人間の価値観は変わっていく

人間は生きている間に色々な経験をしていきます。その結果、今までと考え方が変わったりする事もあります。これは当然のことです。時代が変わっていくように、私たち人間も変わっていくのです。特に私たちは、シンギュラリティ(技術的特異点。)の中心を体験しているとも言えます。

 

約30年前、携帯電話は大きなカバンのようでした。インターネットも珍しいものでした。

 

約20年前、パソコンでインターネットをする事が普及していき、光回線が出てきました。

 

約10年前、携帯電話がスマートフォンに置き換わり始め、手元でインターネットを使える時代になりました。

 

2023年現在、AIが様々な過去のデータから現在、未来の予測をしてくれます。

株価の動き、ゲームやフリーソフトのプログラミング、セキュリティ、各ユーザーごとのおすすめ商品、企業の顧客サポートチャット、イラストの自動生成など、人の手が必要ですが、そこまで必要は無くなりました。

 

そして2045年にはシンギュラリティを迎え、人間の知能をAIが越えると言われています。

 

多くの人は「そんな馬鹿な」「夢物語だなぁ」と言っていますが、現在出てきたAIによるイラストの自動生成。急速に進歩し始めています。話題になってから数か月で、もはやこのAIが生成したイラストを利用した漫画まで市販されています。

 

たった30年の間にあまりにも私たちの生活は変わりました。あなたの考えていた将来やりたい事は、あなたがその将来に追いついた時には、やりたい事ではなくなっているかもしれません。

 

ゲームにおいては、2Dドットから3D、VRに変わりました。皆さんの遊びたいゲームも無意識に変わっていったかと思います。テレビも白黒からカラーに変わっていったように、人は便利になると、昔の生活に戻れません。あなたはトイレのウォシュレット、全自動洗濯機や乾燥機、炊飯器や電子レンジを捨てられますか?地図は紙に戻してナビゲーションは放棄できますか?昔はないのが当たり前だったのですよ。今から昔の生活に戻る事はできないでしょう。これも価値観の変化なのです。

 

人間はいつ死ぬのかわからない

人間はいつ死ぬのかわかりません。ある日病気が発覚したり、突然のトラブルによって亡くなったりする事があります。

 

「自分は平気だ」「自分は大丈夫だ」と思っている人がいるかもしれませんが、私の叔父の例を紹介します。

 

叔父は60歳で会社を退職し、莫大な退職金を得ました。株に投資し、一時は増えていましたが、財産は半分に減りました。しかし、まだ余裕があったので、65歳の年金で余裕で暮らせると考えていました。

 

しかし、64歳で肺がんのステージ4、末期がんで64歳のまま最期は病院から退院できず、亡くなりました。

 

そしてこの原因ですが、おそらく会社を退職して、長い付き合いのある近所の人達に余裕のある暮らしができている事を話してしまったからだと推測します。

 

 

叔父が近所の人達が原因で死に追いやられたと推測する経緯

 

  1. 長い付き合いの床屋さんに話した。
  2. 他の近所の客に話す(近所間なのでみんな安心していた)。
  3. 嫉妬した近所から道具のように使いパシリにされる(現在私をいじめるいじめ主犯とその加担者たちと推測)。根拠は末期がんだとわかり、相続と看護のために戻ってきた私が見たタバコの灰皿の吸い殻の量。今までと考えられないくらい灰皿を埋め尽くす量だった(一緒に暮らしていた頃の叔父のたばこの量は、2週間くらいで灰皿に多くても5、6本だった)
  4. 叔父は肺がんで入院し、延命も拒否。
  5. 相続後、私も近所とは長い付き合いだったが、その近所達からいじめを受けている。

 

近所の人達にメチャクチャにされた我が家

タバコの量が本当に多かった。そしてなぜか、いじめ主犯のそろばん教室の教材を作成していたり、自治会組長の家の料理屋のメニューを作成したデータがあったりしました。

 

また、叔父は近所の年寄りたちの使いパシリにされていたと聞きました。

 

そして私の叔父が亡くなった事を周り近所に伝えた当日、自治会組長が言った一言が「100万円ちょうだい」という冗談(本人は冗談のつもりなのでしょう)。

叔父が亡くなった数時間後、病院から戻ってきた遺族の私に言う言葉ではない事が、皆さんには分かるかと思います。

 

そして相続から数か月後、周りの近所の一軒家からいじめが始まりました。主犯は私が叔父の危篤状態の時に真っ先に電話した方です。周りも私が子供の頃から知っている方たちでした。

