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私は近所と縁を切るに当たって、ときどき罪悪感を感じたりしています。

 

なんせ子供の頃からの付き合いのある近所達ですからね。あれだけ酷い事をされてもう縁を切ると決めても、辛いものがあります。

 

いじめが始まったのも、一人になった私が相続してからなので、本当に言葉でたとえられない心の傷になっているし、一生この苦しみと向き合わなければならないとなると、本当に折れそうになる時があります。自殺衝動に負けてしまいそうになるときもあります。(大抵は睡眠不足が原因ですが、そもそも3〜4時間で起きてしまう)

 

しかも加害者も加担した人も8年間で誰一人として、一切一言のお詫びの言葉すらないどころか、すべてを被害者のせいにして今も逃げているのですから。みんな自分がかわいいのでしょうね。当たり前ですが。

 

一人の大人として、人間として、あまりにも無責任で、納得なんて一切していません。しかも一切反省しないどころか全員がうやむやにして逃げて、自分達が一方的に攻撃し続けている被害者を加害者に仕立て上げ、自分達は被害者化のような態度を取り続けているわけですから。そんな犯人たちは目の前で何の罰も受けずに普通に暮らしているのですから。

 

いつまで悩んでいるかって?おそらく一生苦しむと思いますよ。こちらは自分の家族が皆いなくなってから、子供の頃から信用していた人たちにこんな事をされた挙句、今も犯罪者扱いされているのですから。被害者が生まれた事自体を謝罪するような状況を作った近所たちは自分達が悪いなんて微塵も思っていないのですから。

 

泣きたくても泣けない、吐き気がするけど吐けない、頭の中はグチャグチャ。本当に人生が滅茶苦茶になりました。

 

私が生まれてしまい、生きて相続したことが今回のご近所トラブルに発展してしまったと、私自身が生まれた事が間違いだったと、心の中で無理矢理にでも自分の非を認めて心に区切りを付けなければ、私自身がずっと近所への怨みと怒りに囚われ、自分の人生を前へ進めませんでした。

 

私の親はまともでしたが、私の家族が皆がいなくなって相続した家で、私の周りの信用していた「大人だと思っていた人たち」は、毒親のやる虐待と同じ事を集団で私に実行したのです。これを8年間も独りで受け続けて、何一つ報われないまま我慢して今も耐え続けるというのは本当に言葉でたとえられない、「地獄」なんて言葉が軽く感じるくらいの心の苦しみです。

 

世の中には本当に説明しても、誰にも心境を理解してもらえない、話の内容自体を信じてもらえないくらい、想像を絶する理不尽な酷い出来事ってあるものです。私自身が体験してこんな「闇」がこの世にあるのかと心底世の中に絶望しました。

 

ときどき近所を無視することへの罪悪感に苦しみますが、それでも今後も近所と関わる方が余計なトラブルを生むし、後に嫌な思いをまたすることになり、苦しくなる。だから関わらない事に決めました。なぜなら加害者達は何も反省していないし、すべて被害者のせいにして逃げたのだから。

 

だから近所を無視するという自分自身の罪悪感と時々向き合います。そんなときは、自分自身に優しい言葉で語りかけ、慰めます。

 

以下は自分自身への慰めから、どうしてその結論を通すのかに至った事を自問自答で思い出しています。精神が不安定になる時は、こうして自分の初心を取り戻すのです。

 

ご近所さんたちが「私が間違っている」と、こちらが何もせずとも、勝手に人のせいにして責めるのだから、せめて私自身はどんな行動を取っても、私自身を責めず、味方をすればいいのです。何も自分自身まで自分の敵に回って、責める必要はありません。どんな時でも「あなた」の味方であり、「あなた」に生涯寄り添ってくれる「自分自身」という存在を大事にしましょう。

 


 

お前は優しすぎる。自分を集団で一方的に貶し続け、謝りもしないどころか変な噂を流し続け、挙げ句冤罪をかけてきた悪人にさえ同情する。

 

情に厚いのはお前の良いところだが、その情を自分達の利益として利用しようとする連中がいることを忘れるな。お前の情の厚さに付け入り、己の行った悪事を誤魔化してうやむやにして、反省などする気もない人間だっているのだ。

