幸せの正体

「人間の幸せって何?」って思うかもしれませんが、答えは自分が嬉しかったり、楽しかったという充実した気持ちなんですよ。

 

幸せは物にはないし、お金にもありません。その時感じた自分の気持ちが嬉しかったりした時。それが幸せなのです。

 

物やなにかのきっかけで思い出した事。これが幸せの正体です。つまり、自分の気持ちです。

 

つまり、いくら豪華な服やバッグを買ったり、お金をたくさん持っていても、もの自体に幸せはありません。あなたが感じている幸せは、物を買った時の感情や、お金がたくさん入ってきた数字を見た時の「自分の気持ち」なのです。お金や物自体ではありません。

 

幸せは今すぐにでも誰にでも感じられる

幸せはその時思い出したり、感じた気持ちなので、今すぐにでも誰にでも幸せは感じる事が出来ます。

 

たとえば今から美味しいご飯を食べたらご機嫌になりますよね?これが幸せなのです。当たり前のように安全にご飯が買えて、味わう時間がある。これが当たり前に出来る日本という国は本当に幸せです。

 

日本に生まれ、日本に育つと、その当たり前への感謝を忘れがちで、意識をしても薄れてしまいます。だから、とっくに幸せなのに、いつまでも幸せを感じなかったりする方もいるのですね。

 

親の性格が嫌いだろうと、あなたが働かずに暮らしていられるのは、あなたの親が路頭に迷わないように働いて生活費を稼いでくれるからです。

 

逆に子供にバイトをさせて、自分は家で飲んだくれている親もいますが、その子供でも、自分でバイト先へ向かう時に空を見たり、雑草の花を見たりすれば、ちょっと幸せで救われた気持ちになる事だってできるわけです。

 

自分から幸せを探そうとも感じようともしないでふてくされている人間には、たとえ幸せな状況だったとしても、何も感じないか、ひねくれた回答しか出てきません。(例)そんな綺麗事言える事が幸せな証拠だよ、金があるからそんな事が言えるんだ、安全なところから見下しているなどなど)

 

私が感じた幸せの一例

  • 自分が生まれた状況(帝王切開で生まれ、骨盤位の状態で早生まれ。首に腸が巻き付いて窒息し、仮死状態だった)→障害もなく、ただ生きていられるだけで幸せで恵まれている
  • 重度のヘルニアになり、まともに歩けなくなった大学時代。手術をしてまた普通に歩けるようになった。(今も後遺症は少し残っています)
  • ご飯を腹いっぱい食べた。(お金がない一人暮らし時代、12時間働いてパン一枚やバナナ1本で1か月凌いで、給料前借してなんとか家賃などを払って、久しぶりに米と卵、もやしを買って腹いっぱい食べた時)
  • 県外の父以外の家族が亡くなり一人になって、母の実家を相続した時(手取り11万、家賃2万8千円の生活から抜け出せた。)
  • 冬の星空、雨の音、快晴や夕日、快晴時の反射する湖面、夕日の反映した黄金色の雲など自然そのもの。

 

幸せを感じる方法

幸せを感じる方法は、感謝をする事と、人から与えられる幸せをちゃんと受け取る事です。

 

私は自分が生まれて、現在まで健全に生きている事を両親や親戚、当時病院で私の一命をとりとめた医師たち、友人や雇ってくれた会社などに感謝をしています。

 

今まで生きてこれたのは、私一人の力ではありませんし、この世で生まれた命は全て、一人では生きてこれません。

誰かが気まぐれに手を差し伸べてくれた事だってあるはずです。遊び半分で利用されていたとしても、その時救われたと感じたこともあるはずです。

 

私はいじめを小学校の頃から受けていたし、相続後に近所の老人や主婦たちからもいじめを受けて、38年の人生のうち、約18年は人から苦しめられたり、傷つけられることの多い人生を経験しています。

 

そのため、「自分の命は人より軽い」「自分は幸せを受け取る価値などない」と思って生きてきたのです。ですが、これは大きな間違いだと今ならハッキリと分かります。

 

自分が幸せを感じていないと、人に本当に優しくなれません。

 

幸せは受け取っていい

人から親切にされたり、与えられたものがあるなら素直に受け取ってください。

 

これは私の経験ですが、幼い頃からいじめによって自尊心が低い人間は、「自分には誰かの善意を受け取る価値はない」と思ってきました。

 

しかし、受け取らないと、より相手を傷つけてしまうのです。なぜなら渡してくれる相手は、「あなたにはその価値がある」と信じているのに、受け取らないという事は、相手を不幸にするのと同義だからです。あなたはあなたに向けられた幸せを受け取らない事で、周りに不幸をまき散らすのです。

