色々なことを知るほど、自分はちっぽけな人間だと実感します。私自身の話ですが、参考になれば幸いです。

 


 

野鳥に興味を持って知識が増えれば、野鳥の食べる植物や昆虫を知るようになる。

 

植物の生えている場所に興味を持てば、草花や木に興味を持つ。

 

木に興味を持てば木の歴史に興味を持つ。歴史のある木は神社やお寺に多いから神社やお寺に行く。建築物を知る。

 

建築物に興味が行けば、建築物の造り、歴史に遡る。その土地の神話、歴史を知る。

 

古文を知る。では言語はどうだ?海外の言語を知る。

 

知れば知るほど、世界中がそれぞれの歴史や文化を持っていることも知る。

 

そして自分の視野や思考が如何にちっぽけで狭い所しか見ていないのか、己の器の小ささを知る。

 


 

別に自分自身を卑下しているわけではありません。ただ、「自分」という存在のスケールの小ささを自覚すると、世界に対して自然と尊敬を抱き、頭を下げたくなるものです。大きな存在に見守られていると自覚し、感謝をしつつ自分の人生を楽しむ。

 

日本の八百万も、このように歴史に思いを馳せた昔の人々がいたのかもしれません。

 

そして、現代の私のように八百万への信仰を考える人間がいるということは、今日まで考え方が受け継がれてきたという事実であり、この国があることへの感謝、日本人として生まれてきて本心から良かったと思います。

 

何百年も前の人が生み出した風習、数十年前に始まった宇宙開発、千年近く生きる地元の大木。

ありとあらゆるものが、たった40年しか生きていない私には想像もできない時間。

 

それは身近にもいます。この地に、今も生きているのは祖父母が戦争を生き延びて、引っ越してきて家を建てたから。

 

そうして私がたどり着いた人生の意味とは、こんな自由な恵まれた世界にせっかく生まれたのだ。ならば今の状態に感謝をして、楽しくなるような事を見つけて、幸せを感じながら生きる事が一番だと思う。

 

たとえ生きる事に絶望して下を向いても、雑草たちは綺麗な花を咲かせていて、綺麗だと感じるように、上を向くのに疲れたら、下を向いて楽しいものを探す。そうしてまた、徐々に顔をあげていけばいいのです。

 

私は老後にお金も家もなくなっているかもしれないし、欲しい物も満足に買えないかもしれない。

 

またワンルーム貧乏暮らしに戻るのかもしれない。

 

それでもこれだけ知ったことがあれば、楽しく暮らせると思うし、そもそも相続自体が想定外の時に起き、偶然私に大きな幸運が流れてきたので、本来の私の力ではない。

 

つまり元の私はワンルームで一生を終えるくらいの器なので、元の自分に帰るだけの話だから、あまり心配していません。

 

私は運がいいので、人生何とかなるし、その時の私が何とかするでしょうから、その時の私に任せましょう。

 

たとえホームレスになっても、風が植物を撫でる音、野鳥のさえずり、家から外出しなくても、もともと外にいるなら好き勝手に聞けるので、そこまで落ち込まずに楽しく暮らせそうです。

 

なんとかならなかったら?その時はあの世に行くときなのでしょう。私の遺体の片付け方は決めておいたほうがいいかな?とうっすら考えてはいますが。

 


 

私という無職の40歳の、一般的な考え方のできる世間の方々から見れば、世の中には全く貢献しない人間でも、下を見て安心する人達にとっては有用だし、反面教師にもなります。私の近所のように自分の日常の不満を解消するサンドバッグのように見ている人もいるでしょう。

 

私の人生ですので、私だけが納得して「自分の人生の価値」を知っていればいいので、気になりません。もちろん非難や反感を持つ人も多いだろうと思うので、自分のブログの中でしか語りません。

 

私自身は今後、仕事をまた探して、好きなことをして幸せに生きていくだけです。なんとかなるし、ずっとなんとかしてきました。40歳になると年金保険に加えて介護保険の支払いも加わるので大変ですね。

 

私がこの人生で気づいたことは、広い視野と知識があれば、人は豊かな気持ちで人生を過ごせるという事です。

 

とりあえず、誰かにとって、私のこのブログに書いてある経験が、何かの癒しや気づき、もしくは反面教師として、ほんの少しでも役に立っているならば幸いです。

 

いつもありがとうございます。

 

自分自身の生きたいように生きて行きましょう。