私は母の実家と叔父の遺産を相続後、子供の頃から信用していた人間達からいじめを受け、心を閉ざしました。
連中は8年間で今も一言の謝罪も反省も全くしていません。それどころか私を町の危険人物に仕立て上げ、被害者面をしています。
私は人間が大嫌いになりました。
ただ普通に生きているだけなのに、相続してある日突然、8年間も近所からさんざん陰口や悪口を言われ、注意してもやめず、町から追い出そうだの犯罪者に仕立て上げようとしたりと、自分の人生を何度も不名誉に汚される経験をして、今のところプライベートでは一切女性と関わりを持ちたいと思いません。(保険とか生活に関わる担当の場合は仕方ありませんが。)
現在は近所中から「私が私自身の家の中にいる」というだけで嫌悪されていますし、この8年間、自分達の生活で溜まったストレスを私への陰口や悪口で解消して、すべて私のせいにする人たちです。まぁそんな連中と「近所だから」と関わったとしても百害あって一利なし。なるべく関わらないのが一番いいのです。特に向かいの3軒と離れた1軒は二度と関わりたくもありません。
この4軒は特に私が苦しめられた連中たちで被害者面が酷く、一切反省していません。「私が自分の家の中にいる」というだけで、自分たちのストレスをすべて私のせいにして八つ当たりしているのもこの連中が特に酷いです。いずれも年老いた老婆です。子供の頃からやさしい笑顔が印象的なイメージがあるだけに、そんな事をする人たちだと思っていなかったので、この人たちには相当苦しめられました。
いじめ主犯は自分達のしたいじめが間違いでないと証明したいため、私を犯罪者に仕立て上げようと必死です。今まで加担した人たちも無責任に逃げて、被害者面していますからね。今世間を騒がせているCO〇ABOの連中と全く変わりませんね。
ちなみに私は投資信託と株取引の報酬が現在のところは毎月入っているので細々と無職をやっているだけです。お金が少なくなったらバイトしたりしています。相続前の叔父も、相続後の私も同じです。一切犯罪などしていません。
そもそも他人の家庭の話なので、ご近所さんたちには一切関係のない話です。
他人を不当に貶めていい理由なんてどこにも存在しません。近所のやった事はただのいじめと私への差別です。私はいじめ主犯や老人達からは犯罪者もしくは不審者扱い。それ以外の近所からは「タブー扱い」されているのでそれでいいです。関わりたくない人たちと関わらなくていいので私は楽です。
相続してから8年間で、社会人として働いていた頃よりも酷い、人間のありとあらゆる汚くて醜い部分をたくさん経験しました。
あまりにも理不尽な境遇に、精神が壊れそうで頭の中で考えていることを声に出してしまったり、叫び声をあげたり、記憶が一時的になくなるなどの経験もしましたし、自殺を何度も試みましたが、何とか生き延びて新たな自我を構築しました。(ただの事実ですが、誰にも苦しみを理解も共感もしてもらえないのが当たり前の日常だったので、人に信じてもらえない事や人間扱いされない事、不審者や犯罪者扱いされる事など、慣れました。)
これだけ酷い状況でも、人間嫌い、女性嫌いでも、それでも近所以外の人間達には、いじめが始まる以前と変わらず接することができます。
それは、私がこのいじめを受けている中でも、友人達に、見知らぬ人に親切にされた事があるからです。
いくら誰かが不当に自分を貶めようと、連中の期待に応えて自分が本物の犯罪者になる必要は絶対にありません。
今回は人に嫌われようと、裏切られようと、人を信用しなくても生きていける自立した精神を持つ考え方を紹介します。参考になれば幸いです。
人は人。自分は自分。
どれだけ望んでもあなたはあなた以外の人生を送れないし、あなたでしかありません。顔を変えようと他人の戸籍を得ようと、あなたはあなたの人生を生きるしかありません。
他人を羨んだり、妬んだりしても、それは他人の人生であってあなたの人生とは関係ありません。あなたが勝手に相手と自分を比較しているだけです。
自分だけの人生の価値観を見つけてみましょう。そんな価値観が見つからなくとも、自分の好きな映画を見て、好きな食べ物を食べて、楽しく笑えば、それはあなたの人生の価値観になっているのです。
全ての人には一面がある
自分を含め、全人類にはとても楽しい人辛い日など、自分の状態によって気分が変わる日が存在します。
身体的な問題では、女性には生理があります。生理がある日は機嫌が悪かったりするでしょう。メンタルに異常を抱える人には躁鬱病や統合失調症などの心の病気もあります。
しかし、それはその人を見てもわからないものです。まして本人が隠すのだから、見破れる人の方がよほど少ないのです。
この世に聖人などおそらく存在しませんし、完全に他人の人生の軌跡や変化を読める人も存在しません。私たちが見たりする事ができるのは、その人の性格や心情のサイコロの一面、もしくは数面だけです。
「女って怖いなぁ」と思うエピソードだって、「その人の怖い一面がある」というだけで、そのエピソード自体がその人の人生の全てではありません。
同様に私の近所の人間たちも私以外の人間を差別しませんし、親切にしています。
近所の人たちは、私から見れば私の生活や評判、精神を滅茶苦茶にした悪党ですが、他の人から見れば、良い家庭と子供を持った、人に親切な良い家族なのです。
「私が存在する事が悪い」というのは、この近所だけでの常識であり、この近所でしか通じない話ですが、だからと言って私が彼らの意見を聞いて、自分の人生を終わらせる理由にも、町から出ていく理由にもなりません。私には私の意志も、自由も、権利もあります。
県外の父はそのような事を言いませんし、友人達も同様です。仮に彼ら全てが私の存在を迷惑だと言っても、私が生きたいから生きるのです。
