「自分たちはみんなでお前を殴るけど、お前が殴り返したら許さないからな」
いじめの許されないところはこういう理由なのです。
自分たちが突然、一方的に一人を複数人で痛めつけ始め、相手を傷つけ、苦しめているにもかかわらず、始めた本人たちは、相手の反撃を許さない。
こんな理不尽で、個人を数の暴力で押しつぶす卑怯な手口を続ける連中に怒りを覚えるのは当たり前の話です。
いじめ加害者に憤りを覚える理由
- 自分勝手に人を攻撃する。
- 数を揃える事で自分が罪に問われる事をごまかす。
- 自分が傷つくのは怖いからと逃げる。
「人を勝手に一方的に傷つけて、自分は人から傷つけられるのが怖いから逃げる」などという手口は本当に卑怯で最低としか言えません。
そしてそんな連中は大人になると、自分のしている加害行為を反省することなく、社会に出ます。そして、自分がしたいじめの手口を、自分の出世に利用するのです。
実力と人望で出世した人と異なり、このような卑劣な手口でのし上がると、部下や同僚からは嫌われるようになります。
たとえ法律で裁かれなくとも、いじめ加害者の心が満たされる事はありません。よって、さらに悪行を重ねて歳を取っていきます。
いじめ加害者の家庭も同様に、子供にいじめを教えていきます。なぜならいじめの加害者たちも、自分の子供や孫は可愛いからです。そんな人達が、自分の子供がいじめられないためにはどうすればいいのか考えます。そう、自分のしている行為を「いじめ」や「良くない事」とは子供に教えずに、自分の日頃の言動や行動から学ばせるのです。いじめ加害者に自分のしている行為が他人を踏みにじっているという自覚も認識もありません。おそらくうすうす気づいたとしても、公にバレるのが怖いのでその違和感を無視してもみ消そうと過激になります。
(私の近所のいじめ主犯や取り巻きの行動からの推測ですが。)
いじめは負の感情の連鎖を作り続ける行為である
いじめという行為は怒りや憎しみ、怨みを生み出し続ける悪意の行動であるため、自分が行っている行動は日々、顧みましょう。
問題は子供ではなく、子供にいじめの非道さを教えない私たち大人の世代にあるのです。
私たちが日々の行動で、自分自身の行動を一歩ずつ改めるように心がけていきましょう。
「どうせそんなの無理だから。」と考えること自体をあきらめたら、それこそ改善の芽すら生まれないのです。
「いじめをする自分は最低だ」と自覚したら、少しだけでも変えていこうと考えればいいのです。最高の人間も最低な人間も、今の状態からしか始められないのです。
「こんな自分は嫌だ!」と思っても、最低な自分の状態以外からは始められません。だからこそ、人は一歩ずつ変わっていけるのです。
7年かけて今の状態まで立ち直った私の実体験だからこそ言えます。一歩ずつ、少しずつ変わっていけばいいのです。仮に「あなたの考える最低な自分」に戻っても、また一歩ずつ始めていけばいいのです。
いじめ被害者はもう自分のために生きていい
ちなみに大人って、学校の学級会じゃないんだから、無理に合わない人との縁を修復しようとする必要はありませんよ。許せないなら許せないままでいいのです。それはそれ。これはこれ。あなたは自分の人生に集中すればいいのです。
いじめの被害者ってもう十分に他人のために生きたのだから(加害者たちの仲間意識や優越感を満たすために自分の尊厳を削って彼らに与え続けた。)、だからこれからは自分のために生きればいいのです。新しい仲間、新しい趣味。自分の人生のためにこれからは生きていきましょう!
ありがとうございます!ただ、意識が戻っただけで会話できるほどではなく、まだ深刻な…
お父様の意識が戻られたようで良かったです! やりたいことは、どんどんやった方が良…
こんにちは。ありがとうございます。
こんにちは。自分の健康と安全を第一に、ゆっくり休んでくださいね!
コメントありがとうございます。 「悟空ならこういう時どういう考え方をす…
私もドラゴンボールが好きでしたが、 こういう良い作品のおかげで真っ直ぐな自分でい…