嫌いだったり憎んでいる相手を無理して表面だけでも許す必要はありません。

 

自分が夢中になれる趣味を見つければ、自然と相手の事がどうでもよくなります。

 

相手の事がどうでもよくなれば、今までやられた事も、今後やられる事もどうでもよくなったりします。

 

まずは自分が幸せになって、満たされていないと、他人に寛容になれないのです。

 

だから、まずは自分の人生に集中しましょう。自分の夢中になれる事、好きな事を探しましょう。

 

私はその好きな事を見つけるのに何年もかかりましたが、「夢中になれる事を見つける」と、頭の片隅に留めて直感の赴くままに行動し続けた結果、自分が夢中になれる事を見つけました。

 

あきらめず、世間の評価や体裁なんて気にせずに、もがき続けた結果です。私はひたすら自分の「心の声にならない声」に従って動いた事で見つけました。

 

 

最初は恥ずかしさの不安があった

私の場合は野鳥の観察が夢中になれる趣味になりました。公園で野鳥の本を取り出して調べるのは、周りの人に見られて恥ずかしいのではないか。最初は抵抗がありました。しかし、私はどうしてもその場で野鳥を知りたかったのです。調べたかったのです。

 

最初は「こういう事をやったら注目を集めてしまうかも」「恥ずかしい」そんな気持ちが抵抗していました。しかし、一度勇気を出してやってみた結果、一時的に視線や顔を向ける人はいても、誰も気にしていませんでした。

 

そして私も今では気にしなくなりました。もちろん通行人の邪魔にならないように端によってから調べますが。

 

その「最初の一歩」を踏み出したから、私は野鳥の観察が趣味となったのです。

 

そうやって自分の中にある不安や恐怖、抵抗する気持ちに一つずつ、勇気を出して向き合ってきたからこそ、立ち直った今の私があるのです。

 

だからもしかしたら、いつか近所の人達が一切反省しなくても、いつの間にか許している日が来るかもしれません。

 

追記:当たり前の話ですが、加害者達が嫌がらせを続けていい免罪符ではありません。「加害者達が嫌がらせをやめていれば、いつの間にか許す日が来るかもしれない。」という事です。嫌がらせをずっと続けていて止めない人たちを、いつの間にか許す日など来るわけがありません。そんな非常識な連中は論外です。

 

まぁ私から声をかける気は一切ありませんがねwわざわざ災難に関わろうなんて思いませんし。

 

誰にも人の人生を潰したり、支配する権利なんてないのにね。