野生動物はもともと単独行動をする者もいるので、彼らに倣って私も単独行動させてもらうだけです。
全ての人は日によって機嫌が違う
自分も同様に全ての人は機嫌が日によって違います。
ストレスの許容量を超えたら、仕事では表に出さなくとも、プライベートの一面で爆発してしまう事もあります。あなたはたまたまその爆発に直面しただけかもしれません。
だから1回だけでその人の判断をせず、何度か日を分けてその人の様子を見なければ、その人の一面すら見えてきません。
もしかしたら自分の行いを反省して改善しようとする人もいるかもしれません。
その時判断した時点で「この人はこうだ」と決めて完結しないで、その後も期待しないで見守りましょう。学習できる部分を持っている可能性もあるからです。
他人が自分のために何かしてくれることを期待しない
他人が自分のために何かしてくれることは期待しないようにしましょう。
他人の善意を当てにすると、当てが外れたときにイライラします。勝手に他人に期待している自分が悪いのだから、自分の機嫌は自分で直してください。
他人はあなたを満たすために存在するわけではありません。他人の善意を当たり前のものだと思わないように、他人の善意や親切はその日が終わったらリセットして考えておきましょう。
期待しない3か条
- 理解してもらう事
- 話を聞いてもらう事
- 親切にされる事
親切にされた記憶を思い出す
誰でも生きていれば、一度は親切を受けたことがあると思います。本人が悪意を受けすぎて忘れたか、思い出せないだけで、親切にされたことはあると思います。
例えば見知らぬ人に、席を譲ってもらった経験はありますか?あるいは学校で職員の道案内を受けたことは?
ほんのわずかな事でも、他人からの親切に変わりはありません。ならばそれを大事にすればいいのです。
私も近所からのいじめを受けて、立ち直ろうと外に出たとき、駅の中で立っていられなくなりました。久しぶりに外に出た事と、人の多さにめまいがして、動悸が激しくなり、思わず座り込みました。
その時年配の女性に声を掛けられました。「大丈夫ですか?」と。もう顔も覚えていないけれど、そのように心配する人はいるのです。仮にその心配が、その人自身の利益のために起こったとしても、自分が助けられたことに変わりはありません。その点を素直に感謝すればいいのです。
「誰かに」親切にされた事まで覚えていなくとも、「親切にされた」という事実があればいいのです。それは少なくとも、「相手の事を考えてくれた」という事だからです。
だから私は近所以外の人とは女性が苦手であっても、すれ違いざまに舌打ちをしたりしないし、暴言を吐いたりすることはありません。
私の県外の友人も、私が家と遺産を相続後に、一部は私を「クズ」と罵り、去っていきましたが、相続前と全く変わらず接してくれる友人もいます。年に1回の年賀状メールしか打っていませんが、全く変わらないです。これもまた彼らの気遣いだと感謝をしています。
人生とは、「私」という一冊の本である
私自身の考えですが、人生というものは、「私」という1冊の本を作る工程だという考えです。
私にはいろいろな出来事がありますが、こういう考え方もできるのです。「神さまが読み応えのある本を作りたかったのだろう。」と。
言い換えれば、「困難が多い」という事は、神仏が自分に対してひいきをしているという事でもあるのです。
渦中にいる時はそんな事を考える余裕はないのかもしれません。しかし、乗り越えてから自分の困難を振り返ると、「実はそんなに大した事ではなかったな」と感じます。
自分はどうしたいのか考える
最後に重要なのが、「自分はどうしたいのか」です。
私も随分悩んでいますが、私は相続した家を離れる気はありません。理由はいくつかありますが、「自分が今はこの家で暮らしたいから」ここにいます。
その結果、私の存在を迷惑がって、誹謗中傷や冤罪を掛けて悪人に仕立てられても、気にしない事にしました。
自分がここで生きると決め、覚悟をもって問題を撥ね退けて生きると決めたのなら、それでいいのです。
私は近所の主婦10人以上から嫌われ、連中の家族も含めると約30人くらいが、私が存在する事を疎んでいますが、世の中には70億人以上も人間が存在しています。全人類の1%でも7千万人です。
たかが人類の約0.0000000002%に「お前が存在する事が悪い」と言われても、陰口を目の前で言われようとも、どこにでもいる微生物の集まりなので気にしなければいいのです。わざわざ顕微鏡で分析する価値すらありません。
もちろん危害を加えられたら、警察に通報しましょう。あなたが学生なら、学校を卒業したらその町から離れましょう。大人の方が責任を伴う分、自由に生きられます。いつまでも自分を縛り付ける親や近所から離れてしまえばいい。
お互い様の精神を忘れないで、自分が一緒にいて落ち着く人を探しましょう。いないのならいつか見つかりますし、見つからなくとも世の中には同じような考え方をもって生活する人がいくらでもいるのです。自分が認識していないだけです。いつか会うために一人で生きてみましょう。
何をしても何もしなくても、いずれ一生は終わります。ならば、自分のやりたいように生きればいいのです。
ありがとうございます!ただ、意識が戻っただけで会話できるほどではなく、まだ深刻な…
お父様の意識が戻られたようで良かったです! やりたいことは、どんどんやった方が良…
こんにちは。ありがとうございます。
こんにちは。自分の健康と安全を第一に、ゆっくり休んでくださいね!
コメントありがとうございます。 「悟空ならこういう時どういう考え方をす…
私もドラゴンボールが好きでしたが、 こういう良い作品のおかげで真っ直ぐな自分でい…