歳を取る人で勘違いをしている人がいます。それは「間違えてはいけない」という勘違いです。

 

間違えていいのです。間違えて反省して、繰り返さないように思考し続ければいい。人間はいくら歳を取ろうと、一人の人間にはできない事の方が多いのです。

 

たとえば企業の役員には会計ができない人もいるし、営業ができない人もいる。開発の経験もない人もいれば全く別の分野からのし上がった人もいる。

 

全てを行うと言っても、「仕事に関する必要なすべて」であって、それ以外の分野では全くの初心者である事に変わりはありません。

 

歳を取れば認知も衰えます。身体能力は衰えるし、ミスも増える。仮に若い人でもミスはありますし、苦手な事はあります。間違えるというのは人間にとって自然な事です。

 

ひとりの人間がこの世の全てのジャンルを極める事は不可能なのです。

 

「どこの役員だった」「自分は年上だ」そんな事を言おうと、できない事はできないのです。できる事をして、できない事は人と協力して生きていくのです。

 

一人で何でもできるなら、国も、町も、村も成り立ちません。必要ないからです。

 

この世はできない事の方が多いのです。だから人は集まって生きてきたのです。

 

他人より年上だの社長だの、そんな事はどうでもいい。すべて一人で生きてきたと勘違いをしているようですが、人の善意がなければ誰も生きてこれないし、うまくいく事なんてなかったはずです。

 

間違えた誰かを笑いものにして、いざ自分が間違えたら都合よく逃げるなんて人が尊敬されますか?

 

他人を一方的に見下し、鼻で笑い、陰口ばかり喋っているような人間がどんな表情をしているか見ましたか?

 

都合が悪くなったら本物の被害者の口を封じる人間が、政治家や大企業の社長や会長だったとして、信用できますか?

 

私たちもいずれ高齢者になるのです。私たち自身が人間として成長していかなければ、今後はさらにギスギスした生きづらい社会になっていくでしょう。

 

年の功は、実際の培ってきた技術や本当の大人としての精神年齢が評価される時代になっています。「年長者」「○○会社の役員」などの、書類上の年齢や表面だけの肩書きで相手を無条件に尊敬する時代は終わりです。

 

その人自身の人間性の評価が重視される時代と言えます。今までの社会評価に加え、人格も必要とされる。大変な世の中ですね。

 

しかし、それは言い換えればこれまで真面目に生きてきた人が報われる時代になってきたのです。インターネットによって「自分で考える人」が増えてきたからです。新聞やテレビなど、メディアの煽り文句に乗せられる人は大分減ってきて、それぞれが自分の考えを持っているけど、それを表出できない人は多いと感じます。

 

今から自分の生き様を見つけておきましょう。あなたの老後に、「今のあなた」が嫌うような高齢者たちと同じ年齢になった時、「今のあなた」が軽蔑している同類の高齢者になってしまわないために・・・