障害を持つ人に手を貸さない方がいい理由ですが、「相手の自尊心を傷つけるから」です。

 

視覚障害や車いすを持つ方が階段を降りる時に危ない時以外には、基本的に手は貸さないで、少し見守って歩くくらいがちょうどいいのです。

 

もともと健常者だった人が、障害を持って、普段行っていたことができないようになると、毎回人の手を借りなければならず、惨めさと悔しさで人に八つ当たりをするようになります。それが常態化したらかなり危険です。話し合いましょう。

 

私の祖母は脳梗塞で右半身に麻痺が残った時、祖父に毎回八つ当たりをしていました。当時私は小学一年生でしたが、今でもハッキリと覚えているし、ずっとその環境が続いていました。

 

私自身、大学生の頃に重度のヘルニアになって腰を痛めて、2年ほど右足を引きずって歩いていました。(まともに歩けないし、就寝時も少し丸まって横になる以外では痛みで眠れない)

腰の手術をして普通に歩けるようになるまでは、見た目が健常者と変わらないので、通り過ぎる同年代の若い人から「プッ、何あれwww」と歩き方を笑われたり、通りすがりのサラリーマンや主婦にしかめ顔をされたりした経験もあります。

 

「杖を持っていないから、車いすを使っていないから健常者だ」などの勝手な枠組みで見る人もいるという事を学びました。

 

後遺症で引きずっていた右足の筋肉は未だに固まっている、弱っている筋肉があります(整体で教わった筋トレで補っています)。日常生活に問題はありませんが、歩行時に左右のバランスがうまく取れているか、不安になる事もあります。

 

だから人の偏見や差別にカチンと怒りを覚える事もありますが、「彼らは経験していないから分からないのは仕方ない。私自身も気をつけなければならない。」と、気にしないようにしています。

 

脳に障害を持たない場合、自分で考えて自分で何とかする方が多いのに、あえて「見捨てられない」などの自分の良心を優先して、手を貸す方もいるのですが、第三者からは善意に見えてもそれは手を貸した人の自己満足であって、相手の自立や自尊心を奪う行為である事も時にはあるのです。

 

障害を持つ方に毎回手を貸すことのリスク

当然毎回手を貸してくれることが当たり前になった人は、「自分の世話は誰かがやってくれるもの、自分が特別な存在だ」と思ってしまう事があります。伊是〇〇子さんというJRの駅員とトラブルを起こした方のように、「人の善意を自分が受けて当然」という傲慢さを持った方もいるのです。

 

自分の立場を利用して他人の同情を引き、わざと「転ばされた」と喚いて賠償請求などをする障害を持つ方もいるのです。(車の当たり屋みたいな人達です)そういう被害に遭った方を知っています(賠償請求はされなくとも、駅の交番で散々事情を説明するのに付き合いました。大変でした。)

 

障害を持つ方に手を貸した方がいい状況の例

  • 本人が「手を貸してほしい」と依頼した時。
  • 本人がてこずっている時(私の場合、「手伝いましょうか?」など一言聞いて、断られたら相手に見えないところから見守るなどをしています。無事できたらそれでよし)。
  • 人がかなり多い時(お正月、お盆など)。
  • 視覚障害や杖をついている方が階段を昇り降りをする場合、不安定な時。
  • 本人が困っていそうな時。
  • 高齢者。(若い方の障害を持っている方でも、困難だったりしたら手を貸す方がいい。)
  • 自分がその場所の職員や店員、見回りなどの場合。

 

 

現代には精神の障害を持つ方もいる

現代には精神に異常をきたし、健常者と変わらない見た目でも、おかしな言動を突然したり、話しかけただけで怒りが爆発する方もいます。

 

どうにもならない事ですが、世の中って、いろいろな人がいて色々な状況があるから、ひとつの状況だけからでは判断できません。

 

何が正しいかは自分で選ぼう

私は自分が悪者や非難される対象にされる事に慣れたし、傷ついても耐えられるからそういう事が出来るのであって、できない人に手を貸すのはとても立派な事だと思います。

 

しかし、難しいところです。障害を持つ方によっては、誰かがやってくれることが当たり前になってしまう人もいれば、自立して自分で何とかしようとする人もいる。要は障害をもっていようと、結局は私たちと変わらない人間であるという事なのですよ。

 

私たちは健康的な生活を当たり前に出来ていますが、その当たり前に感謝をしないと「手を差し伸べてあげる傲慢さ」に気づけない事もあります。

 

過去も現在も未来も、この世に生まれて生きている限り、誰かを傷つけない人間は一人もいません。あなたも私も人には人の事情があるからこそ、人への善意が人を傷つける事もあるのです。

 

傷つくという行為は相手の受け取り方次第で発生するため、考え出すとキリがありません。

 

私の場合ですが、「それでもこの決断をする、この選択をする。なぜなら自分の心が「そうした方がいい」と思っているから。その結果が人を傷つけたなら次は考えよう。次の状況で違う事か、同じことを試せばいい。」と、手を貸しても貸さなくても、それほど深く考えないし、終わった事を考えても仕方ないのでその時の決断で割り切っています。

 

自分の選択に後悔をしない事。後悔したなら次は違う選択を選んでみる事。生きている限り試行錯誤は続きますが、それでいいと思っています。