みんなひとりであっても独りじゃない理由は、たくさんの物語があるからです。
人の人生という物語
人が作った物語
自分の人生という物語
世の中には一生かけても物語すべてを追う事はできません。
人の一生はその人の物語である。
今か昔かそれとも未来か、私とは違う誰かが、私と同じように考え、生きているかもしれない。
誰かが繋いできた命のバトンが太古の昔から続いてきた。だから、「現在の私」は孤独であっても、ひとりじゃない。数えきれないくらい繋がっている。
それは今、「私」が生きていることが何よりの証拠である。
血脈は絶えても、誰かの行動が誰かに影響し、世界に受け継がれていく。
それは宗教や禅、茶道など、文化という形で様々に形を変えて受け継がれていく。
たった一つの気まぐれな善行が他の誰かに影響を与え、広がっていく事もある。
たとえ滅びた技術も、文明も、現代を生きる人がその痕跡を追って、存在は広がっていく。子孫を残す形とは違えど、命のバトンは受け継がれていく。
そう思うと、今この記事を書いている「自分」とは、歴史の授業で習うくらい昔の時代にも、いたのかもしれない。同じようにはるか未来にいるのかもしれない。
うーん、生きるってロマンですねぇ。
コメントありがとうございます。自分を正当化するとそれが自分の中で結論になって終わ…
こんにちは。興味深い考察ありがとうございます! 私にとってタイムリーだったのは、…
はい、幸せに生きていきましょう!
ご返信、ありがとうございます。同じ土俵に上がらないようにして、私たちは、楽しい人…
コメントありがとうございます。本当に暇なゾンビ達ですよね(笑)。そんな事に使った…
私も同じような境遇です。執拗な監視に、ヒソヒソ話。他にする事はないのでしょうか?…