 

それこそ自分勝手で、自分の事しか見えていない人間であり、そんな人間が他人の幸せを願ったところで、他人が幸せになど、なるわけがありません。他人からの善意を受け取ろうとしない人間が願う他人の幸せなど、周りを不幸にするだけです。

 

これは私の実体験だからよく分かります。自分が幸せを受け取る事を拒否したところで、誰かに親切にしようとした事で始まるはずだった幸せの連鎖を、自分が潰してしまったのです。

 

拒否をされた相手も気分が悪いし、受け取らない事で後悔をする自分に自己嫌悪する事だってあるかと思います。

 

自立している人間は、自分の良いところも悪いところもしっかり受け入れた上で、バランスよく立っていられるのです。

 

幸せの連鎖を作る方法

幸せの連鎖を作る方法ですが、簡単です。

 

ちゃんと相手から向けられた幸せを受け取って、その場で幸せを感じてください。その後、どこかで誰かに親切にすればいいのです。

 

皆さんは自由に生きている猫などの動物を見て、「癒される」と感じた事はありますか?その時の気持ちが幸せなのです。

 

たとえば誰かが美味しそうに何かを食べているのを見た時や、楽しそうに遊んでいるのを見た時、自分も楽しい気持ちになりませんか?

 

私はよくあります。お祭りを見ていたり、昼食時に誰かが美味しそうに食べているのを見ている時。今の時期ならコミケに参加している時など、誰かがワクワクしていた李、幸せそうなところを見ていると、嬉しい気持ちになります。

 

そして、嬉しそうだったり幸せそうな人を見ると、こっちまで嬉しい気持ちになったり、「自分も幸せになりたい!」と感じる人もいるのではないでしょうか?

 

つまり、誰かを幸せにしたいならば、自分がちゃんと幸せを感じて生きないと、本当の意味で誰も幸せにはできないのです。

 

 

自分を犠牲にする幸せは、我慢という形で後に爆発して他人を不幸に巻き込む

自分を犠牲にした幸せは、「我慢」という形で残り、歳を取ると噴出して周りに迷惑をかけるのです。

 

自分を多少犠牲にしてもうまく幸せを感じられる方は、その時その時の行動自体の中に楽しみを見つけたりしています。

 

楽しみを見つけられない方は、自分の行動の全てが我慢、苦痛という事にしか焦点を向けないまま、他の考えも持たないので、そのまま歳を取って自分が犠牲になったという事しか頭に残らなくなり、十数年の時を経て爆発して、周りも不幸にするために、不幸な自分の気持ちを、誰かに対してばら撒くようになります。(例)人を貶める、人を騙す、傲慢になる、独り占め、被害者面など

 

周りは当然、そんな不幸をばら撒く人に悩んだり、苦しんだりする事になります。

 

 

自分達を犠牲にしながらも生きる楽しみを見つける

ピアノ、体操教室、サッカークラブ、書道など、ありとあらゆる習い事などを私に通わせ、私の両親は自分のためではなく、私のために行動し続けてくれました。それが分かったのは、大人になってからですが。

 

子供の裁縫、新しい料理への挑戦など、母は自分にも子供にもお得になる行動をとっています。

 

たとえば私の両親は、私のために自分達の人生を費やしてくれました。私を喜ばせるためと、母自身の知識への探求で私の教科書を読んで勉強を楽しんだり、栄養のある料理などに挑戦したり、私の父も魚釣りやドライブなど、子供のわがままに振り回されながらも自分自身も楽しめる行動や趣味にしていました。

 

現在存命しているのは父だけですが、父は新たにキャンプなどを趣味にしています。

 

私を最優先にしながらも、自分も楽しんでいるから、そんな風に人生を生きている両親を見たからこそ、私も自分で楽しいと感じないなら、楽しいと感じる行動や方法を日常の中に見つけて、苦しい状況の中にいても楽しみを見つけて生きてきました。

 

だからこそ今の私があるとも言えます。

 

幸せの連鎖を広げていこう

自分が幸せになる事で、他人も幸せな気持ちになる。そうしたら誰かにこの幸せを分けたくなる。結果、誰かに親切にする事で、その人も同じように幸せを感じて、誰かに親切にして、幸せの連鎖は広がっていく。

 

幸せはお金がなくとも物がなくとも、自分の気持ち一つで周りに広げられるのです。自分から誰かに幸せを広げられるような、そんな生き方をしてみましょう。