※人間の心のあまりの醜さ、汚さに吐き気を覚えるかもしれませんので、人間の見方が変わる可能性もあります。閲覧は自己責任でお願いします。

 


 

近所のいじめを主導する人がいなくなったとしても、いじめはなくなりません。

 

理由は簡単です。加担した人たちが一切反省しないからです。

 

私の近所の専業主婦たちは、いじめ被害者をみんなで避けていますが、いじめ主犯がいなくなってもこれは変わりません。

 

なぜなら彼女たちは、「いじめ主犯といじめ被害者に巻き込まれた被害者だ」と考えているからです。いじめに加担した自分は「近所トラブルに巻き込まれた被害者だ」と思っているからです。

 

被害に遭っている私からしたら、いじめ主犯に加担していた人たちこそが加害者であることに代わりません。もちろん、加担した人にも仕方なく加担した人もいたでしょう。しかし、それを自分達が加担して傷つけた相手に対して迷惑がる時点で反省なんて一切していません。

 

当事者意識のない加担者のせいで近所いじめは繰り返される。

私の近所はいじめ加害者の主犯と、被害者の私を避けることで近所のトラブルを解決しました。しかし、何の解決にもなっていないことがわかります。都合の悪いことにフタをして加担したことを一切反省していないからです。

 

その証拠にいじめ主犯がいない時でも、加担した人たちはいじめ主犯を抜きで集まって、被害者である私がこの町で暮らすのがいかに迷惑か、何とか対処しなければならないと、なぜかいじめに加担していた自分達が、正しい行いをしている人間かのようにふるまっています。

 

そう、いじめに加担した人たちにとっては、いじめを起こした人と、いじめを受けた人の両方が、第三者にとって加害者なのです。たとえ自分たちがいじめに加担しても、「自分はまきこまれた被害者だ」という態度なのです。

 


 

でも、おかしくないですか?

 

皆さん成人していて、人の親なのですよ。大人です。「加担しない」という選択もあったのです。

 

加担すると決めたのは「あなた」です。「あなた」が子供や家族を守るためとはいえ、被害者をいじめる側に加担した事実はなくなりませんよ。

 

加担したことから目を背けて被害者面、加害者も被害者も追い出していじめ自体を「なかったことにする」。

 

隠蔽して何が変わるのですか?残ったあなたたちは何も学習も反省もしていないのだから、また数年たって気に入らない人間をみんなでいじめ始めますよ。

 


 

私が生まれる前から繰り返されていた事は、私の父が知っています。「あの人たちはずっとそうだよ」と言っていた言葉と、今までいつも短期間しか滞在しなかったことからもそれがよくわかります。

 

行動は言葉以上に雄弁に語っています。私が子供のころから20年以上、この地域に私や母を迎えに来る、祖父母の病気の時の短期間しか滞在しない父を思い返せばよく分かります。

 

そして、このいじめ加担者の家の実子達は、一切8年間でこの近所に数日の滞在すらしていません。その事実からもよくわかります。「こいつらの性根は腐っている」と内心ではわかっているのでしょう。

 

私も彼女たちの態度にウンザリしているので、今後もいじめ主犯含め、二度と人間として近所の現在の大人たちを信用する日は来ません。

 

実際、今から2年ほど前、いじめ主犯が私を町から追い出そうと周りに提案し始めた頃に、かつていじめ主犯の取り巻きであり、主犯の隣に住んでいる女性が、いじめ主犯と同じことを周りに提案しました。

 

そう、8年前、いじめ主犯が私のことを「みんなで無視しよう」と提案したように。いじめ主犯の取り巻きの彼女が、私の事を「みんなで無視しよう」と。

 

近所いじめは主犯と被害者を「加害者」として繰り返される

そして今、いじめ主犯といじめ被害者を近所中で避ける事が日常となり、道路を挟んで私の向かいに住むいじめ加担者は私の家の中から物音や明かりがついたら、「自分たちの行動ができない」と勝手に決めて、勝手に家に入るのに、私のせいにしているのです。

 

私は自分の家の中で台所で皿を洗っているだけです。窓も開いていません。

 

彼女たちは勝手に、私の家の中に私の存在を認識したら、自分たちの家に帰ると自分たちで決めていて、帰っただけです。それなのに、私のせいなのです。

 

意味が分かりません。私が私の家にいて何が問題なのですか?私が私の家の中で作業をしていて、どうしてあなたたち自身が勝手にやめた作業やお喋りを、私のせいにされないといけないのですか?

 

これほどまでに性根の腐った連中の集まりに、一個人がどうにかできるわけがありません。彼女たちに汚染されないように、私は近所とはこれからも縁を切っています。

 

だから私は今後もこのままでいいと考えています。

 

私の近所のいじめをする人は、結局は「誰が最初に言ったのか」という違いでしかなかった。全員いじめ主犯と本質は変わらないのですから。

 

図にしてみました。①の私の家の中から私の生活音や明かりがついたら、外にいた②や③の家の人間たちや周囲が道路にいたら中断して家に入り、「あいつ(私の事です)のせいで私たちは自由に過ごせない!」と文句を言っています。

 

ちなみに私は特に彼女たちに文句も言ってません。彼女たちは勝手に私の家の中に私の存在を感知すると、自分たちの行動を中断しているのです。そして自分達が勝手に行動をやめたのに、私のせいになるのです。意味が分かりません。特に向かいのいじめ加担者の2軒(いずれも年を取ったおばぁさん)が酷いですね。

 

私が、私自身の家の中で活動しているのを彼女たちが気づいたら、彼女たちはおしゃべりや作業を中断しなければならないと、あなたたちが勝手に決めて行動しているのに、なぜ全部私のせいで、私が悪い事になるのですか?

