優しすぎる人は、つけ込まれやすい。相手の無茶な理屈まで「自分のせいだ」としない事です。

 

ハッキリ言いますが、それは優しいのではなく、弱いだけです。弱いままの人間は、年を取るとそのまま人のせいにするようになります。そう、私の近所のいじめ加担者の末路です。

 

私自身が弱い人間だったからよくわかります。私は人から「やさしい人間だ」と呼ばれていましたが、単に主体性がなく自分の意見を言えない、流されやすい人間だっただけです。

 

そしてそのような人間を見抜く事にいじめ加害者は長けています。心の隙間につけ込んで、自分に都合よく心酔させやすいからです。

 

私は幸い、物心がつく前はそのような人間が周りにいませんでした。しかし、男性としてはプライドを傷つけられるようないじりを何度も受けて、反論も、戦う意思もない自分が嫌でした。「私の初陣」はものすごく情けないものです。

 

現在の私を知る人からは、私は「強い人間だ」と言われる事がありますが、最初から強かったわけではありませんし、そもそも自分は強いとか弱いとか考えてもいません。「自分の前に現れる問題」に自分の中で答えを出し続けているだけです。

 

紆余曲折しながら、それでもやってくる問題に向き合い続けているのです。解決しなくとも、その問題から逃避しないで心に留めておく。解決しようと解決しなかろうと、時間は過ぎ去っていく。

人生とはそういうものではないでしょうか?

 

ただ問題から「いやだいやだ」と目と耳をふさいで逃げ続けた末路は、漠然とした不安ばかりで落ち着かない、他人の目を気にして空しい人生になると思いますよ。