寄り」なのです。

 

老後に見られるのは人間としての性格です。つまり、年を取ったら無職だろうと働いていようと、「お年寄り」としてひとまとめにされるのだから、当然人格が良い人の方が世の中から見ればありがたいのです。

 

つまり職業や財力は、「お年寄り」になるとあまり関係がないのです。この事から社会が自分を評価するのは、自分の人生でとった行動次第だということがわかります。

 

現在でもそうですが、働いていようと、無職だろうと世間に迷惑をかけたお年寄りは「老害」と呼ばれます。

 

つまり、若者から見れば年寄りに大した違いなどないのです。私たちもそうだったはずです。子供の頃は、大人はみんな「大人」としてひとまとめにしていたではありませんか。

 

立派な人間とは、他人が決めるものなので、目指してなれるものではありません。

 

だから、自分の人生に起きた出来事を他のせいにせず、最後まで己と向き合って、前を向いて生きた人間こそが、本当に立派な人間に近づけるのではないかと、私は思います。

 

結局は後世の人が評価するので、自分の人生を好きに生きましょう。

 

・・・最終的に現在の自分を擁護するような記事になってしまいました。ナルシストかな?

 

いずれにせよ、今に悲観しないで生きて何かを探してみましょう。どれだけ引きこもろうと無職が続こうと、良い事は自分から探せば見つかりますよ。