 

そんな相手の心情までお前が心配するな。相手の問題まで自分のせいだと考えるな。

 

相手の機嫌が悪いのは相手自身の問題だ。お前がそこに住んでいる事に、相手が勝手にイライラしているだけで、自分自身の機嫌を取れない未熟さを、お前のせいにしているだけだ。

 

お前自身になんの罪もない。お前が生まれたことを、お前のもういない家族は喜んで、大切に育ててくれたじゃないか。だから今のお前がある。

 

忘れるな。思い出せ。

 

お前の家族は、お前を愛していたのだ。お前の存在を肯定しているのだ。

 


 

私には誰もいないし、今後は県外の父も寿命を考えると先に逝くので、自分の力で立ち直らなければなりません。

 

愚痴の一つもこぼせるような身内はもういなくなると知っているから、今後一人で生きていくために、私は今回の近所トラブルをひとりで解決しているのです。この先も独りで生きていくために。

 

ときどき思い出さなければ、自分の決意や覚悟が日々の生活で薄れていきます。

 

初心を忘れたことによる「理由がわからない苦しみ」が生じていたのです。

 

自分が間違っているのなら、他の多くの人が指摘します。

 

自分が間違っていないと確信しているなら、自分の味方を全力ですればいい。周りからの指摘を受け止めたうえで、考えて、「それでもこれが俺なのだ。考えが合わないなら対立も仕方なし。俺は俺の道を行く。」と、自分の出した答えを、異なる考えの人から非難される覚悟を持ったうえで肯定すればいいのです。

非難されたら考えを変えるのではなく、自分も考えて納得する答えを自分の中で出したうえで変えるべきなのです。「あなたの求める自分」はその過程を繰り返すことで作られます。

 

他人の言葉にばかり合わせていたら、自分が誰なのか永遠にわかりません。

 

現代の多くの人が不祥事の際に自分の非を認めないのが醜く感じるのは、自分の考えを通すために他人と衝突する事から逃げているから。

「心の芯」がないのに自分の意見だけは通そうとして、そのくせ人とぶつかる事からは誤魔化して逃げる卑怯な態度を取るから不満があるのです。潔さが全くありません。

 

私は確かに、近所にとっては、生まれて生きていることが間違いであり、家にいること自体が犯罪なのかもしれない。

 

しかし、それは近所がそう思っているだけで、私自身がそうは思っていない。ならば、自分とは違う意見や考え方があると認めた上で、それでも自分の考えをあえて優先していると自覚すればいい。

 

上記のように自分がどうするのか、覚悟を決めたことを思い出せば、大抵の悩みは吹き飛ぶものです。

 

日常が平和だったり、順調だったりすると、常に自分を侵略する人間達がいること自体を忘れ、どうして苦しいのだろうと原因が分からなくなりがちです。

 

今回の場合は、覚悟を決めて開き直ったのは自分の心の中だけの話であり、ご近所さん達との問題自体は一切変わっていないということを忘れていたからです。

 

私が怒りや怨みに囚われた心と向き合い、自分が悪いと認めることで前に進んだのは、「自分の内面だけでの話」であり、ご近所トラブル事態が解決したわけではありません。現実の状況は変わらないまま、自分の心境だけが変わったことを失念していたのです。

 

だから苦しくなった。決めた時の初心を忘れていたから。

 

誰かと衝突することも覚悟の上で生きていけばいい。覚悟を決めたことを忘れなければ、心の芯が通っているので、疲れる事はあっても、不安定にならないものです。

 

過酷な状況の中で穏やかな日々が続くと、現状は全く変わっていない事実が薄れ、覚悟を決めた事自体を忘れがちなので、心の芯を忘れてしまうので不安定になってしまう。

 

だから、思い出すということはとても重要なのです。人間は忘れやすい生き物なので、その時の状況へ遡れるように、メモに書いておくのが一番いいです。

 

人は闘争を求める生き物なのですかねぇ。闘争を求めても、失うことは恐れる。

 

動物の矛盾に気づいた人間って、本当に大変な生き物ですね。今は昔よりも酷い混沌の時代なのかもしれません。人間が動物から「人間」へ進化する、まさにその時を体験しているのかもしれないと思いました。