私が近所を無視するに至った経緯は、このブログにも書いていますが、いじめ加害者とは一切話が合いませんでした。会話が最初からかみ合わないのです。

 

いじめ加害者と話が合わない理由

私は「自分が絶対に正しい」とは一言も言っていません。「自分の悪口を言われるのが不快だから、嫌だから止めてほしい」と最初からずっと言ってきました。

 

いじめ被害者は「不愉快だからやめてくれ」と言っているのです。

しかし加害者の頭の中には「自分が正しい」とか「私は負けない」という勝負になっているのです。

 

いじめ加害者といじめ被害者では、最初から話がかみ合わないのです。

 

「嫌な気持ちになるからやめてくれ!」と言っている人に、「私は正しいんだ!私は負けない!」と言葉を返す人とは、会話が成立していません。

 

だから一切話し合いなどできません。仮にいじめ加害者が「いじめ被害者と話し合いがしたい」といったとしても、それは自分の取り巻きが味方で一緒についてきて、自分に味方をしてくれる事が前提なのです。それ以外の状況での話し合いなどおそらくする気はないのでしょう。じゃあどうするか。話題を打ち切るのです。

 

要はいじめ加害者は、自分に構ってほしいだけで、取り巻きが自分から離れてほしくないから、構ってほしいから食いつきそうな話題を振って、構ってくれれば被害者なんてどうでもいいのです。

いじめ加害者は最初から最後まで自分の事しか頭にないのです。

 

いじめ加害者は自分の事しか頭にないから、自分への助言や批判、苦情や誹謗中傷の区別がつかず、反省することも学習することもありません。

 

だから自分に意見をする人は全て加害者で敵になり、自分だけが被害者になるのです。

 

当然このような人の周りには、同じようにいじめ加害者と同様の性質を持った人たちが集まっていくのです。

 

この人たちの視点では自分達は(いじめ被害者という名の)悪を倒す御旗のもとに集まった同志、いじめ主犯はジャンヌ・ダルクのような「苦難に立ち向かうヒーロー(ヒロイン)」にでもなった気分なのでしょうね。

 

要はいじめ加害者は、自分の妄想の世界に生きている人たちなのです。

 

最初からいじめ加害者にとって自分の周りにいる人は全て、自分のために存在していると考えています。

 

私の状況の場合、「不快だから止めてくれ」と言っているのに、相手に嫌がらせをしている人が、被害者面をして警察に通報して、「脅迫された」と訴えたのです。

 

こんな人に話は通じません。こんな人をかばって加担する人も、同類です。それが分かったので私は対話を打ち切りました。

 

一方的に人を傷つける事をして、傷ついている人が「やめてくれ」と言ってもやめない上に、傷つける側の人達が被害者面をして相手の悪評を流したり、警察に通報する連中なんて、相手にするだけ時間の無駄です。

 

 

 

 

相手が「やめてくれ」と言っても、みんなで相手を殴り続けたらどうなりますか?

 

答えは簡単。死にます。いじめ被害者が自殺する理由です。

 

いじめ加害者がカウンセリングを受けた方がいい理由

いじめ被害者:自分が傷ついているから、いじめをやめてほしい。

いじめ加害者:自分が相手に劣っていない、負けていないと世間に知らしめたい。

 

 

焦点が最初から違うのです。だから最初から対話なんてできないのです。

 

いじめ加害者が話を聞かないのも、「人の話を聞くこと自体が負け」だと思っているからです。だから人とコミュニケーションが取れないのです。

 

そしてこれがいじめ加害者をカウンセリングした方がいい理由です。いじめ加害者には自分と他人の区別がついていないからです。

 

いじめ加害者の心を読めない限り、いじめ加害者本人にしか、勝ち負けなどわからないのです。そしてこのような境界線は、たいていの子供は幼稚園や小学校低学年で身に着けるものです。

 

それが身についてこなかった。他者とのコミュニケーション不足、もしくは経験の不足です。だからいじめ加害者にはカウンセリングが必要なのです。精神の成長が幼児期で止まっているからです。

 

外見は同じ年配だとしても、精神年齢が大人と子供で違うので、精神年齢の外見を見えるようにならないと、見分けがつかないのです。

 

科学的に見分けがつく装置とか出たらいいのですけどね。たとえば脳の海馬の大きさを外からセンサーで測れたりするものがあったら一種の基準になって楽なのに。

 

まとめ

いじめ加害者といじめ被害者では、いじめをする理由といじめをやめてほしい理由が違う。だから話し合いにならない。

 

いじめ加害者の大半は精神年齢が幼い、もしくは頭が悪いので、自分と他人の区別がついていない。

そのため助言や批判と誹謗中傷の区別がつかない。だから「自分の考え以外は全て敵」という思考になる。