 

要するに「私がこの町で家を相続して暮らしているのが全ての原因であり、町から出ていかない私が悪い」というのが私の近所の連中の言い分なのです。なぜなら彼女たちいじめの加担者には「近所に波風を立てた加害者と被害者こそが加害者であり、私たちは被害者だ」という意識があるから。

 

私から見れば、いきなり近所から誹謗中傷されたのに、その誹謗中傷している人たちが被害者だというのが私の近所の認識なのです。

 

私の近所は「いじめ主犯と被害者の私の存在」こそが近所の平穏を脅かす加害者であり、「自分達がいじめ主犯に加担して、いじめ主犯側の旗色が悪くなったら主犯を非難し、自分たちはこの近所トラブルに巻き込まれた被害者だから一切何も悪くない。全部いじめ主犯と被害者のせい」という態度なのです。そんな卑怯な逃げ方あるか!ふざけるな!!

 

 

「私たちにとって都合が悪いから町から出て行け」と自分たちが加担して、主犯に便乗していじめた被害者に言いたいけど、そんなことを言ったら自分が悪者になるから、「子供たちのために」「近所の治安を守るために」と、まるで自分達が正義であるかのように理由を付けて自分たちの暴力を正当化しているのです。

 

だから「あいつが平日家にいるから通報しよう」など平然と言葉にすることができるのです。平日他人を監視して、他人の悪口ばかり毎日言っている自分達自身は例外なのです。悪い事をしている自覚すらおそらくありません。なぜなら自分達がこんな事をしなければならないのは、「いじめ主犯といじめ被害者のせい」だからです。

 

 

皆さん、これは他人ごとではありません。あなたたちは、インターネットで会ったこともない相手に、私の近所の人たちと同じようなことをした経験はありませんか?インターネット上の誹謗中傷問題。

心当たりのある方は、今すぐ自分の行動を振り返り、反省し、繰り返さないように考えを改めてください。心当たりのない方も、自分が当事者になってしまわないように、戒めとして考えましょう。

 

私自身もこうして記事にする事で、戒めとしています。なぜなら「私の存在」は近所の子供たちにとっては悪影響だからです。

 

私が相続して存在することで、この地域の子供たち同士の遊び場を一つ、潰してしまったようなものなのです。この近所から子供たちの声は聞こえなくなりました。それに関しては申し訳ないと思っています。

しかし、私には私の意志があるし、事情もあります。わざわざ自分の人生をいじめ主犯や加担した近所たちのために犠牲にする気はありません。

 

だから近所の子供たちが私を恨むならそれは仕方のないことだし、だからといって、自分の人生を捨てる気はないので、「子供たちの恨みや遺恨は受け止めるが、近所の老人や主婦たち、お前らはダメだ」というスタンスです。

 

まぁ子供たちが何を見て何を考え、学ぶかは子供たち次第なので、せいぜい人間として恥じない行動はしているつもりではありますが、やっぱ悪影響だろうなぁ・・・。

 

ツイ〇ェミや慰〇婦が同じ事をしていますが、あれも女性が主導してやっていますね。悪事だと本当は気づいていて、認めることができない、謝罪も反省も、学習もできないから「相手が悪で、自分達が善である」というつじつまを合わせればいいので、その場しのぎでコロコロと理由も言い訳も変わっていくのです。

私の地域のいじめ主犯も加担者も全く同じ事をやっています。

 

 

 

「・・・なんだこの地域、吐き気がするほど腐ってるな」と感じた方、正常だと思います。以前の記事で、私がこの人たちを「人間の姿をした化け物」と、たとえた理由がわかると思います。

私もこのあまりにも言葉でたとえようのない「人とは思えない心の醜さ」を間近で体感して吐き気がしていますから。だからこそ私は近所一帯と縁を切ったのです。互いに必要であれば利用するあまりにも汚い人間関係。私もこの化け物と変わりませんな。こんなもの子供たちに悪影響ですよ。(まぁこの近所の中だと全部私のせいで私が元凶になるんですけどね、HAHAHA)

 

このような人達に嫌悪感や不快感を持つのは当たり前だと思います。彼女たちはただの卑怯者だからです。

 

ただの卑怯者が正義の味方かのように理由を付けて人を攻撃し、都合が悪くなれば誰かのせいにして逃げ、ほとぼりが冷めたらまた誰かをターゲットに攻撃して楽しむ事をやっているからです。

 

都合の悪いことにはフタをして、他人の誰かのあら捜しと悪口を言い続け、「いじめに加担してしまった自分自身」については一切目を向けず、反省も学習もしない。そんな人間たちの地域からいじめがなくなるわけがありません。

 

これからも彼女たちは、自分がやった事が良い事なら自分の手柄、悪い事なら誰かのせい。被害者面で悲劇に立ち向かうヒーローごっこで暇をつぶして一生を終えていくのでしょう。

 

だからこそ数十年、いつまでもいじめが繰り返される地域なのでしょうね。ブログに寄せられるコメントなどからもわかりますが、日本全国どこも変わらないところが多いのでしょう。

 

 

変わらなければならないのは「次の世代から」ではなくて、「あなた自身」です。