この方たちは8年続く今も、私が3度ほど苦情を言いに行っても改善せず、それどころか私を町から追い出そうと定期的に提案し、去年には反省せず、目に余る行動から苦情の手紙を出したのですが(3回目の苦情を言いに行った際、外であったのに家に逃げ、居留守を使われたため)、「私に脅迫された」と警察に通報されました。

 

いじめ主犯の「人生を楽に生きていて許せない」という言葉から、ただの嫉妬であるという事がよく分かります。いじめ主犯もいじめ加担者も全員年配の高齢女性です。

 

このように、自分は特に何も悪い事をしていなくても、周りから一方的に自分の人生や環境をメチャクチャにされる事もあるのです。入院してからは何もできませんし、私もいじめによって引きこもりになって6年を他人の監視に縛られ、本当の意味で自由に出かけられるようになったのは相続から7年後、自分の精神がいじめに耐えられるまで強くなった時でした。

 

私が本当の意味で相続前の、再び自由に動ける環境に戻ったのは、相続から7年後の事でした。30代を無駄にしました。ただ相続して暮らしているだけで、20年以上のつきあいのある人たちから人生をメチャクチャにされる事もあるのです。だから、やりたいと思った事が今、可能ならば本当にすぐにやりましょう。

 

世界情勢によって出来なくなることもある

たとえば「老後は世界1周に行きたい」と考えていた人は、コロナが世界中で発生して、その夢が叶えられなくなりました。このように、自分が健康でも世界の情勢が変わったら、生きたいところにも行けなくなったりします。老後まで待っていたら、できなくなることもさらに増えるかもしれません。また、自分の体力も持たないかもしれません。

 

もしも大きな事なら、(世界一周や日本一周など)、まずは県内1周から初めてはいかがでしょうか?予行演習を行う事で、旅に必要なもの、事前に怒りそうなアクシデントの把握が可能になります。また、そこで満足する事もあるかもしれません。

 

人生の最後に後悔する事

人が「死ぬ前に後悔する事」で検索すると分かるのですが、最も後悔するのが「やりたい事をやらなかった事、自分らしく生きなかった事」だそうです。

 

生きている間に、健康である間にやらなかった事が、老後にやろうと思っていたら、体力の問題でできなくなった、気力がなくなったなど、人が後悔する事は、やりたい事をやらなかった後悔が大きく、強く残るようです。

 

老人が若者をいじめる理由もよく分かります。彼らは自分が出来なかった可能性を持つものが妬ましいのでしょう。

 

私が現在近所の老婆たちから嫌がらせを受けている理由がよく分かります。彼女達は若い頃、子育てで自由がなく、今、自由に生きている私が妬ましくて仕方ない。私の存在そのものが彼女達の生きてきた人生の否定だと感じているのでしょう。だから私の存在を排除したくて仕方ない。私が生きている事が我慢できない。

 

私は父の医療費や生活費のために固定資産税の安い今の家を離れる気はないし、このまま暮らしていきます。私には私の事情があるのです。叔父の代の頃から我が家を自分達の都合のいいパシリや道具として見てきた連中には分からないのでしょう。私が「彼女達と同様に人生を生きている人間」である事が。

 

もしもあなたが、やりたい事を後回しにして、老後に始めようとしているのなら、あなたが私をいじめる近所の老婆たちと同じような人間になる可能性が高いです。なぜなら彼女達も若い頃には、「自分はあんな年寄りにはならない」と思っていたでしょうから。自分にないものを妬み、執着が怨みに変わる事はとてもよく憶えのある感覚なのではないでしょうか?

 

私をいじめる人たちは歳を取って、自分自身に嘘をつき続けて、逃げ続けてもう忘れてしまったのでしょうけどね。自分と向き合わず、他人に一方的に八つ当たりをして自分を満たした気になっている。もちろん根本的な問題である自分の「心の欠乏」に気づいていない(逃げて目を逸らしている)から満たされる事はない。さらに他人を傷つける罪悪感を薄れさせるために仲間を作る悪循環です。

 

このような事をしている人が豊かになるのでしょうか?一時的に財産や権力、承認欲求などの、表面的な欲で満たされても、また次の表面的な欲求に散在するだけで、いずれ破綻するでしょう。自身の根本的な欠乏の原因に向きあわないと永遠に満たされる事はなく、次第に誰からも相手にされず、軽蔑されると思います。

 

そんな末路を自分が送りたくないのなら、自分が我慢してやりたい事を全部老後に回すのは止めましょう。できそうなことは積極的に今からやっていきましょう!